先日、隣の中学2年生の男の子がパソコンを使わせて下さいとやってきた。
聞いてみると、その子のパソコンが故障し、宿題ができないので、私の方のパソコンを貸してほしいという。
早速、私のパソコン(写真)に中学生を案内し、私も宿題につきあってみた。
宿題は2問あって、1問目は「果物電池」、2問目は「日露戦争」について調べるというものであった。
インターネットで「果物電池」と「日露戦争」について検索し、たくさんの資料の中から、分かりやすいものをそれぞれ2点選んで、コピーをとった。
この間、30分ばかりで、コピーした資料を簡単にまとめれば、宿題が完了という。
中学生が宿題をインターネットで調べるとは私には全く思いの及ばぬ事であった。
聞いてみると、インターネットは簡単に早く調べることができて、宿題には欠かせないのだそうだ。
確かに、インターネットには何でもあって、インターネットで大抵のことは調べられる。また、岩波文庫の百冊といったようなCDも売られていて、これらのものを利用すれば本を買わなくても、岩波文庫も自由に読めるのである。
最近、中学生は新聞も本も読まなくなったと嘆く新聞記事が出ていた。
中学生に限らず、小学校から大学生、さらに社会人も、若い人はかなりの人がパソコンの前に座り、パソコン画面を見る時間が多くなっている。
本や新聞とパソコンを見るのは同じではないけれど、パソコンが本や新聞を代替していることは間違いない。
私は新聞を読んだ後、パソコンのスイッチを入れ、メールをチェックし、新聞社のページを開いて新しいニュースなどを見るのが日課になった。
私の知人はインターネットで世の中の事は分かるので、新聞を止めたと言っている。
新聞記事とインターネットの記事は同じようなもので、新聞を読む必然性は薄れてきたかもしれない。
1月から私はインターネットにホームページを開き、このエッセーと私の絵などをのせている。
私のホームページを見ている人はごくわずかではあるけれど、先日私のミスでホームページが開けなくなったとき、何人からか問い合わせが来た。
私のホームページを定期的に見ている人もいて、うれしい事である。
今回でこのエッセーは2年目を迎えました。これからもご愛読下さい。