外国品 昔はだれも 自慢した
これは私の下手な川柳である。
私の若いころ、外国品は高価で、外国品を持つのは誇りであり自慢であった。今はすっかり外国品に取り囲まれているが、とても自慢できるものはない。
食料品については以前書いた通り、外国産があふれており、身の回りの物も外国製品ばかりなのである。
身につけているものではトランクスとTシャツ、帽子、サンダルが中国製、半パンがシンガポール製である。
電気製品はラジカセが中国製、扇風機がマレーシア製(写真、4500円)、パソコンは本体だけが日本製で、モニターとキーボードが中国製、プリンターはタイ製、マウスはマレーシア製で、デジカメは中国製である。
10年以上前に購入したものを除けば私の回りで日本製は車ぐらいなものであろうか。
私が社会人になったのは1959年(昭34)で、そのころ、外国品は高価、高品質で、誰もがあこがれるものであった。
普通のサラリーマンが外国製品を手にするのは難しかったが、それでも万年筆とかライターなど、外国製の小物を一つぐらいもって、自己満足したものである。
私はドイツ製の万年筆を大事に持っていた。
その頃になると、万年筆を使うことがほとんどなく、いざ書こうとしたときに、インクがかれて書けなかったことを覚えている。
円の値上がりと貿易の自由化によって、輸入品が安くなり、外国品が手軽に手に入るようになると、外国品を持ちたいという風潮が薄れてきた。
その後、中国やその他の開発途上国の安い製品があふれるようになって、今では外国品は国産品の安価な代替品になってしまった。
現在もグッチとかエルメスといったブランドものやドイツの車など高価な外国製品が根強い人気を保っているが、私には全く縁のない品物ばかりである。
せめて身の回りに日本製だと自慢できるものがないかと探してみると、日本製はティッシュペーパーとCD、CDホルダーぐらいで、自慢できるようなものは見あたらない。
外国産の食材を食べ、外国製品に取り囲まれて生活している私は国際人といえるのであろうか。