今回旅した地域はケベック州で、この地は元もとフランスの植民地であった。現在もケベック市では90%がフランス系の住民だという。
何年か前、ケベック州でカナダから独立の住民投票が行われ、賛成者が過半数に達しなかったと報じられたことが頭に残っていた。
だからケベックはフランス色の濃い地域だとは思っていたが、フランス色の強さは予想を超えるものだった。
まずモントリオール空港に着くと、アナウンスがフランス語に変わり、表示は全てフランス語となる。人々の話し声に聞き耳をたててみると、フランス語しか聞こえてこない。
我々の運転手も現地の人達と話すときはフランス語で、添乗員のときだけ英語になる。
聞いてみるとカナダの歴史はイギリスとフランスの領土争奪戦である。
最後にイギリスがこの戦いに勝ち、ケベック州がイギリス植民地となった。
その後もフランス系移民は言語や信仰、伝統文化などを持ち続けてきたが、社会的にはイギリス系が高い地位を占め、イギリス系の優位な社会が続いてきた。
フランス系はどうしてもイギリス系の下位につかざるを得ず、これが長い間の不満となっていた。
ケベック州はカナダからの独立はならなかったが、独自の法律を作り、カナダ国内にあって、フランス色の濃い社会作りを進めている。
公用語がフランス語となり、50人以上を雇用する企業はフランス語で経営しなければならなくなって、ケベック市から逃げ出した企業もあったという。
ケベック市はフランス語の街となり、フランス文化圏が誕生した。
ケベックを走る自動車は、ナンバープレートの下部に「私は忘れない」とフランス語で書かれており、フランスの伝統文化を持ち続けるようアピールしている。
ケベック市にプチシャンプラン通りという古い街並みがあって、ここを歩いてみた。道の両側のブティック、レストラン、みやげ物屋などの飾り付けが、石畳と調和してとてもお洒落である。その色使いは華やかでシックなフランスをイメージさせるものがあった。
ケベック市の古い街並みはフランスの香りを色濃く残し、「北米一のロマンチックな街」の呼び名にふさわしい。(続)