第46回「浜風にのって」(2002年6月1日)

皇居東御苑

近代美術館行った帰り、皇居東御苑を散策した。

 

この公園は江戸城の本丸、二の丸、三の丸のあった場所で、皇居全体の3分の1を占めており、昭和43年から一般公開されている。

 

北桔橋門から入ると、警備員がいて、「出るときに返してください」と、白い円盤状の入門票が渡された。

門をくぐってすぐの所に石垣が見え、江戸城の天守閣跡(写真)である。

石垣はベージュ色の石で組まれていて、思ったよりも小さかった。資料では「地上60bの天守閣を備え、天下一の景観を極めた」とあるが、とてもそのようには見えなかった。

 

傾斜の道を登って石垣の上に出ると、高いビルに囲まれて、皇居の緑が広がり、まるで砂漠の中のオアシスである。

天守台は大きくはなかったが、ここから見える皇居は広大で、その緑の茂みは「世界にも比類なき大城であった」との説明に納得出来る。

 

公園内は夫婦か数人で散策している人を少し見かける程度で、閑散としていた。

 

「園内での飲食は御遠慮下さい」とのことで、ベンチも見あたらず、売店もなく、わずかに休憩所に飲み物の自動販売機があるだけだった。

 

何処を見てもゴミ一つ落ちておらず、芝生や植栽がよく手入れされていた。雑然とした1千万都市の中に、この様な閑静な場所があるとはとても信じ難い事である。

 

大阪や名古屋を始め、多くの都市が城を中心として発展し、現在も城をシンボルとしている都市が多い。

東京は城址が皇居となったため、都市の中心に広い緑地が残った。

このことは素晴らしい事であるが、このため、東京は道路網が複雑で判り難く、顔の見えない都市になったことも否めない。

 

江戸城の跡が皇居にならなかったなら、コンクリートの城が建てられ、道路が碁盤目に走ったかもしれない。

そうなると緑も失う事になり、現在の方が良いようにも思う。

 

南端の大手門で入門票を返して公園を出ると、正面に無機質のビルが建ち並んでいた。

大手町ビル街である。公園とビル街を分けているのはオリーブ色の水をたたえた濠で、まるまると太った鯉と亀が泳いでいた。

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