第1回「浜風にのって」(2001年7月22日)

高校野球

高校野球シーズンが始まった。

八幡浜高校を卒業してからもう半世紀に近いというのにのに、高校野球の県予選が始まると八高の予選の勝敗が気になる。
八高が甲子園に出ることは難しいであろうが、それでも少しでも上位まで勝ち進むのではないかと新聞を見るのである。

私は横浜に住んでいるので、愛媛県の1回戦や2回戦の結果は得点だけの勝敗が新聞に載るだけであるが、準決勝くらいになると9インニングの得点経過も掲載される。
せめてこのあたりまで八幡浜の名前が出るのを期待して新聞を見ている。

甲子園が始まると何よりも愛媛県の高校が勝って欲しいし、次に残りの四国勢、その次には九州や関西勢に勝たせたい気持ちになる。
横浜に住んでいても、横浜高校と愛媛チームが対戦すれば当然愛媛チームを応援し、横浜の対戦相手が他の四国勢でも四国チームを応援するであろう。

八幡浜を出てから大阪、大牟田、東京、神奈川、新潟、群馬と転居し、定年になってからこの横浜を「終の住処」と決めた。
どの土地もそれぞれ思い出深いのであるが、生まれた土地のような強い絆はない。
当世風に言えば、私のDNAには「八幡浜」が強く組み込まれていて、これは死ぬまで変わらないのであろう。

東京や大阪などの大都市では中高年の大方が地方の出身者である。あまり郷土意識を出さなかった人でも、高校野球が始まると郷土チームを応援する事になり、
「あなたは○○県の出身でしたか」
と、出身地が判ったりもする。
高校野球シーズンは都会の地方出身者に郷愁を感じさせる季節である。

大学卒業以来、化学会社に三八年も勤め、定年退職して五年が経った。今でもこの会社の株価を新聞で気にすることはあるが、会社との関係はほとんど無くなってきた。
私のDNAに組み込まれた会社の記録は、三八年という長さにも関わらず、郷里に比べるとかなり弱いように思う。
会社の絆は次第に薄くなって、尾てい骨のように痕跡を留めるだけになるのかも知れない。

この度、この様な私が八幡浜新聞にエッセーを掲載させていただくことになりました。
横浜から身辺の出来事やその思いなどを書いてみたいと思います。
ご愛読下さい。

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