第4回「浜風にのって」(2001年8月11日)

8月15日

8月15日が来ると、昭和20年のこの日のことを思い出す。

暑い日であった。大事な話があるとのことで、家族全員がラジオの周りに集まった。
当時、国民学校と呼ばれた小学校三年の時のことで、放送内容については覚えていない。

放送が終わった時、
 「戦争は負けたらしい。もう働く元気がなくなった」
 と、父が言ったことを明瞭に覚えている。

その後、父は今までと同じように野良仕事に励んでいたし、私もせみやとんぼをとったりして遊ぶことに夢中で、その夏休みに戦争に負けたことで印象に残っていることはない。

8月15日が私にとって忘れられないのは、その後に起こった価値観の180度転換の起点になっているからである。

「神」から「人間天皇」、「軍国主義」から「民主主義」、「鬼畜米英」から「あこがれのアメリカ」などその例である。

なかでも天皇に従属する国民から、国民一人一人が主役であり、その国民の総和が国家であるという主権在民になったこと。
あわせて、国民一人一人はすべて平等で、老若男女の誰もが基本的人権をもち、職業や宗教によっても差別されてはならないということは、今から考えると幼いながら、強く頭に刻み込まれたことであった。

昨今の社会状況をみると、戦後民主主義と呼ばれるこの様な基本的な考え方をもう一度再確認しなければならないように思う。

利権に結びついた政治家、権力を背景にする奢った官僚、保身に終始する経営者、偏差値教育の教育界など、ふるえるような新鮮さで学んだ戦後民主主義をもう一度思い出して貰いたいのである。

ノーベル文学賞の大江健三郎さんが、戦後民主主義の観点から文化勲章を受賞辞退されたことはまだ耳新しい。
 我々は知らず知らずのうちに、戦後のスタートとなった基本的な考え方から外れているようだ。

8月15日を迎えるとき、今一度、戦後民主主義を規範にして考えれば、多くの社会問題が解決されるのではないかと思う。(山下光雄著「定年からの青春」より転載)

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