宗恒文庫(茶道の本棚)

今まで読んできた茶道の小説・エッセー等、読み返しはじめました。

新たに読む本も簡単に感想を書きます。

岡本 浩一 《茶道教養講座》   淡交社 2013

茶道をしている人もされていない人も、日本人として知っておくべき茶道に関する教養が書かれています。

外国人に茶道について尋ねられて困った経験を持つ方は多いのでは。 《侘びとは?》《茶道って何?》など・・・私も経験があります。

流派がいろいろあるわけとその歴史、中国の台子点前から草庵茶に変化していった経過、茶道のために作られた楽茶碗と高麗の雑器であった井戸茶碗についてなどオールランドな教養講座。外国人ばかりでなく茶道をしていない日本人からも尋ねられた時にコンパクトに答えられるようにしたいです。

《侘び》は「wabi」と英語でもあるようですが、この本で初めて《侘び》の英訳が”beauty of imperfection"または"beauty of asymmetry"ということ知りました。《不完全の美》《不均衡の美》。もっともこれは主に物質的な例えば庭や茶碗などに対してであろうかと思います。

山本 兼一 「利休の茶杓」   文芸春秋 2014

 

江戸後期、仲の良い夫婦が営む道具屋「とびきりや」で起きた道具にまつわる六話。

堆黄香合・都鳥香合・楽茶碗《鈴虫》・自在の「龍」等にかかわった道具屋の話。最後の話に「利休の茶杓」が出てくる。

茶道具は昔から高値で売り買いがされている様子がわかる。たかが茶碗、竹の棒きれの茶杓が利休とか楽という事になると途端に何百両にはねあがるのです。

現在も同じ…現在では家元の書付があると途端に高額となります。

火坂 雅志 「利休椿」   実業の友社 2007

秀吉が利休に聚楽第の茶室造営を任せた。その茶庭にどういう椿を植えたらよいか?

椿職人の又左はいろいろ提案する。華やかな八重の椿は秀吉は喜ぶだろうが、利休は一重の優しいものが良いのではという。 淡桃色の中輪、筒咲きのものを又左は京都中を探すが見つからない。

利休は夢に見た紫の椿をと言い出す。又左は故郷でそれを見たことがあるような気になり故郷に帰る。

故郷には昔愛した女がいる。しかしその女は無理矢理にほかの人の嫁に・・・そしてその女は又左が昔見た紫の椿の大木のもとで自害。その椿も切られていた。

ガッカリしながら京に帰ったが、その数日後に利休が切腹を…そして又左の椿園もとりつぶされた。 

筒井 紘一 「知って得する茶道のいろは」  淡交新書  2014

いろいろ昔に書かれた茶書からの知識が書かれています。

帛紗・躙り口・柄杓・紙釜敷きその他のものの使われ始めたいきさつ、変遷など・・・。

香炉で香をたくことが普通であったが、いつしか炭手前で香合で香を火にくべて焚くようになったことや、建水を持ち去るとき裏周りで帰るわけなどが興味深かったです。

 

京都新聞出版センター 「茶の宇宙・茶の心」   2007

裏千家、表千家、武者小路千家、藪の内の主な茶室について、写真や間取りなどで詳しく説明されています。

一畳台目という極小茶室は今日庵。待庵は二畳です。

官休庵は一畳台目二半板付です。表千家の不審庵途藪の内に燕庵は三畳台目。

最後に中村昌生氏は文を書かれています。これらは400年も同じ土地で屋敷を建て、継ぎながら代々活動をしている京の茶家。貴重な文化遺産であろうと述べています。

茶道は美術工芸に与える影響が大で茶道の宇宙は広大、日本文化の究極であると締めくくっています。

岡倉 天心 国際シンポジウム「茶の本」 小学館スクエア2006

 岡倉天心著「茶の本」刊行100年記念の国際シンポジウム(2006)の記録。

ボストン美術館時代の天心について当美術館の学芸員の方が、茶室建築につて建築家の磯崎新氏が、茶道論として熊倉功夫氏が・・・というようにテーマごとにその専門の方がパネルディスカッションで述べられたことが載っています。

私は熊倉氏の章を興味深く読みました。

茶が芸術であり、美術であり、美であるという天心の主張は今の茶道論とは全く違う。

天心は「茶の本」でなくても「花の本」「香の本」というタイトルでもよかったのでは。「茶経」を意識して「茶の本」ということにしたのだろうと氏は述べています。茶が美であるという発想は近代の数寄者に影響を与えたことだろう。

私は天心の「茶の本」は茶道をする者にはバイブルのようなものと思っていたが、そうでもないようです。

千 宗屋  「茶味空間」 マガジンハウス 2012

 若い宗匠の新しい活動を冒頭にかかげ、日本文化・美術・宗教などにも言及。

茶の周辺の章では、茶道具や茶室などひとつひとつ取り上げられています。

唐物から和物に変わっていった経緯を、「まず道具ありきの茶から 茶のための道具発見」への意識改革と分かりやすい表現をされます。

オリジナルの形を「写し」で連続させること、つまり形の重視ということで何百年も続く。

帛紗捌きは、clean up より purify であり点前をする人やその場にいるかたの心を集中させるための所作である。

 

堀内 議司男  「男子の茶道ことはじめ」 原書房 2004

 ひょんなことから遠州流お家元の秘書になられた方のエッセーです。

男の視点から茶道のことについての疑問・提言・私見が書かれています。

現在は秘書を辞められ、大きな視点からグローバルに茶道を広めていきたいとおっしゃって「茶道文化フォーラム」など立ち上げて活動されています。

納屋 宗淡  「関守石の独り言」 淡交社 1989

玄室大宗匠の弟さんのエッセイです。

次男という立場で家元を陰から支えていらっしゃった方で、本の題名も何と奥ゆかしいもの・・。

内容は茶道を学ぶ方や、茶道教授者への心構えや、注意すべきことなど書かれています。

点前の順序だけ教える時代は終わった、茶道の精神、哲学など総合文化としての茶道を伝えていかなくてはいけない。

茶の心を学ばなくては単なる遊芸・道楽になりかねない。一碗の薄茶を点てるにも心が大切。

終わりの章では父淡々斎、母、兄、早世した弟さんなどについて述べられています。

海音寺 潮五郎  「茶道太閤記」 朝日新聞社 1970

秀吉の正室、寧々と淀君、それに側室4人の女が、佐々成政が白山から持ってきた珍しい黒百合を巡ってのドロドロとした戦い。

それに巻き込まれた利休の娘お吟・・・・お吟を側室にしようと執拗に迫る秀吉に対し利休が、しっかりとガードする。

歌麿の《太閤五妻洛東遊観図》←を見て、興味をそそられ、読みました。

千 玄室  「千玄室が語る茶の楽しみ」 ランダムハウス講談社 2004

 家元を16代に譲られたからこそ、自由な八方破れの発言や行動をすることができるようになったと、大きな視野に立った意見を述べられています。

現在の状況を危機意識を持って、茶道を通じて戦争のない世界をつくろうと述べられます。

「いかがですか」「お先にどうぞ」「ありがとう」「いただきます」…お茶を点てて勧めあえばお互いに勧め合う心が出来て良いコミュニケーションとなるのです。

茶道は"way of tea"…《心の道》なのです。

勅使川原 宏  「私の茶道発見」 淡交社 1991

 草月流の家の生れた氏が「茶道発見?」とは是如何に・・・と思って読みました。

芸大で絵画の勉強をされ、陶芸にも興味を持っていろいろ焼き物を見ていたところに出会ったのが、織部の茶碗。 400年も昔にこのような現代を超えた前衛的な作品を作った人がいたことに衝撃を受けられたとか…。

そこから茶道に入り、利休のいた桃山時代はキリスト教が入ってきたり西洋風のものがどっと入ってきた時代。それにも影響されることなく織部は自身の美意識で茶碗を作った。また利休は黒楽や、竹の花入れなど考案した。

茶道を深く知るうちに氏は《利休》という映画までお作りになった。

田中 仙翁 「茶の美と生きる」

 日本茶道学会の会長であられるので、教える立場にある方へのアドバイスなど書かれていて、私にはとてもためになりました。

初心者に初めから完璧をもとめてはいけない、所作の順などすべて言って教えては生徒は云わ

れるままの稽古でしかない。点前は自分の意志で行うものであるこ。

長く茶道をしたからといって、自分ではできたという自負が邪魔して進歩は期待できない。

いろいろと考えさせられる言葉が多く、とてもためになりました。

山崎 武也 「なぜ、一流の人はお茶をたのしむのか?」 2014 PHP

 茶の湯の世界はその精神、形態が500年近くも存在し続けたという事実は、それらが如何に優れていて、普遍性に富んでいるかの証しである。

茶道は「見るもの」でなく「するもの」。五感すべてを働かせる結果となる。

茶道の文化力、優しさの文化、和敬清寂の精神、心に訴えるコミュニケ―ションなど36章で、茶道の人生哲学性、普遍性を述べられている。

千 玄室 「生かされている喜び」 淡交社

 

檀 ふみ 「茶の湯はじめ」

 春の《大師会》、秋の《光悦会》に参加した時の感想。

坐忘斎との対談では壇ふみ初の茶会へのアドバイスをいろいろ頂く。

例えば、茶の湯とはこころに伝え眼に伝え、耳に伝えて一筆も無し…書かれたことに捕われず、五感で学びなさい。

また、ソクラテスの《無知の知》…知らないことを自覚することが本当に知るための出発点である…など。

山福良弘一郎 「茶の湯の知恵」 2012 淡PHPエル新書

 茶の湯のおもてなし・気遣い・見立て・自然観などには日本風土、日本人の気質にもとずいた様々な知恵がある。

その中から現代社会をより良く生きるためのヒントが沢山あるという。

茶道の「和敬清寂」は人生哲学である。

山本兼一 「利休の風景」 2012 淡交社

 「利休にたずねよ」の作者の第二弾。今回は小説でなく、実際の利休論に迫る随筆。

 利休とはどういう人物であったか、もし今生きていた是非こういうことを聞いてみたい・・など、史料から、また実際に茶室《待庵》に行っての感想、また当代楽家当主との対談で、利休の”ひととなり”とその時代背景を述べられています。

 「利休にたずねよ」の作者の第二弾。今回は小説でなく、実際の利休論に迫る随筆。

 利休とはどういう人物であったか、もし今生きていた是非こういうことを聞いてみたい・・など、史料から、また実際に茶室《待庵》に行っての感想、また当代楽家当主との対談で、利休の”ひととなり”とその時代背景を述べられています。

 利休は情熱の人であった、美意識を貫く強い精神を持った《美の巨人》といえる。

 井戸茶碗の謎、唐物茶入が一国の価値にもなった訳、当時の人気絵師狩野永徳でなく無名だった長谷川等伯の起用の訳・・・・など興味を引く話題が多いです。

有馬頼底 「茶の湯とは何ぞや」 2012 世界文化社 

相国寺の管長でいらっしゃる方がお書きになった本です。

お茶に親しめば親しむほど、究めれば究めるほど茶の湯は禅に通じるものがある。その奥深さは禅に似て行きつくところがないとおっしゃいます。

茶禅一味というが、何も坐禅をしたり瞑想をしなくても、茶道そのものを一生懸命にやるということが坐禅と同じことです。目の前のことをおろそかにしないで、ごくありふれた日常茶飯の事ををきちんとしていくことが修業。それが禅の精神。

茶の湯の美しさは点前や道具にあるのでなく、その人の人格そのものである。

稽古場だけきちんと作法を守っていて、家に帰ればだらしなくなるのでは茶道をしている意味がない。・・・・ぐさっと心に響きますね。

「茶の湯とは何ぞや」…永遠のテーマのようです。

立花 大亀 「利休の茶を問う」 2012 世界文化社 

105歳で遷化された大徳寺大住職の遺稿集。

茶禅一味といって茶道と禅は不即不離の深い関係があります。茶の湯は美の探求の場であり、物による宗教の場であるとされています。

禅の「幽玄」、茶道の「侘び」・・・この侘びも時代によって変ってきます。現代は現代の侘びというように・・。「侘び」「さび」という 分かりにくい哲学をいろいろな例を挙げて述べられています。

侘びの精神として 大燈国師の ”こもかぶり 乞食じゃないぞ 寒牡丹” の歌が印象的です。

さすが、交友関係もすばらしく、数寄者からの茶事のお招きでは、美術館で展示されているようなお道具でのおもてなしを受け、古き道具に眼福されています。

井ノ部 康之 「千家再興」1994 「千家奔流」1995 「千家分流」1996 読売新聞社  

《宗恒評》 利休が秀吉の茶頭にのし上がるまでの話と、切腹後の千家再興に奮闘する少庵とお亀、それに千家嫡男道安の確執が「千家再興」に。

「千家奔流」では千家断絶後、少庵は蒲生氏郷に預けられ、その間お亀は宗旦を利休の跡継ぎとさせるべく大徳寺に喝食として修業させていた。千家赦免となり、少庵がもどり、宗旦も千家を担うべく一生懸命に茶道に打ち込む様子が書かれています。

最後の「千家分流」では宗旦が息子3人をそれぞれ前田家・武者小路家・紀州徳川家に仕官させることに奔走。自分はどこにも仕官せず、侘び茶を全うする。

3冊を通して千家3代宗旦がいかに千家の危機を救ったかがわかり、三千家茶道が連綿と現在まで継承されていることの不思議を感じました。

千 宗室  茶話対座「一亭一客」  淡交社1994  

《宗恒評》 鵬雲斎と各界の名士、三浦朱門・安藤忠雄・稲盛和夫・福富雪底・上坂冬子・西村晃との対談集

閑隠席、又隠席、傘亭と素晴らしいお茶室で、千家のお宝道具を使った贅沢な一亭一客で対談されています。

三浦朱門氏とはカトリックと茶道の話を、稲盛和夫氏とは新しい陶器のお茶碗談義、・福富雪底氏とは禅と茶道の話、茶道に興味を持つ外国人が多いことの分析・・・・等一流の方々との内容の濃い対談が収められています。 

木村 宗慎 「利休入門」 とんぼの本(新潮社)2010  

《宗恒評》 今さら利休入門でもないと思ったが、、木村氏の利休論は興味深い。

 「茶椀」「茶室」「飾り」「侘び」「能」「禅」「死」「神」「形・という項目で利休論を述べられています。

 晩年の利休は道具の否定・名物の否定・鑑賞の否定をした、名物を否定した利休自身が今や名物になってしまっている。利休形の道具を模倣して作った道具は確信的贋作。そこには利休の思想は無く、有るのは信仰。

 今の茶の湯はあまりにも利休を多く語らせている、私たちはしばらくの間利休を忘れるべきかもしれないと締めくくられています。

 裏千家茶道を学ばれ、茶道稽古場を主宰されている木村氏が、結構思い切った理論を展開されており、女性が多く占める茶道界に こういう男性の考えがこれからどんどん出てくれば茶道も進化してくるのではと思いました。

 

千 宗屋 「茶―利休と今をつなぐ」 新潮社新書 2010  

《宗恒評》 千宗屋氏は最近著書が多い。これからの茶道を担う若い宗匠がいろいろな意見を世間に発信していらっしゃる。

茶道は宗教であろうか?芸術か?それとも道徳であろうか?

宗屋氏は現代美術を例として、茶道はインスタレーションであり、パフォーミングアートであり、宗教・芸術・道徳等のジャンルでくくれず、「茶道は茶道である」るとおっしゃる。

確かに茶道はいろいろな要素を含む独特な文化で、「茶道は茶道」という意見には納得。また点前という 動きと時間の経過が織りなすものということでインスタレーションであるともいえる。

茶道の先生は数多くいるが、真の茶人は少ない。明治の初期は数寄者の道具茶があったが、今の茶道は作法茶・点前茶・稽古茶。・・・・確かに・・・これでよいのだろうか?

平明に茶道の魅力・楽しさ・厳しさを伝えている本である。

町田 宗心 「茶の湯の常識」  光村推古書院 2008  

《宗恒評》 石州流不昧派の十四世。

利休伝書から茶道の常識を書かれているが、「えっ!そうなの」と思うこともいろいろ。

客の作法も昔は身分によって違っていたこと、色も皆で拝見する濃茶の飲み方、坐り方等昔の伝書から見る、今とは違う方法をいろいろ知ることができる。

 

千 玄室 「いい人ぶらずにいきてみよう」  集英社新書 2010  

《宗恒評》 人間にはもともといい人はいない、「欲の塊」が人間。欲もある一定のを限度を超えなければよい。その限度とは人に迷惑をかけない、このことを自分の中で規範ととすれば無理によい人を演じることはない。

現在87歳で家元という立場を離れた今、過去を振り返って昔の日本人の良い意味での強さを懐かしみ、今の日本の現状を憂いています。

教育では日本の大学は世界でも質が落ちている。学生も先生も最低のレベル、学生は学ぶことの本質が分かっていないし、教師も自信を持って学生を鍛え導いていこうという意識が薄い。

大学も少数精鋭のほうがよいし、また師範学校を復活させることも提言されています。

茶道の「和敬清寂」は人のあるべき姿を表した素晴らしい哲学。

茶道という枠を超え、社会のご意見番としての大宗匠の《どうしたら今の日本を良くしようか》という忌憚のない意見が書かれています。

千 宗屋 「もしも利休があなたを招いたら」  角川oneテーマ21  2011

《宗恒評》 著者は武者小路千家の家元後嗣、1975年生まれの若き次期家元です。

本のタイトルにひかれて読んでみました。茶の湯は接待でもサービスでもない最強のコミュニケーションのおもてなしと位置づけられます。

伝統文化といわれることに対して、「伝統」は過去に型が決まってそれ以上発展しない止まってしまったものという感じ、むしろ「伝燈」文化というべきではないか、これだと常に油を注いで守っていくという流動感があると言われます。

日本には素晴らしい文化がある…そのことに一番気づいていないのは我々日本人である。もっと自信を持って良いのでは。

最近茶道のことを外国に紹介するときにあえて英訳にしないで、「chadou」というようになったわけ、三千家は一子相伝で、千という苗字を増やさないことにしたことなど、興味深いことが読みやすく書かれています。

東京タワーが窓から見えるマンションに今風の若い感覚で茶を楽しむ空間をつくられるなど、茶道に新しい風を吹き込まれる予感ができる本でした。

岡本 浩一 「茶道を深める」  淡交会2008

《宗恒評》 著者は心理学者であり、雑誌「淡交」に茶道新講を連載をされています。

ちょっと難しい心理学用語に戸惑うこともありますが、変わった視点から茶道を分析、「あーそうだったのか」という事も沢山ありました。

結界の事、茶を2杓ですくう事、居前で「お服加減は?」と聞く事、見取り稽古、茶道は何に役立つかとの答え、悟り後の悟り等・・・興味深く読みました。

やはり男性の茶道はただ点前だけで満足するのでなく、理論的・学問的な裏付けを追及するのでしょう。

立花 大亀 「利休に帰れ」 里文出版 2010

《宗恒評》 本書は1983年に刊行されたものの新装版。

107歳で大往生された大徳寺の有名な高僧の書かれた本です。

侘び寂びについての独特の理論。禅の思想を交えた政治経済論。草庵の利休が、派手な信長や秀吉に仕えた心理、今日の茶道(と言っても四半世紀前)に対する苦言など歯に衣着せず書かれています。

 

 

千 宗室 「お茶のこころ」 文芸春秋 1966

《宗恒評》 玄室大宗匠が家元になられたばかりの頃の名著書。40代の頃のとてもお若い写真が巻頭に載っています。

「素晴らしい日本の文化は外国では栄えはじめ、日本では忘れかけている」と嘆かれ、我々は日本文化にもっと自信と誇りをもってよいとされています。

又大寄せの茶会での正客バトルはその頃もあったようで大宗匠は大寄せの茶会でこそ茶人が試される場、年期を積んだ方は正客と乞われれば素直にされて、亭主・正客・連客がお互いに気持ちよく過ごされるようにされたらと書かれています。

国民皆茶を目指されていた当時の大宗匠の心意気を強く感じる本で、読者に刺激、喝を入れてくれる読み応えのある1冊です。大宗匠の著書は本当に学ぶことが沢山詰まったものが多く、私は大ファンです。

山本 兼一「利休にたずねよ」 PHP研究所 2008

《宗恒評》 第140回直木賞受賞作品。

70歳の切腹当日から前に時系列にさかのぼって宗易、与四郎の時代までもどるという変わった構成。

章ごとに利休、宗恩、秀吉、織部、家康・・というように語り手が変わりま平易な文で、読みやすく夢中で読み終えてしまいました。
名 物茶器、点前、設え、懐石などの時代考証がしっかり書かれていて、利休当時の時代が頭の中で甦ってくるようです。

利休居士、千利休、千宗易、与四郎、田中与四郎と若返っていくにつれ、茶聖のイメージがだんだん薄くなり・・・、やはり利休も人間臭い一人の男だったのだと、結構放蕩息子であったのかも・・ということが・・・。

 

 

木村 宗慎 「所作美人」 サンマーク出版 2007

《宗恒評》 男子茶道家による 女性の身のこなし方の指南書。

顔やスタイルとは別に「きれいだな」と男性が女性に感じるのは、いわゆる《所作美人》。仕草、立ち居振る舞い、身のこなし・・等々。

茶道を通じてお点前ばかりでなく所作美人をめざすよう、日常のいろいろなことでの箴言がたくさんつまっています。

若い女性にお勧めの1冊。

岡倉 天心 「茶の本」 岩波書店 1982

《宗恒評》 この本は茶道のバイブル的古典。

明治時代に外国に向けて日本の茶の湯を発信したもので、英語で書かれているところがすごい。日本人の書いた英本を訳で読む・・珍しいものだ。

西洋が主流と威張っていた時代に、東洋のものを蔑視せず、理解を求め、お互いやわらかい気持ちになろうではないかと発信。

茶は禅の精神ばかりでなく道教の精神も入っていると茶の精神論に入り、茶室の西洋建築と違う美の素晴らしさ、芸術鑑賞論、茶道に於ける花に対しての独特の考え、最後に茶の宗匠の芸術に対する貢献の大たる事を賞賛しています。

幸津 国生 「茶道と日常生活の美学」 花伝社2003

《宗恒評》 本のタイトルだけ見て気軽に読み始めた本だが、これがひどく難解で往生した。

字面は良いのだが、何を意味しているか、読んでも読んでも分からない。今回読み返ししても依然難解。

著者はヘーゲルなどを研究している哲学者。わたしはきっと哲学的思考が未熟なのであろう。実際に茶道をされたことがない学者先生の茶道理論は凡人にはきわめて難解。

 谷 晃 「茶の湯の文化」 淡交社2005

《宗恒評》 文化とは何だろう、茶の湯って何だろう・・・と基本的なことから分析していきます。

茶の湯の性格を社交・儀礼・修行・芸術・遊興の5つとして説明。次に日本美術と茶の湯の美との関連に言及。

最後は茶の湯の表現と題して、茶室・絵画と書跡・焼物・工芸・点前・料理・について解説があります。

茶道の研究者の本はとかく哲学的で分かりにくいものが多いですが、この本は分かりやすく茶の湯を分析されています。茶道が総合芸術であるといわれる所以が私はこの本で納得できました。

 鈴木 皓詞 「茶の湯からの発信」 中清流出版 2002

《宗恒評》 著者は得度して僧籍に入られ、茶道も極まれた方。茶道をすることは心の鍛錬・・・と心について執拗なまでに各章書かれています。

《心こそ心迷わす心なれ 心に心 心許すな》  

茶をすることで心の持ち方・心の働かせ方・心の納め方を身につけるよう説いておられます。

千 宗室 「自分を生きてみる」 中央公論社 2008

《宗恒評》 序章に《茶の湯は日本のポータルサイト》とある。つまり総合芸術である茶の湯は日本を知るための格好の入口であるということか・・。

茶会で亭主・客はそれぞれ自分の役割に徹するが,あくまでも自己満足で終わってはいけない、心配り、思いやりがあって初めて”一座建立”となる。

禅の精神をお家元流にかみ砕いて、人の生き方、心構えを説いています。

箱書きに対する家元の新しい考え、座礼に対する新しいコンセプト等もあり、単なるエッセーではなく家元としての独自の考えを発信されています。

千 宗室 「昨日のように今日があり」 淡交社 2006

《宗恒評》 当代お家元の軽いエッセー。月ごとに茶道・京都を軸にその時期にちなんだエッセーが書かれています。

《京都の2月は愛想がない、つんけんしている》・自然の移り変わりを《動く日めくり》・・・など、表現が新鮮で,研ぎ澄まされた感性の文体で綴られています。

やや言の葉に酔った感もありますが、茶道家元というより、詩人や文学者の文を読んでいるような錯覚すらします。

加藤 恵津子 「<お茶>はなぜ女のものになったか」 

紀伊国屋書店 2004

《宗恒評》 女性学者がこのテーマ研究のため茶道教室に潜入、そこで学ぶ人々から聞き取り調査して分析し論文を書き1冊の本に仕上げたといった本。

専業主婦が多数であった時代に家庭でのもてなし役としての主婦の勉強が茶道であった。茶道は勉強することがいくらでもあるため楽しく年を重ねても続け、唯一老人が尊敬される場所でもある。男は企業戦士として茶道などする暇がなかった。

現代は女性でも男性とともに働く時代なので、茶道を学ぶ女性も今までの作法として茶道を学ぶというより男性のように点前作法より道具に関心を寄せた芸術としての茶道になっていくであろうと言う。

原 啓次郎  「茶の湯と人間学」 沈黙出版 1997

《宗恒評》 ビジネスマンの著者から見た茶道解説書。

《顧客満足度》を重視する経営と、《もてなし文化》を追及する茶道の接点から茶道を観察、マンガでの茶道の解説も楽しく、歴史や流派、稽古の意味、男の茶道などについても言及されています。

千 宗室  「茶の真諦」 淡交社 1980

《宗恒評》 今の玄室大宗匠がお書きになった茶道の理論教科書的な本。茶道は《実》《学》があってその先に《道》があるもの。

点前の《実》、理論の《学》・・本書はこの《学》の勉強になる本。

100篇近いテーマをわかりやすく説いて、これは何回も何回も読んで頭にしみ込ませたいもの。

茶道を修行する人には常に座右に置いておきたい珠玉の本です。

桑田 忠親 「茶道の歴史」 講談社学術文庫 1987

《宗恒評》 昭和36年から数年間にわたって五島美術館で行われた講演録。話し言葉で書かれているのでとても理解しやすい。

いつも座右に置いて勉強したい1冊。

最後の章 《茶道の近代化と現代茶道のあり方》は 興味深い。今から40年以上も前に提示された著者の茶道のあり方・・・現代にも相変わらずいえることなのでは、まったく旧態依然・・のようにも感じます。

宮尾登美子 「松風の家」 文春 1992

《宗恒評》 明治初年、茶道衰退期 京都の茶道宗家《後の伴家》が苦境に立ち向かい宗家再興を期していく話。

裏千家の実話をもとに?書かれたと思われる小説。

登場人物を「多分この方は〇〇でしょう」と推察でき、主人公の由良子さんも実際にいらしたのかしらと興味がそそられます。

世の中がガラッと変わった明治に 伝統を守ってきた茶道の宗家が如何に大変であったかが、又中の人間模様がいろいろで、伝統文化を継ぐ家で、継承者を確保することの大変さ・・・皇室と同じ?のようです。

黒田宗光 「茶の湯 稽古場日誌」 淡交社 2006 

《宗恒評》 著者は女学校生活を戦時中に過ごされ、戦後淡々斉の直門稽古で修行され今は後輩の指導にご活躍されています。

入門して割り稽古、薄茶・濃茶と稽古をしていく生徒さんとその先生のお稽古場風景。

こんな先生にわたしも習いたいなと思うほど、充実したお稽古場、いろいろな言葉・動作等の説明・・・・何回読んでもためになること多し。お薦めの一冊です。

小堀宗実 「茶の湯の不思議」 NHK出版2003

《宗恒評》 遠州流の若宗匠の書かれた本。流派を超えて、若い方にはハンディで読みやすくためになる本と思います。

茶道の点前・しつらえ等の《何故?》に明快な理論的裏づけが書かれています。

そのほか”きれいさび”の遠州流のもてなしの美学など、宗匠になられたばかりの若宗匠の茶道に対する意気込みが感じられる本。

三田富子 「お茶の技は心のかたち」 淡交社2003

《宗恒評》 お辞儀、歩き方、点前の手つき、茶碗の出し方などすべての所作にその人の心が表れる。

”形から心”という茶道の修行ですが、”形から心”で修行して最後は”心から形”になるのだと思う。

稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもとのその一・・・に通じるのではないでしょうか。

田中 仙翁 「茶を学ぶ人のために」 小学館1988

《宗恒評》 明治23年に設立された若い流派、大日本茶道学会の会長氏が書かれたもの。この学会の特徴は秘伝を開放、講義録の発行。茶道は本来無流儀であると言う理論で学会と名を付けたそうだ。

茶道を学ぶ人に点前上達法を、教える人のために教えるポイントも書かれていて、私には参考になることが沢山ありました。

教えるほうも稽古の準備をちゃんとしておかねばならないことはいつも肝に銘じています。

千 宗左「茶の湯随想」 主婦の友社 2001

《宗恒評》 表千家家元のエッセー。茶の根本はおいしいお茶でもてなすということ。もてなの心もお点前もさりげなくすることが大事。

お点前もその人らしい点前でよい。何より大切なのはおいしいお茶を点てるということ。お茶の分量や、お湯の温度、量に気をつけ、自分で何度も点ててみて自服することの大切さを説いておられます。

有馬頼底・真野響子「禅の心 茶の心」

朝日新聞社2006

《宗恒評》 場所を変えて3回のふたりの対談集。緊張感も伝わる対談。

真野響子の深い予習と準備での自信ある会話、有馬禅師のおおらかな、また厳しくも温かみの会話にひきこまれます。

《茶禅一味》の大きな宇宙に入り込んでしまったような錯覚が。宇宙の中の茶道・・いつも稽古をしている茶道が小さく感じられます。

 

荒井宗羅 「和ごころで磨く」 清流出版1997

副題 ビジネスにいかす茶の湯の精神 

《宗恒評》 女流茶人見参!と本の帯に。

著者は表千家不白流のお若い美人の師範。キャリアウーマン茶人。自身を異端茶人といっておられるが、先を見すえた考え方は共感することが多い。

「茶の湯とは?」の問いに対して 他者の意見ばかりで定義するのではなく、たとえ稚拙でも自分の独自の定義を創設しなければならないと書かれているのにインパクトを感じます。

茶道の五感・精神・極意を独自の観点から述べられていて、《ビジネスマンよ 茶道をなされ!》と、茶道がビジネスに役立つヒントを包含していると述べています。

森下 典子 「日日是好日」 飛鳥新社 2002

《宗恒評》 学生時代に茶道を始めた著者が、始めたばかりの頃の稽古場や茶会でのいろいろな出来事、珍事を回想、年を重ねるにつれて茶道の見方、季節の味わい方等に目覚める過程など、共感することも多い。

人生いろいろなことが起るが、今を生きることの大切さ、《日日是好日》の考えを教える茶道で、救われることがあることを述べている。

朝比奈恵子「茶の心」河出書房1990

    「茶の湯そして禅」河出書房1981

《宗恒評》詩人の感性で、豊かな語彙・繊細な表現で茶の湯を紹介

いつもの茶道とは別世界の朝比奈ワールドの茶道に迷い込みます

詩的表現で 茶道の素晴らしさを再認識させてくれる本

千 宗室「みどりの一碗から」講談社(1989)

《宗恒評》 茶道とは・喫茶の歴史と茶道の歴史・これからの茶道等について 分かりやすい文体で、小説を読むように茶道のアウトラインが分かる

初心者には必読書

上級者にとっても何回読んでも勉強になる本です

有吉玉青「お茶の冒険」 講談社 1998

《宗恒評》藪の内流茶道を習い始めたばかりの時の著者の春夏秋冬の季節ごとの経験・体験が、軽いタッチで書かれています。正客バトル・和ロマセラピー等ナルホドという著者の造語が魅力的。

流派に関係なく茶道共通の話題が楽しく読めます。

藪の内流のこともいろいろと分かり、裏千家流との相違など面白いです。

 

塩月 弥生子「茶の湯歳時記」TBSブリタニカ 1981

《宗恒評》塩月弥生子氏の冠婚葬祭シリーズの本は昔大分読みました。

この本は睦月から師走まで月ごとに茶の湯にまつわる季節の話題が書かれています

宗家に生まれた塩月氏ならではの各季節ごとの宗家の行事、特に除夜から新年を迎えるまでの宗家の様子など興味深く読みました

c 2010 宗恒茶道教室

HOME