第80回「浜風にのって」(2003年2月1日)

雪の話(2)

初めて数10aも積もった新雪の風景を見たとき、その美しさにほれぼれとした。
すべてがふんわりとした曲線の雪で覆われ、見事な墨絵を見るようであった。

小学生だった我が家の子供たちも、雪国の初めての積雪に大はしゃぎで、雪だるまを作ったり、積み上げた雪に穴を掘ったりして遊んだ。

私同様転勤で移ってきて、この雪景色を見た酒好きのMさんは「今日は雪見酒だ」といって、職場の皆さんを誘った。
ところが、「雪見酒」には誰もあきれるばかりで、雪を眺めて一杯やろうという人はいなかった。

雪見酒というのは年に一度か二度、少し雪が積もって、すぐ消えるような土地での話で、冬の間2か月ほど雪に覆われる土地では雪見酒の風習などないのであった。
雪国の人にとって、雪は闘うものであって、酒を飲みながら愛(め)でるものではない、ということをMさんも私もその時は知らなかった。
この話は「Mさんの雪見酒」として、雪を知らないもののたとえ話として、後々まで語り継がれることになってしまった。

雪だるまを作ったりして、雪と遊ぶのも、転入者ばかりのようであった。
通りを歩いていて、雪だるまが見えれば雪のない土地から移ってきた人たち、と思ってもほぼ間違いない。

私は雪だるまは溶けてなくなるものと思っていたら、我が家で作った雪だるまは溶ける前に雪に埋もれてしまった。

私が新潟にいたころは、毎年積雪量が1b以上になり、私の記憶で最高は、庭の物干しざおの直下まで積もったので、1.5b以上になったと思う。
一週間か10日おきに寒波が来て、40〜50aの雪を降らせ、一冬にこれが何度も来て累積降雪量では数bに達したと思う。

どこもかしこも雪であふれ、家は雪で埋まっていた。もう雪は十分、いい加減にしてくれ、と雪空に向かって叫びたいような気分になった。

私が感心し驚いたのは、これだけ雪が積もっても学校が休みになる事もなく、、毎日の生活はふだん通り変わらない事であった。

バスは雪を屋根にいっぱい積んで走っており、一般の車ものろのろと走っていた。会社の勤務も雪が理由で休んだり遅れたりする人はいなかった

(写真は81年1月。屋根の雪降ろしをしている所)

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