思いつくまま2003.17

 

 

new 2003.7.17 帯のRe Use

 

知人から 古い帯で作ったという色紙掛けと 短冊掛けを頂きました。

さっそく絽の帯で作った色紙掛けを お稽古の日にかけました。色紙はその方が書かれた「喫茶去」。落ち着いた総模様の色柄なので和室にも違和感なくおさまり、お弟子さんにも「すてき!」「変わっている!」と、好評でした。帯の垂れの部分から 長さに切って上下に啄木をつけ、糸で色紙を支える部分をぬいつけて緒を取り付けてあります。

短冊掛けのほうは、袋帯から作ったのでしょうか?しっかりした厚手で色は華やか・・・・たぶん若い方がお召しになったものでしょう。

 

「地球に優しく」と、リサイクルが叫ばれています。ペットボトルから衣料をリサイクルするには、リサイクルするために結構エネルギーがいるとのことで、今はリ・ユース(Re Use)が見直されているとのこと。つまり、瓶などはそのまま洗って又使う という形です。

 

 頂いた色紙掛けは まさにこのRe Use

書も絵もお上手で、ビスクドール(西洋人形)やバイオリン製作もてがけられ、なんと自家製のフレイバー・ビールまで作ってしまわれるこの知人(実は男性です)の豊かなアイディアにつくづく感心しました。

 

 

 

2003.6.25 茶室の名称

 

 風炉の時期は、棚は小さめのものを使います。

今使っているのは「溜精棚」。 これは、裏千家内の茶室「溜精軒」の風炉先の下地窓が、使い古しの柄杓の柄で作られていることからヒントにして作られた木地棚で 左の面が柄杓の柄で組んだ窓ふうになっています。いうなれば茶道具の廃物利用、今でいう リサイクルですね。

柄杓、茶筅、茶巾は消耗品でうっかりすると使い古しがたまってしまいます。これらも、いろいろに再利用したいものですが、皆様はどういうふうにしていらっしゃいますか。

 

 本題と離れてしまいましたが、この「溜精軒」という名称から 「茶室には○○庵、○○亭、○○の間、○○軒、など接尾名がついているけれど、どんな区別があるのだろうか?」とふと考えてしまいました。

 

裏千家内の茶室で例をあげてみると、「今日庵」 「咄々斎」 「放筌斎」 寒雲亭」 「溜精軒」 「対流軒」 「無色軒」 「又隠」 「又新」です。

「庵」というのは、世捨て人や僧侶などが住む小さな草葺きの家というイメージは分かります。「又隠」は、「庵」こそ ついてはいませんがこの中に入ると思います。

「亭」は、辞書によると泊り屋、旅籠、東屋ということで、「寒雲亭」は6畳の書院造りで控えの間があり、襖には絵もあり、欄間は櫛形になっているなど侘び茶の茶室とはイメージが違います。

「軒」は、これも辞書によると、のき、ひさしの意味。「溜精軒」は6畳で、逆勝手出炉、除夜釜のときだけに使われる茶室のようです。「対流軒」は、広間で「無色軒」は5畳本勝手向う切りで、寄り付きに主に使われているようです。これらは「軒」という名称がついてはいますが、共通することはちょっと分かりませんが、あえて言うと どれも純粋な茶室としてあまり使用されてないということでしょうか。

斎号のついた茶室は広間で、○○の間の部類に入るのではないでしょうか。造営した居士の名を席名にしており、広間の茶室として大いに使用されています。

「間」は、独立した部屋でなく、襖で仕切られた部屋の名につくようです。

 

 日本全国いろいろなところに茶室がありますが、その席名の接尾名はどういう根拠で付くのかしらと、考えてしまいました。

 

 

 

2003.5.25 お濃茶の回し飲み

 

 「お茶は好きなのだけれど、お濃茶の回し飲みがちょっと・・」といわれる方が案外多い。私自身も、初めて回し飲みを経験した時は抵抗がありました。

しかし、お茶の稽古では濃茶の点前がほとんどです。小習でも、薄茶の点前は「入子点」だけ、薄茶もできるのは、「貴人点」「貴人清次」、無理むり薄茶も出来るのは「茶杓荘」「茶碗荘」「茶筅荘」でしょうか?四ケ伝以上の点前はすべて濃茶です。

 稽古でも、今時の若い方には、「えっ!回し飲みですか?」とびっくりされます。

 

歴史的には、濃茶のほうが古く、昔は「お茶にどうぞ」と招待を受けたときは濃茶のことでした。亭主がこの日のためにと選んだ茶碗で心をこめて濃茶を練り、招かれた客(せいぜい23人でしょう)がその一碗の濃茶を ありがたく回し飲みするのが習慣でした。当時は、明日の命もわからない戦国の大変な時代、気心の知れた者同士がその一碗の濃茶で連帯感を強め、また重要な話し合いの場でもあったのでしょう。お茶の回し飲みは、酒席での返杯の習慣からきたのかと思います。

つまり、回し飲みには気心の知れた仲間、親密な間柄の中でのみ行われる神聖な行為ということになります。

 

 今日の大寄せの茶会でのお濃茶は どういう位置付けなのかなと時々思います。懐石はまた別で、このときはお互いに知っている仲間で行われるので、まあ理解はできます。大寄せの茶会では 初めて会う人々と回し飲みするわけですから、抵抗がないといったら嘘になりますし、回し飲みをする事に さしたる精神的な意味がない様に思います。あえてその意味を言うならば、名品のお茶碗を人々と共有するということくらいでしょうか。

 

十三世円能斎が、お濃茶の各服点 つまり、一人一碗の濃茶を立てる点前を考案されたそうですが定着しませんでした。

 

清潔観念が強くなっている現代に、何とか回し飲みでなく美味しいお濃茶がいただけるようなお点前を考案していただけないものか、若い宗匠に期待していますが 伝統文化の事ゆえ無理でしょうか。

 

 

 

 2003.5.8 お教えする事

 

3月末に主人が体調を壊し、私もそのストレスの為か 何年ぶりかでひどい風邪をひいてしまいました。そこで、家での稽古は勝手ながら休ませて頂きました。人様にお教えする身としては自分の健康と共に、家族も健康でなければできないということをつくづく感じたものでした。

 

家を稽古場としているので、息子や娘たちがまだ家にいる頃は、稽古日にはいろいろと協力してもらわねばなりませんでした。

例えば、自分の部屋で静かに居てもらったり、台所に下りてくる時も静かに用をしてもらったり・・・と。稽古の日は私は朝からいろいろと用意があり、きれいにした居間も散らかしてほしくなく、あれこれ注意をしていました。

 

どなたかの本に、「お茶の先生の家族はお茶嫌い」と書いてありましたが正にそういう状態でした。また、お茶会に誘われれば、休みの日の朝早くから家事もそこそこに着物を着て出かけたりする姿を見て、きっと彼らは「お茶」に対して敵愾心を持ってしまったのではと、今ごろになって反省しています。娘はとうとう茶道に関心を持たないまま結婚し 今は二人の子の母になっています。

 今は、主人と二人の生活です。主人は「お茶」を認めながらも、「僕が出かけている間なら」という条件付です。主人にまで敵愾心を持たれては大変なので わが教室は、ウィクーデイの昼間だけです。家族に気兼ねしつつも私にとっては楽しいお茶を大切にしていきたいと思います。

 

 

 

 2003.3.10 「百椿図」

 

百椿図 友人から招待券をもらったので、「安達瞳子の世界の名花 椿物語展」へ行ってきました。

 青竹と椿の木を組み合わせた大きなオブジェや、青竹の花入れに いろいろな種類の椿を松と一緒にユニークに入れた生け花も楽しみましたが、この展覧会の目玉は、江戸時代の初期に 丹波篠山城主の松平忠国が、狩野山楽に描かせたという「百椿図」です。


当時 椿が大変なブームとなって、あちこちでいろいろの種類の椿が栽培されたのです。

その数々の椿を、花入れ、水滴、籠、うちわ、硯箱、懐紙、鼓、三方、座掃きなどの調度品に配して 雅に丁寧に華やかに描かれています。


そしてこの絵巻物を特徴付けているのは、その百の椿の画に、当時の多彩な文化人が画賛を書いているということです。えらい人では 水戸黄門様、あと親王、公家、学者、連歌師、俳人、和尚等々。松平忠国自身も最後の「大白玉」の画に賛を寄せています。
画賛が完成するのに なんと50年もかかったそうですが、それぞれの画賛の和歌、漢詩の文字も美しく大変貴重な芸術作品です。椿は本当に種類が多いということも実感しました

 

炉の時期の花はやはり椿。開花の時期が種類によって違うので、開炉から3月いっぱいまで長く使われます。我が家でも、白玉はもう終わりですが、太郎冠者、乙女椿がいま盛りで、これから咲くものもあります。

 

 

 2003.2.3 伊住宗晃氏の訃報

 

 朝刊を見て一瞬心臓がドキンとしました。訃報欄に伊住宗晃死去の知らせがありました。おりしも、米国のスペースシャトル墜落事故のことで新聞は大きく報道していましたが、私にはこちらの欄のほうがショックでした。

TVの「趣味悠々」でつい先週まで茶道入門で、若宗匠がにこやかに解説をされていらしたのに。もっともその時、髪を丸坊主にされていて、どうなさったのかと思っておりました。それが治療のためと 後で友人から聞きましたが。

昨年9月ごろから体調を崩されたようでしたが、手術され順調に回復されているものと思っておりました。昨年末の16代家元継承宣誓式でも、お元気に列席されている写真を「淡交タイムス」本年1月号で拝見したばかりでした。

16代家元と共に ご兄弟力をあわせて これからの裏千家を盛り上げていただかねばならぬ方でしたのに 本当に残念でたまりません。心より御冥福をお祈りいたします。

 

 2003.1.25 友人の還暦

 

 今年は癸未(みずのとひつじ)で、友人から還暦茶会をするというご案内を頂き、友人宅へ行ってきました。

居間のコーナーを床に見立てて、「和敬清寂」のお軸を掛けてその下にある民芸調船箪笥の上に、花と香合が飾ってあります。花入れはなんと中里太郎衛門の徳利で白侘助と蝋梅が入れてありました。テーブルの上には切り掛け風炉、水指など置き、立礼席にしつらえてあります。

まず、ダイニングルームで、懐石。美味しい冷酒とともに、友人が料理した、煮物椀、焼物、強肴が並べられ、とても豪華で、パーティのようです。

客は私と若い方二人の計三人です。気心知れた仲間なので、話も大いに弾み、足がしびれる心配もなく快適にとても美味しく頂きました。

 席を替えて私たちはソファーに坐ります。いよいよお点前。真新しいふくさも鮮やかに、友人が登場です。正客の私は還暦のお祝いを述べ、お道具についてお尋ねします。この日のために用意された高台時蒔絵の棗、蟹の蓋置き、「華甲」と友人が銘をつけた赤楽、「希望」とつけた御自作の茶杓など還暦に因んだ取り合わせです。美味しいお薄を頂き本当に至福の時でした。

 現代の生活の中で、友人の感性と工夫で催された 本当に心温まるよいお茶会でした。

 茶道をしていると、寿賀の年に茶会をして祝うということが出来、素晴らしいと思います。

 

 

2003.1.8 初 釜

 

また、新しい年を迎えました。今年は正月に東京でも雪が降り、いつになく寒い正月でした。

 

お家元も第16代坐忘斎となり、裏千家茶道では一つの節目の年でもあります。お若い家元になり、若い方々がもっともっと茶道に関心を寄せていただけるのではと大いに期待しています。

 

我が家では8日に初釜をいたしました。私の一番大切にしている淡々斎の若松の絵に靄春とかかれたお軸を掛け 花は白玉椿と雲龍柳。席入りして、皆様一人一人と新年の挨拶を交わした後、初炭をし、略式の懐石に入ります。

ここでは亭主役の私も焼物、強肴、香の物まで運び込んでしまって同席し 和気あいあいに頂きました。干支の羊をデザインした主菓子を頂き、中立ちとなります。

濃茶は 重ね茶碗といたしました。抹茶も封を切ったばかりのもので、お釜の煮えもちょうど良く 熱い美味しいお濃茶をお出しすることができました。

 

生徒さんの前でお点前をするのは茶事や初釜の時だけですが、結構緊張します。お手本となる点前をしなくてはとか、いつも皆さんに注意していることを(例えば姿勢や歩き方、道具の手離れなど)心して気を付けたり、まだまだ修行が足りないなと痛感します。あらたまった席で 人様の前で何かパフォーマンスを平常心ですることの難しさ!お薄は花月をして、皆さんのお点前初めにしました。

 

今年も一年無事、稽古に励め、皆様をご指導できますようにと心の中で祈りました。

 

 

 

HOME

 

© 2002-2005 Soh-Koh