第3回「浜風にのって」(2001年8月5日)

自画像

 多くの有名画家が若い頃の自画像を残している。
 有名画家も若いときはモデルを雇うことができず、手近な自分の顔を描いて勉強したようだ。
 私は月三回ほど人物画講座に通っているが、もっと上手くなりたいものと、私も有名画家に倣って自分の顔を描いてみることにした。

 妻から鏡を借りてテーブルの前に置き、つくづくと自分の顔を眺めた。 若い頃と比べると額が広くなって、生え際が後退し、前頭部の髪がずいぶん薄くなった。
 目を凝らして見ると、生え際にあった小さなほくろが生え際から二センチ以上も離れて、額のなかで離れ小島のようになっている。
 生え際の境界がはっきりせず、毛髪がまばらで頭皮がよく見える。

 私は生まれつきの二重まぶただったのに、まぶたが下がってせり出し、覆い被さるようになって一重瞼のようになった。
 目尻と目の下が垂れ、ほほから唇の両端にかけても垂れており、あごにもたるみがある。顔を覆っている皮膚が弾力を失い、このため、顔の表面が重力に抵抗できず下がってきたのである。
 皮膚のたるみや垂れはどうしようもなく、歳に見合った容貌であろう。

 鏡の中の顔を見ながら、二号の紙に粗くスケッチしてみた。
 表情を変えたり、斜めに向いたりした五枚ほどのスケッチを妻に見せると、間違いなく私の顔だという。

 さらに、六号の用紙に細かくデッサンし、淡彩で色を付けてみた。
 妻はこの絵も確かに私の顔だという。さらに付け加えて、
 「この絵は誰も貰ってくれないし、家の中でもお父さんの部屋しか飾るところはないわねー」

 今までに、私の描いた果物や花などの絵を欲しいという人がいて、差し上げたことが何回かある。
 私の描いた私の顔をじっくりと眺めてみて、この絵を飾って楽しむ人がいないことに納得せざるを得ない。

 淡彩で描いた絵をもとに八号か一〇号ぐらいの油絵を描くつもりでいたが、これ以上描く元気がなくなってしまった。

 淡彩の自画像を眺めていて気が付いた。私の顔が額から目のあたりにかけて亡くなった父に似てきたようである。

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