思いつくまま2004.712

new 2004.12.15 茶筅供養で稽古納め

 今日は今年最後の稽古日。この一年茶道を稽古できたことを感謝して略式茶筅供養をしました。

脇床には供養するいくつかの茶筅を紅白の紙にくるんで、その中に今日濃茶に使う茶筅を赤の糸で巻いておきます。

正式にお茶事ですると、初炭→懐石→濃茶(茶筅荘り)→後炭で、後炭は後炭所望にして点炭の代わりに茶筅をくべて火吹き竹を使って燃やしその間に一年の感謝をするという流れなのです。このときは薄茶はしません。

しかし今日は略式で茶筅荘りをしただけで、後は早めの年越しそばをお出ししました。

茶筅は普段は地味なものですが、お茶を点てる時にはなくてはならない大事な道具です。今日はその茶筅が主人公でした。

この一年を感謝して来年も元気に茶道ができるようお祈りしました。

茶筅供養
茶筅荘り
とろろ蕎麦・千枚漬け金柑・里芋等煮しめ

2004.12.8 今年の干支にお別れ

 今年も早いもので最後の月になってしまいました。

振り返って見ると、今年 私は年女で、生まれてから6回目の申年を迎えたのです。秋には念願の還暦茶会もでき、とても充実した良い年でした。

 もうそろそろ申年も終わりです。この頃になると、茶道では再び干支のお道具を使うことがあります。一年間その干支に「ごくろうさま」と労を(?)ねぎらうためです。   我家でも猿のお軸を再び掛け、猿の香合を飾りました。この次にこれらが登場するのは12年後・・・。12年という年月は結構長いです。片付ける時は「またお会いしましょうね」という願いを込めて丁重に仕舞います。

今年お世話になった干支のお道具などを写真に撮ってみました。12年後に又元気で会えることを念じて・・・。

中国:梁士軍 画
幸野棋嶺・画
故T先生からの香合
点前帛紗
捕月猿・古帛紗
三猿・古帛紗

 

2004.12.4 室内一盞燈

 小春日和の土曜日、友人のお茶会に行ってきました。場所は高野山別院です。

この友人とは十年以上前に、あるお茶会の待合で偶然隣り合わせ、どちらからともなく語りかけたのがご縁で以後ずっと茶友としてお付き合いをしています。私と同世代なので、いろいろ話も合いますが、今年のお茶会がなんと15回目ということで私より茶歴としてははるかに上です。ですから私はいろいろと学ぶ所が多いのです。

 お濃茶席では友人のお嬢様のお点前でした。友人が半東で親子共演というところです。

 お軸は「室内一盞燈」(しつない いっさんのともしび)。初めて拝見した文言です。ご説明によるとお皿に油を入れてともす灯りで室内を照らすと言うのが直訳、奥の意味はそういう細い灯りを絶やすことなく次世代につなげていくということでした。ちょうどお正客は素敵な83歳のかくしゃくとされた友人の師匠で、師匠→友人→お嬢様と茶道をつなげていらっしゃる構図を目の当たりにいたしました。茶道をしている方がそれぞれ「室内一盞燈」を実践していけたらずっとこの茶道文化も栄えるのかしらと思いました。

 翻って我家に当てはめると、祖母が茶道をしていて、私の母は茶道にまったく興味を持たず、私が茶道を始め、私の娘はまったく興味を示さずに今日に至っています。我家の場合は隔世遺伝(?)のようで、孫娘に期待がかかります。  しかし、還暦茶会で娘に水屋を手伝ってもらったところ(洋服で茶碗洗いなど)、「子供に手がかからなくなったら茶道を習おうかな」と言いだしたので少し希望がでてきました。


 

2004.11.15 曜変天目茶碗

 曜変天目茶碗は 天目茶碗の中でやはり一番神秘的で美しいと思います。静嘉堂文庫美術館で観てきました。

曜変天目茶碗は、12-13世紀南宋時代に中国の福建省の建窯で焼造されたもので、内側に瑠璃色、玉虫色の星状文がある華やかなお茶碗です。 素地は鉄分の多い灰黒色の堅い陶土で、これに光沢の強い漆黒の釉薬を厚く掛けて焼かれ焼かれる間に偶然瑠璃色や玉虫色の斑文が出たものとのことです。

 この曜変天目茶碗は日本でのみ現存されているようで、典型の3作はすべて国宝になっており下記のところで所蔵されています。

1)静嘉堂文庫美術館(東京) 2)藤田美術館(大阪) 3)龍光院(京都)

私はこれら3作すべてを美術展や国宝展で拝見しました。2度、3度拝見したものもありますが 毎回うっとりと小さな茶碗の中の模様に小宇宙を感じ眺めてきました。中国ではこれらの茶碗は焼造中の出来損ないのものとしてあまり美を感じなかったようで、建窯ではその破片がたくさん見つかっているとの事です。

そして、最近この曜変天目茶碗を作ってみようと試行錯誤されている方がいることを知りました。林 恭助さんという方で、その試作品をインターネットで紹介しておられます。それを見る限りではその中のいくつかは立派な曜変天目のようです。その昔 窯の中で偶然出来た曜変も、現代では科学的に意図的に作られるようになるというのは、すごい事なのか果てまたロマンがなくなるということなのかちょっと複雑です。


国宝の曜変天目茶碗
静嘉堂文庫美術館
藤田美術館
龍光院

2004.10.24 還暦茶会

当日の様子はこちら

 台風や秋雨続きで気をもみましたが10月16日、ほどよい天気の中還暦茶会をいたしました。


 四帖台目の席で 濃茶は6回点前をしました。お点前は教室の方々が緊張してなさいました。濃茶席を持つには力不足の社中ですが 節目の記念茶会なので皆精一杯背伸びいたしました。私はお点前さんに注目が行かないようお正客様に一生懸命道具にまつわるエピソードなどご披露したりしました。小間なのでお客様も一体感を持って和やかにできたと思います。社中は総勢19人、その半分は看護学園の学生さんで本格的な茶会の初デビューでその日初めて着物をきたという方々です。受付、点心席係り等をしてくれました。茶会はなにしろマンパワーを必要とするのです。

 道具組みは私の思い入れのある道具、エピソードのある道具でかためました。軸は私がいつも心に刻んでいる言葉「知足」。喝をいれて頂けるような力強い太玄和尚様の書です。名残の季節であるので鉄製の常盤風炉釜、また茶道を始めるきっかけを作ってくれた祖母から譲り受けた大樋茶碗、それと、味楽窯で直々に求めた水指(前に「思いつくまま」2004.2.17で書きましたが)、そして今回の茶会で私の気持ちを代弁してくれた「謝茶」というご銘の茶杓。これは皆さまに大変印象深いものであったようです。


狭い水屋は戦場さながら・・でも静かに手早く陰点のお濃茶を練ってくれました。当日私はただお客様の応対だけで、後は皆水屋の方々や係りの方々が頑張ってくれ、ほんとうに感謝感謝です。薄茶席は叔母が受け持ってくれました。お茶会は一人ではできません。皆様のおかげさまです。60という節目の年にこんな茶会ができるのも、茶道という趣味を持ったお陰、この日は感謝の気持ちで一杯の幸せな日でした。まさに「謝茶」。
 

還暦茶会会記
太玄和尚筆「知足」
味楽水指
前田宗源作「謝茶」
大樋光悦鉄壁写し
田原陶兵衛
李朝三島

 

2004.9.23 看護学園祭でのお茶会

 むつみ祭パンフレット立礼のお点前今年初めからお教えしている看護学園の学生さん方が学園祭でお茶席を設けられました。

 昔この学園では茶道部があり、茶道具は揃っているようです。私は自宅でお教えしていたので、今回のお茶会はすべて学生さんのアイディア趣向でされました。病院附属の学園で、病院の見晴らしのよい14階の教室での立礼席です。

低いテーブルに草色の布を敷いてそこに釜、水指、茶碗を置いて御園棚風にしています。字のお上手な学生さんが書いた「一期一会」、その前に秋の草花が籠に入れられていて床の間風にしてあります。周りの壁には蘭亭序の臨書や、古今和歌集の臨書が貼ってありいかにも和風の雰囲気を出しています。また、模造紙に今日のお道具や、抹茶のいただき方を写真とイラスト・文でやさしく説明が書かれています。

 1回目のお席に入れていただき美味しいお菓子とお薄をいただきました。真っ白なブラウスに黒のタイトスカート、黒の靴という服装もキリット格調高く清楚でさわやかでした。ほんの9ヶ月ご指導しただけで、学生さんだけの力でこのように立派にお席が作れたことにすっかり感心し大拍手です。とても嬉しい1日でした。

蘭亭序の臨書
立礼の雰囲気   橘茶宗茶のメンバー

2004.9.15 ホテルでのお茶会

 ようやく秋の気配が感じられるようになり、いよいよお茶会シーズン到来です。さっそく友人のお茶会に行ってきました。

場所は、東京新宿副都心のまん中にあるセンチュリーハイアットホテル内の茶室です。この友人は毎年お茶会をされ、季節も春だったり、秋だったり、冬だったりと、また場所もいろいろと変えてされるので いつも楽しみにしています。

 

豪華なシャンデリアの下がったロビーのクロークに 手回り品を預け、クリスタルのエレベーターで上がります。おりた階はとても静かで、ふかふかの絨毯の廊下を行くと受付です。石庭を想像させる黒の御影石の大きな囲いの中に、白い小石を敷き詰め、まん中に菱型の黒の御影石が飛び石のようになっています。白と黒とコントラスト、きっちりした直線的デザインがいかにもモダンな石庭になっています。その横に 坐り心地の良いビロード張りの椅子が並んでいて、そこが待合です。

小間席では正客をさせて頂きました。(予め決められていたのです)月、水、岩 波、編み笠などの意匠のお道具が並び、茶杓の銘が「奥の細道」。芭蕉の句をいろいろと頭にめぐらせながら美味しいお薄を頂きました。芭蕉が奥の細道の旅に出てちょうど9月には岐阜あたりに居たそうで、お菓子はそれを意識してわざわざ中津川から取り寄せられたという凝りよう。銘は「水鏡」。席主の友人は奥に控えていらっしゃり、若い半東さんが一生懸命説明されているのが微笑ましいでした。「若い方にも勉強してもらわねばならないので」と最後に出ていらした友人の考えに、私は心の中で拍手です。

立礼席も季節感たっぷりの趣向で爽やかなお席でした。

ホテルの雰囲気そのものは、わび寂の雰囲気とは違って華やかなイメージですが、そこでのお茶会は現代的で都会的で大変快適なものでした。

                  

2004.9.10  美しい点前

 10月の茶会の向けて濃茶点前を生徒の皆さんと猛特訓中です。修行年数の少ない方が多いのですが、こういう若い方々に茶会で点前をどんどん経験をしてもらうことはとても大事だと思います。濃茶はある程度ベテランの方がするものという掟(?)は掟として、茶道を取り巻く環境も変わってきているのでこれからの茶道の担い手である若い方々に機会を与えたいのです。大寄せの茶会はいうなれば「発表会」のようなものと考えても良い思います。

 茶会では、まず第1においしい濃茶を練ること 第2に点前の順序を間違えないこと 第3に美しい点前で心をこめることが大切です。オリンピックの体操やシンクロナイズドスィミングのように、お点前にも「技術点」と「芸術点」があると思います。上記の第1と第2は技術点。第3がアーティスティックの芸術点です。美しい点前には決め所をきちんとすると効果があると思います。たとえば柄杓の構え、茶入、茶杓の清めの動作の手、茶碗を持つ位置のメリハリ、姿勢、お辞儀等々。

昔 私は初めての茶会で、茶杓を持つ手がぶるぶる震えたものでしたが、今の若い方はあがるという事は少ないようです。当日は今の猛特訓が効を奏して 若い方なりに堂々と爽やかなお点前が出来るよう念じています。

 

2004.8.16  男女の数のバランス

 研究会に行くたびに感じることですが、茶道をしている方がほとんど女性であるということです。東京では中野サンプラザがその会場です。そこを埋める参加者の99%が女性で、男性の姿を探すのに苦労するほどです。研究会に参加できるのは「行の行台子」以上の許状があって、淡交会に入会している方ですから、男性でそこまでいかれる方が少ないことも頷けます。それにしても男女の数のバランスが極端と思います。

 それにもかかわらず、業躰先生はすべて男性。茶道の研究家も男性が多いです。

 茶道は家元制度で、一子相伝の世界です。家元も代々男性・・・これは仕方ないとしても、業躰先生に女性が出てこないのも不思議です。業躰先生も世襲の方も多いようです。

 最近は、男性で茶道を始める方も増えているようですし、本屋さんに行くと、一般の男性の方の茶道についての本も見かけるようになりました。昔は男性ばかりが茶道を嗜んでいたのを、明治時代の西洋化で伝統文化が存亡の危機となり、婦人の花嫁修業にと女性にも広く門戸を開けたことで、女性ばかりの文化となってしまったようです。もっと多くの男性が長く茶道をするようになれば、又男女平等意識が強い元気な若い女性がどんどん奥まで修行されるようになれば、研究会も男性が増え、また女性の講師なども登場するなど茶道界もちょっと変わるかもしれません。

追記: 女性の業躰先生がかつていらしたそうです。浜本先生とおっしゃり、井上靖が「利休」を書くに当たって、いろいろと茶 道についてご指南されたとのこと 私の先生から伺いました。

2004.8.12  自宅でお教えすること

 前にも書きましたが、家族の協力があってこそ、自宅を稽古場にすることができるのです。子供達は独立してしまいましたから今は主人の理解、協力がとても大切なのです。主人は「自分が仕事で出かけている間ならば」という条件付きで、私が自宅で稽古するのを許してくれています。ですから、稽古の日は、主人が帰宅する時までには、稽古をしていた痕跡すら残らないようにすっかり片付けて、夕飯の用意をして涼しい顔で迎えます。もっともお香の香りで「今日お茶だったの?」と気づかれますが・・・。

主人が若く仕事が忙しい時は、余裕で稽古が出来ましたが、だんだん年をとるにつれ、帰宅する時間が早くなりました。しかも、朝夕車で私が送り迎えをしていますので、朝は送って帰るとすぐ茶室をきれいにし道具を出し着物を着て、釜に火を入れ湯を沸かします。10時には生徒さんを迎える準備がすべて出来ています。夕方はどうしても4時までには稽古を終えなければなりません。稽古を終えるや、すぐ着物を脱ぎ、釜の湯、火の始末、道具の片付けを分単位でこなし、急いで出かけます。夕食の支度は前の日から考えておいて、すぐできるものにします。

こんなに忙しい思いをしてもやはり自宅で稽古をするのは刺激的で楽しいし、稽古ができることに感謝です。

2004.7.17  侘び、寂び

 先日、稽古のとき、入門して一年未満の方から「初歩的な質問をしてもいいですか?」と言われました。「なにかしら」と答えると、「あのー、侘びさびって何ですか」と。 初歩的質問どころか、究極的な質問に私は一瞬たじろいてしまいました。お点前のことや、道具などについての質問は割りとそれなりにすぐ答えられますが、精神的、哲学的な質問をされると どう説明してよいやら焦ってしまいました。

 まず、武野紹鴎が侘びの境地として引用した「見渡せば 花も紅葉もなかりけり、浦の苫家の秋の夕暮れ」の和歌を説明しました。さらに、お月さまも雲ひとつないスッキリした空にある月より、雲間の月のほうが風情があるとする美意識、華やかな美より抑えた美、ひいては左右対称のきっちりした形より、ちょっとゆがんだ形を、ピカピカしたものよりくすんだものを愛でる美意識を西洋磁器と和陶器、また西洋庭園と日本庭園を例に対比させながら話し、このような美意識を茶道では侘びと言い、根本理念になっていることを説明しました。

 ところで、寂びの説明は難しいので、金属が錆びるの錆から来た言葉で、古びて味わいがある物の風情を表した言葉であるとする簡単な説明で終えました。 「なんとなく分かりました。」と言ってくださったのでホッとした次第です。

 あとで、茶道辞典などで調べると、「侘び」とは華美を避け、贅沢を許さずもっぱら物質的な享受に流れるのをやめ、ひたすら持たざる乏しさ、つつましさに精神の清純を尊重することとありました。私の説明も大体あっていましたが、特別な美意識のみならず、普段の生活に対しての精神も侘びということが抜けてしまいました。

 とにかく、急に質問をされて大いにあわてましたが、最近の若い方は素直にわからない事をぶつけてくださるので、とても刺激的で私はお陰で良い勉強になります。

 

new 2004.7.12  正客バトル

 お茶会に行く楽しみは美味しいお茶とお菓子を頂くこと、お道具をいろいろと拝見させていただくことに加え、正客と席主との会話を伺うことだと思います。正客はその席のお客の代表として唯一席主とお話が出来る方です。正客の話術、教養、人柄でそのお席が盛り上がるかそれなりに終わってしまうかが左右されるほど大変な役割です。同席の方々の正客に対する期待感も大きいのです。

 そこで、お茶席に入る時、客はドッと下座目指してすばやい動きで席を確保します。その動きに立ち遅れた方は正客の席以外すべて埋まっているので慌てます。「とても私など・・どなたかしていただけませんか」と必死でお願いします。客はお互いに周りを見回して、きちんと着物を召され、すこしでも白髪などあれば標的とばかりにその方に「どうぞお願いします」とお願いコールが始ります。その方がすぐ引き受けてくださればよいのですが、がんとして動かれないと、客はまた別の標的に向ってお願いコールをかけます。

このように何とか正客を免れようとする動きを「正客バトル」と言うそうです。(有吉玉青著「お茶席の冒険」より)

こういう動きは必ずどこのお茶会に行っても見受けられます。確かに、正客は大役ですからなりたくないのは分かりますが、茶道をある程度年月かけて修行された方は進んで引き受けられたらと自戒もこめて思います。ちなみによく男性が同席されていると男性と言うことで安易にお願いコールがかかることがありますが男性の場合は茶道に対して案外ばらつきがあるのでこれも要注意です。しかし皆でお願いした正客の方については感謝こそすれ後でどうのこうのと言うのは論外、お茶の精神に反します。

正客は大役ですが、美味しいお茶を素敵なお茶碗で最初に頂け、お点前やお道具も間近で拝見できるというご褒美があります。

 


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