思いつくまま*2002.10‐12*
new 2002.12.20 茶筅供養
先生のお宅での稽古納めは茶筅供養です。お軸は「看々臘月尽」脇床には赤い紙に書かれた「般若心経」のお軸。その下に供養する茶筅が紅白の奉書に束ねられ飾り 一番上には赤い糸で結ばれた茶筅があります。その茶筅を使って濃茶は茶筅荘り。皆さんで美味しい濃茶を頂いた後は後炭。
巴半田を持ち出し下火をきれいに整えて点炭のところに先ほどの茶筅を入れ焚きます。火吹き竹で、火勢をつけると案外すぐ炎が出て燃え始めます。ちょっと煙が目にしみますが、燃え尽く間にこの一年無事に稽古ができたことを感謝しつつ「般若心経」を唱えます。その後は、甘酒を頂いて、お薄をゆっくり頂きました。今年もよい稽古納めができました。
2002.12.04 準備と始末
茶道では、「初めの準備、終わりの始末」をとてもやかましく言います。稽古で、点前をする時でも、道具は正しくセットされているか、お菓子はちゃんと整っているか、炉の火の具合はどうか、釜の湯はちゃんと分量があるか等チェックし用意周到にしてから点前をはじめます。終わった時は、道具をきちんと清めて、納めるべきところに納め、次に使う方がすぐ使えるようにしておきます。私も稽古日の前日は、次の日に行う点前に必要な道具、お菓子、抹茶、を準備、花も心積もりしておき、着物も小物に至るまで揃えて置くよう努めてはいるものの、忙しかったり、疲れていたりすると是も完璧にはいかない事があります。そういうとき当日は、やはりあせって稽古もゆったりとはいきません。「初めの準備、終わりの始末」と言う言葉には 実は「中の真心」(なかのまごころ)という言葉が入ります。
普段から、この言葉を肝に銘じて生活をしなければと思います。
2002.11.23 研究会
淡交会では年に何回か研究会があります。東京では虎ノ門ホールで、舞台の上でなされる点前を業躰先生がいろいろと注意、解説される、いわば公開稽古なのです。業躰先生は家元の名代でいらっしゃり、ここでの点前が最新の裏千家の点前ということになります。点前は、時代とともに微妙に変わります。昔は、道具の置く位置も畳何目とか、点前の手つき、何のためにこの所作をするか等そんなに詳しくは教わりませんでした。そこで先生によって叉は地域によって点前もばらばらになってしまったようです。また習う側も先生の言いなりに点前をするのでなく、何故そうするのか、何のための所作なのか科学的に学ぶ傾向になってきたのです。ですから近頃の研究会では結構細かく、理論的に注意、解説されます。今月の研究会の業躰 志村宗光先生は、とてもお若く、いろいろと丁寧に、基礎的なことを細かくしっかり教えてくださいました。「ずり足」でなく「すり足」の方法、ふくさのたたみ方のポイント、ふくさを帯に挟む位置、など・・今まで当たり前にしていた動作について「目からうろこ」的な解説があり、初心に返る気分で充実したものでした。「お点前はゆっくり、優雅に」ということで、いつもは、午後3時には終わる研究会もこの日はなんと4時をまわっていました。それなのに、途中で帰る方もいず、最後は拍手が送られました。
毎回このような研究会であるよう心から思います。来年は、家元も16代に変わられますし、茶道界も今以上に新しい何かが起こるのではと、大いに期待しているところです。
2002.11.08 開炉
今年もまた炉の季節となりました。炉開きとして我が教室では 長板総荘りの稽古をしました。この点前は、火箸の扱いがありますし、濃茶と薄茶では釜の蓋の開け閉めに違いがあり、柄杓もいちいち杓立てに戻すという所作があるので、良い稽古になりました。お菓子の代りに、自家製の「粟餅入りのぜんざい」を召し上がって頂きました。
そして、今日は私が師事している先生(81歳)宅でも、炉開きがありました。ここはベテラン揃いで皆、色無地の着物で集合。重厚なお香の香り、たっぷりとしたお釜、錦木の照葉につばきなど、炉の季節になったなと実感します。夏の間に先生が丹精された灰も見事です。ぜんざいに栗と柿がつきました。これは茶師が新茶を入れた壷を届けてくれる時には、柿と栗も一緒に届けてくれることからだそうです。
茶道は、例え人様にお教えしている人でも、先生に付いて稽古に通うものです。主人はそのことを大変不思議がっています。『茶道を何年習っているの?子供だって10年も勉強すれば一応社会で働けるようになるよ』とか、『医者だって卒業して10年も経てば立派な一人前の医者になるのに』等など。
『お点前は炉と風炉で違うし、いろいろあって複雑、お道具もいろいろで、とにかく、総合文化なので奥が深いの』とか、『自分でもしっかりとお点前を先生に見ていただかないと、人様に教えられないものなの』とか苦しい言い訳をするのですが、やはり趣味ということでちょっと甘えがあるのかもしれません。もっとも、茶道はお点前だけでなく、人間修行のものであるから一生勉強。そこに先生や仲間がいた方が、心強いし、また楽しいものなのです。
2002.10.16 大橋茶寮
10月はあちこちで茶会が開かれます。大橋茶寮での茶会に行ってきました。ここは、淡々斎がかつて東京の道場として使われた由緒ある建物です。
濃茶と薄茶一席ずつで、濃茶の席主が友人なのでご案内いただいたのです。濃茶席は四畳半に14人詰め込まれ、ちょっと酸欠状態。みな身体を固く縮めて約30分我慢(?)しました。南蛮芋頭にスリランカの何かの道具を蓋に見立てで使ってありユニークでした。斗々屋茶碗に、当代家元作の「六十棒」という変わった御銘の茶杓でした。暮れに還暦を迎えられる席主のお気持ちを表したのかしらと思いました。ちなみに、この棒は座禅の時に叩かれるあの棒のことだそうです。
薄茶席は広間の床に立派な沢庵の文(消息)が掛かっていました。「秋は文(ふみ)、春は懐紙」を掛けるのだそうです。立派な唐人笠の花入れに、かりがね草と見返り草が淋しく入れられてありましたが、席主の方(8〇歳ぐらいの枯れた素敵な方)曰く「花入れが主で、花はあくまで添え物ですヨ」。そうなのだと納得。高麗の土で焼かれた正客用の古萩については「高台の縮れを見てくださいよ。高麗の土でないとこの縮れは出ないから」と説明された。この古萩の茶碗を正客に、家元の書付がある絵唐津を替茶碗とされておりましたが、会記には、主茶碗として絵唐津となっていたので「あらっ」と思っていると、「家元の書付のある物は主茶碗として使わなくても、会記には初めに書くのですよ」と教えていただいた。素敵なお道具と、素晴らしい席主のお話に大満足のお茶会であった。勿論、点心もさすがに美味しかった。
2002.10.13 伊万里・唐津紀行
主人の学会行きに連れ立って 福岡へ行ってきました。同伴の夫人達のために観光旅行が企画されており、窯めぐりをしてきました。大河内山は「秘窯の里」といわれ鍋島藩の御用窯として、朝鮮から連れてきた陶工に焼かせていたところです。技術が外部に漏れぬよう関所まで設けていたそうでその跡もありました。橋の欄干も陶板や、割れた磁器をモザイク状にカラフルに貼ってあったり、色鍋島の壷が載っていたりしていました。細かい精緻な模様が赤、黄、緑を基調とした色で描かれとても美しいものです。普段用に大事に使おうと、小皿を買いました。 |
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唐津では、中里太郎衛門窯を訪ねました。渋くて、地味な唐津はお茶道具に良く使われます。太郎衛門のものは、ひとつ桁が多く、手の届かない物でしたが、どうしても欲しかったので、陶房のものを それでも奮発して買いました。茶道具はそれに由緒、つまりストーリーがあると なおよいので、この茶碗も唐津紀行の時に窯元で選んだという由緒がつき使うのが楽しみです。 ちょうど、コスモス真っ盛りで、すっきりと澄みわたった秋空に映え、見事な景色でした。 |