空中散布・松枯れにもどる
t00402#「大気中の農薬の安全性についての評価に関する指針」の問題点#91-11
 本年3月、農林水産航空協会は、『航空散布地区周辺地域の生活環境における大気中の農薬安全性についての評価に関する指針』(以下『指針』といい、文章の引用は《 》で示す)を公表し、表のような12種の農薬について『航空散布による生活環境の大気中農薬の指針値』なるものを提言しました。これは、4人の専門家で構成される『航空散布用農薬の許容濃度と大気中の動態に関する研究会』の検討結果に基づいたもので、『指針値』とは、散布地域の住民や通過者の健康に好ましくない影響をおよぼすことのないよう守るべき上限値のことだそうです。
この提言の問題点について、気のついたことを以下に述べます。
@一過性の健康障害は影響とみなさないのか
 『指針値』策定のもとになる『健康に好ましくない影響』とは何かがあいまいなことが、まず問題です。  『指針』は、《低濃度領域における人への健康影響に関する知見がほとんどない》としていますが、本通信でも、再三取り上げられたように、住民グループのアンケート調査では、明かに影響がでているのです。農林水産航空協会は、《影響がまれに観察されるが、その影響は可逆的であって、生体の恒常性の範囲にあるようなレベル》のものを健康障害とみなさないとの立場をとっているふしがみられます。
 一過性の頭痛、のどや眼の刺激、下痢、不快感などは、日常的な健康状態のふれの範囲で、それが、病原菌によるものか、生理的なものであるか、空中散布農薬の影響よるものかは区別しないというわけです。
 さらに個々人の慢性的な疾患、癌、アレルギーなどの原因を科学的な厳密さで特定することが困難な現状を思えば、農薬散布により何10人もの人がバタバタ倒れない限り、人体への影響はないとうそぶく下地がみえてきます。
 仮に知見がないなら、農林水産航空協会が率先して、調査するのが本筋なのに、《『許容濃度等の勧告』(日本産業衛生学会)を基礎資料として、さらに医学、生物学、農薬の専門家からなる研究会で検討し、適切な安全係数を考慮して指針値を策定した》といっています。
 この専門家というのは、4人とも、当の勧告をだした産業衛生学会・許容濃度等に関する委員会のメンバーなのですから、自分たちの勧告を別の研究会でさらに念をいれて検討し、『指針値』を算出したということになるのでしょうか。
『許容濃度』は安全性を示す絶対的なものではない
 さて、基礎資料となった農薬の『許容濃度』を、表−略−に示しましたが、これは、農薬を取り扱う労働者の健康障害を予防するための手引きに用いられることを目的として勧告された数値です。一日8時間、週40時間程度の労働に従事する際の曝露濃度の算術平均値が、この数値以下であれば、ほとんどすべての労働者に健康上の悪影響がみられないと判断される濃度が、『許容濃度』とされ、様々な化学物質についての勧告値がでています。
 しかし、ただし書きには、(イ)人の感受性は個人ごとに異なるので、『許容濃度』以下でも、不快、既存の健康異常の悪化、職業病の発生を防止できない場合がある。
(ロ)『許容濃度』を越える職場環境下で、労働者になんらかの健康異常がみられた場合に、『許容濃度』を越えたことのみを理由に、その物質による健康障害と判断してはならない。また逆に、『許容濃度』を越えていないことのみを理由として、その物質による健康障害ではないと判断してはならない。
(ハ)『許容濃度』の数値をそのまま、大気汚染または一般の室内汚染の許容の限界値としてはならない等、この数値を安全性を示す絶対的なものと見なさないよう注意をうながす記述がみえます。
 『許容濃度』は、健康診断等でその物質の影響が出ないかのチェックを受けつつ、一定の作業環境で労働し、そのことによって賃金を得ている労働者に適用されるものであって、妊婦・乳幼児・老人・その他様々な健康障害をもった人びとを含む一般人が一日中すごす、生活環境に適用してはならないという(ハ)のただし書きは当然といえます。
ブラックボックスにある許容濃度
 では、この『許容濃度』の信頼性はどうなのでしょう。農薬の場合、登録に必要な毒性試験データが、公開されていないという事実を思い浮かべれば、誰が、どのような知見をもとに、いかなる評価をして、『許容濃度』を決めているのかという大きな疑問につきあたります。実は、多くの場合、この数値そのものが労働者の預かり知らぬところで検討され、天下ってきたブラックボックスの中にあるのです。
 今年は8月までに、空中散布ヘリコプターの墜落事故が既に4件発生し、操縦していたパイロットら搭乗者が、死傷しています。特に7月24日には、福島県、茨城県、埼玉県の3個所で事故が起こりました。
 パイロット達は、毎年5月から8月にかけて、連日農薬散布に携わるわけで、この間、相当量の農薬を吸入するものと思われますが、彼らの健康管理が十分なされているかどうかが気懸かりです。90年8月福島県で起こった墜落事故の原因はパイロットの酒酔いによる判断ミスの疑いが濃いとの調査報告が公表されましたが、事故の原因に農薬の影響はなかったのかという疑問が残ります。
 的確な状況判断と反射神経の要求される操縦だけに、農薬を取り扱う労働者としてのパイロット達に農薬の影響がでていないことを祈るのみです。
B安全係数の根拠も不明
 根拠の明白でない農薬の『許容濃度』に乗ずる安全係数に関して、『指針』には、(イ)ヒトの値=実験動物の最大無作用量などの値の10分の1、(ロ)吸入曝露の値=経口投与における最大無作用量などの4分の1、(ハ)ヒトの個人差:10分の1、とする旨記載されています。
 お酒についていえば、2000t飲んでも顔色ひとつ変わらない人もいれば、20tでダウンしてしまう人もいます。農薬に対して強い感受性をもつ、いわば農薬弱者が、健康な成人の10分の1の曝露量で何の影響も受けないとする根拠がどこにあるのでしょう。
 また、表に示したように『指針値』が、マラチオン、フェンチオン、カルバリル以外、おしなべて、『許容濃度』の50分の1程度となっている理由も不明です。
 これら係数を算出する根拠となる科学的知見を明示してもらう必要があるでしょう。まさか、研究会で以下のようなが会話がとびかったのではないでしょうね。
「労働者に対する『許容濃度』が週40時間を基準としていますから、生活環境で過ごす24x7=168時間の4.2分の1、さらに人の感受性の10分の1を乗じて42分の1とするか。」
「いやシニというのは縁起でもない。きりのいいところで、一般的な安全係数は50分の1にしておきましょう。」
「マラチオンはこの『許容濃度』そのものが少し高すぎますね。フェニトロチオン並にしておきますか。」
「フェンチオンでは、石川県で燕が死んだ例があり、住民が騒ぎましたから、100分の1の値。ついでに、反対運動の強い松くい虫用のカルバリルも125分の1の40としてはいかが。」
C複合汚染の責任は転嫁
 12種の農薬の個々の指針値は 表のように2〜200μg/立方米の範囲にあります。一方、混合農薬については、毒性は相加的であると仮定して、各成分の大気中濃度を該成分の指針値で除した数値の総和が1を越えないようにすることになっています。
 農作物の残留基準や飲み水の水質目標では、個々の農薬の基準が決められていても、多種の農薬の複合汚染については、何の規制もありません。つまり、ひとつひとつの農薬が基準値以下でも、合計すると相当量になるケースについては、配慮されていないわけです。
 大気中の農薬濃度基準に関して、相加的評価にしろ総量規制への考えが導入されたことは、まあ一歩前進かも知れません。しかし、(『許容濃度』の場合に記るされている、混合物質の各成分が単純に相加的でなく、それ以上に強い毒性を示すことがあるので注意せねばならないとのただし書きが、なぜか抜け落ちているのは気になるところです)。
 この考えを推し進めれば、当然、日常生活で人が摂取するすべての農薬の総量規制につながるはずだと期待すると大違い。『指針』の注釈は、《農薬の人に対する影響は、生活環境から吸入する農薬以外に、食物等による当該農薬の摂取量を考慮する必要がある。しかし、ここで提言している指針値以下であれば、航空散布による生活環境中の農薬が人の健康に対して好ましくない影響を及ぼすとは考えられない》となっているのです。
 このことは、食品や飲料水、さらには家庭内や街の農薬汚染など他のルートから取り込んでいる農薬の量に加え、空中散布由来の農薬の吸入により、住民の摂取量が許容量を越える場合の責任を、空中散布側はとらないよといっているに等しいわけです。
 もし、農林水産航空協会が、その安全性論拠を矛盾なく展開する意志があるなら、散布地域住民のトータルの農薬摂取量を調査し、たとえ空中散布の実施による農薬摂取量を加算しても、農薬弱者の健康へ好ましくない影響をおよぼさない値であることを示す必要があるのではないでしょうか。
D『指針値』を越えても、何もしない
 では、実際の散布にあたって、提言された『指針値』を越えた場合には、どのような措置が取られるのでしょう。この点について、『指針』では、何ら具体策にふれていません。散布後の測定値が基準を越えた場合、風をおこし、雨を降らせて、農薬を希釈拡散させてしまうのか、あるいは、『許容濃度』を越えた地区の住民を一時避難させる指示を出すのかと思えば、そうではありません。
 なんと 《生活環境の農薬濃度が、短時間、わずかに指針値を越えたからといって、ただちに人の健康に好ましくない影響がおよぶものではない》 と断わり書きがついているのです。
 『指針』が参考として掲げている散布地区周辺の農薬大気中濃度の実測値のうち最高検出値を表に示しましたが、いずれも『指針値』以下となっています。ということは、いままで通り散布して、問題ないんだということになります。
 結局、いろいろ検討したが、農薬の空中散布によって気中濃度が、『指針値』を越えることはない。したがって、散布地域の住民の健康に好ましくない影響がでるはずはない、といっているようです。
 それに『指針値』を『許容濃度』の50分の1以下(曝露時間を考慮すると12分の1)に設定したせいか、『許容濃度』の場合にみられた、前述のAの(イ)や(ロ)のようなただし書きが削除され、単に《指針値は、安全と危険との明かな境界を示すものでない・・中略・・指針値は、生活環境に対して好ましくない影響をおよぼさないと考えられる目安である》と、うすめられた表現になっています。これでは、『指針値』が絶対的なものとなって、ひとり歩きを始めてしまう恐れが大です。
 要するに、この『指針』と称する自主規制案は、全国各地で起こっている農薬の空中散布による住民の健康被害の訴えに耳を貸さず、従来通りの散布を実施する根拠をあたえるために、専門家を利用し、一見科学的な知見によって潤色したところの空中散布強行のお墨付きにすぎないではないかと勘繰りたくもなります。
 ともあれ、『指針』は、農薬の健康影響に関する知識の増加、情報の蓄積等に応じて、指針値は改定されるべきであり、個々の指針値に対する科学的根拠に基づいた意見が、各方面から提案されることを希望する旨記した謙虚(?)な文章で結ばれています。でも、人の意見を聞く場合、みずからの提言の根拠となった科学的知見をすべて、明かにするのが、まづ先決です。農林水産航空協会に対して、評価のもととなった毒性データや安全係数の根拠を質していく必要がありそうです。
  表 農薬大気中濃度の指針値−略−
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作成:1998-04-01