思いつくまま2006.16

new2006.6.20 「写し」の文化 

  茶道具ではよく「○○写し」というものがあります。有名なものでは 仁清写し、乾山写し等です。

オリジナル(原型・本歌)の絵柄や形を模造して作られたものが「写し」です。江戸時代末期以後はオリジナルのものがない場合でも「写し」とされることがあるそうです。この場合は○○風という意味で作られたものと理解したほうがよさそうです。

 唐物の稽古をする時、今では茶入も天目茶碗も天目台も実際には「写し」のもので和製です。 井戸茶碗、楽茶碗、萩茶碗でも「写し」が沢山出回っています。現在の作家の方がオリジナルを忠実に模造しているのです。それをオリジナルのお道具と思ってお点前をするのです。お茶入にはそれらしくオリジナルの仕服が付き、伝来まで語られます。

「写し」が作られるオリジナルの道具やそれを作った作家の方は素晴らしい技術とセンスを持ち合わせ、時代を超えて人々に素晴しい作品と認められたことなのでしょう。

この「写し」は茶碗、水指、茶入、香合、花入れ、棗等の茶道具全般に有難がられて使われています。

 またこれらとは別に、「お家元好みの写し」というものもあり、こちらのほうが数としては多いです。玄々斎好写しの曙棗、鵬雲斎好写しの山雲棚等々。これは家元がデザインされたか(?)、または既に作られていたものから好みで選ばれたものです。

 このように茶道では、「写し」という独特の文化があるように思います。

 

2006.6.15  灰型の稽古 

  毎回灰型を自己流でしていましたが、正式な灰型をつくるところを見たいものとかねがね思っていました。ちょうど私の先生がついていらっしゃる業躰先生のところで、月一回灰型のお稽古があるということで行ってきました。

 生徒さんは 50代から60代くらいの方々4名でした。銘々に ふかふかの灰が入った風炉があてがわれて、皆さんいろいろな小道具を広げられます。まず風炉の下に敷く紙(灰で周りを汚さないため)、灰匙を何本か、小さな布(灰匙を拭くため)、小筆(五徳等についた灰を払うため)定規などです。

 ご挨拶の後、めいめい静かに始められます。私は初めてだったので業躰先生が灰型についていろいろと説明され、二文字を実際に目の前で見せてくださいました。「五徳のこの位置に二文字の線がくるように・・」「前瓦は垂直に・・」「灰の山の高さは・・」などお話をされながらあっという間に見事に出来上がりました。魔法のようです。表面は滑らかで、二文字はきりっとくっきりと、灰匙の跡も伺えないほど中央の火を入れるところの滑らかさ!火箸で水の卦を書いて仕上がりです。さっと仕上げたので生き生きとしています。

 ただただその技にうっとりと眺めているばかりでした。坐る位置は風炉正面、右手と左手を上手に使い分けて3種類の灰匙を使うのです。灰匙はやりやすいように匙のカーブを曲げたり、平らにしたりして自分なりの形に変形するとのこと。これがコツかもしれません。私の持参した灰匙も曲げてくださいました。

 まず仕上がった灰型の上をなぞることから練習です。灰匙は軽く持って静かに引く・・どうしても力が入ってしまい折角の綺麗な灰に匙の跡が・・そしていよいよ灰をくずして自分でします。

 大雑把に灰に形をつけ、手前から灰匙で整えていきスパッと押し切り線とし、向こう側も同じようにします。そして問題の真ん中。ここはくるっと曲げた灰匙で整えるのですが、四苦八苦、どうしてもぺたぺたとウロコもようが・・。しかし仕上げて水の卦を書かないと先生に見ていただけません。随分と時間がかかってしまいましたが何とか仕上がりましたが情けないものです。

 左半分を崩されて先生がお手本をされます。崩す時「こんなに灰を硬くしてはダメ」とのこと。風炉の左半分は先生の見事な灰型、右半分が私のひどい灰型。

 業躰先生から直に教わったことのなかった私には緊張と冷や汗のお稽古でした。最後に業躰先生がお薄を点てて下さり、美味しい杜若のお菓子と共に頂きましたが、緊張した大仕事のあとだけに大変美味しい一服でした。                  

 

 

2006.6.12  東洋陶磁器の歴史-中国

 最近、東洋陶磁器展を観る機会が2回ありました。

陶磁器を"china"と呼ぶように中国が陶磁器の歴史では一番古いのでしょう。茶道具でも唐物として珍重されています。

今回は中国の陶磁器の歴史を、手持ちの美術館等のカタログを参考にして 大雑把ですが 私なりに整理してみました。写真は時代の古い順に並べてあります。

青磁
緑釉
白磁
三彩
白磁印花
白磁掻落
緑釉鉄絵
黒釉掻落
澱青
青磁刻
青磁
玳皮釉
青花
五彩
 緑彩
黄釉
赤絵
粉彩
                       

 低温で焼く軟質の陶器は、すでに後漢時代(1C-2C)から副葬品としてありました。実用品とした陶器は東晋時代(3C-4C)の暗緑色のかかった青磁からです。これは青磁と言っても後の明るい青色の青磁とは違います。

隋、唐の時代(7c-9c)になると、緑釉、白磁、三彩となり、北宋の時代(11c)では青磁に刻花したもの、白磁に刻花、印花したもの、緑釉に鉄絵が描かれたものなどが、南宋から元時代(12c-13c)には明るい色の青磁、浮き模様や鉄斑がある青磁が、そして、青花もでてきます。明・清の時代(14c-16c)になると、青花が全盛、そして五彩、緑彩、黄彩などいろいろな色も加わってカラフルになります。

 資料;「根津美術館蔵品選・工芸編」「名品選集V中国陶磁」

 

2006.5.12  本仕舞と中仕舞

 風炉の季節になりました。

 毎回、風炉の灰型を整えなければならないのが、少し苦痛です。灰を灰匙で引いて整えるのがよいのですが、五徳が邪魔でうまく引けず、どうしてもぺたぺたと押してしまいウロコ模様のようになってしまいます。灰匙は大小、細いものといろいろと揃えてあるのですが、それらを十分使いこなせず、大体手先が不器用なので苦労しています。しかし出来上がりは下手ですが、灰を整え 中央に”水の卦”のしるしを火箸で入れた後は何かすがすがしい気持になります。

 風炉の季節になると、「本仕舞」と「中仕舞」がでてきて、稽古を始めたばかりの頃は混乱したものです。水指前に茶碗と棗(または茶入)を置いて仕舞うのが「本仕舞」、畳の中央 膝前に置いて仕舞うのが「中仕舞」。

「本仕舞」をするのは、四畳半以下の小間、台子・長板使用の時、花月、貴人点、貴人清次、荘りもの、重ね茶碗、入子点等の場合です。

「中仕舞」は平点前等、比較的軽いお点前の時にします。

 風炉の時に「本仕舞」するものは炉の時は外隅ねらいに坐り、「中仕舞」のものは内隅ねらいに坐ります。

利休様の侘び茶時代は「本仕舞」「外隅ねらい」が原則であったようで、後にいろいろなお点前が出てくるにつれて「中仕舞」「内隅ねらい」が出てきたそうです。

 

2006.5.7 良寛の書

 根津美術館が改築のため、当分休館となるそうです。休館前の展示として、当美術館所蔵の屏風が展示されています。中でも光琳の「燕子花図」と応挙の「藤花図」の屏風が同時に見られるというので出かけました。[藤花図」は素晴らしく、今まで私が見た屏風絵の中で一番といってもよいほどでした。

良寛「天地」良寛「天上大風」 この他に、思いがけなく良寛の書が8点も展示されており、得した気分になりました。これらは秋山順一氏の寄贈品だそうです。

 頼りない細い筆致、文字のようなのにすぐには読めない字。しかし、優しさ、味のある字なのです。

有名な"子どもらとてまりつきつつこの里に あそぶ春日は暮れずともよし"の短歌の書もありました。また「天地」と大きく書かれた軸もあります。

ちょうど昨日NHK[美の壷]で良寛を取り上げていました。良寛を書のカリスマとして、なぜ人をひきつけるのか検証していました。それによると次のようです。

1)漢字も、仮名風に書く・・・懐素「自叙帖」や、小野道風「秋萩帖」を勉強して、このような書き方を習得

2)揺れとズレを楽しむ・・・一文字一文字は形が拙く素朴で字に大小があり、まっすぐでないが全体を見ると味がある

3)弱さに強さがある・・・・字は弱々しいが、それが良寛の個性となって特長付けている

”書は人なり”といいますが、良寛さんの書も、優しく無欲で親しみやすい良寛さんの人柄があらわれているのでしょう。

 

 

2006.4.16 茶道独特の漢字

 茶道では道具等の名称に日常では使わないような漢字をあてはめたり、組み合わせて使ってあるものがあります。

例えば 水指、建水、炭斗、五徳、東・半東、荘り物、帛紗、仕覆等です。PCで書く時も、すぐには文字が出てこず、別の音で入れたり、手書きにしたりとちょっと手間がかかります。

 黒田宗光氏著「茶の湯稽古場日誌」で、その中のいくつかの説明を読み、「そうだったのか」と合点したものがあったので紹介します。

水指 《木工品から曲水指、釣瓶、手桶といった指物で 水量も手で運べる分量が自ずと定まったのが水指のはじまり》とあります。つまり水指は初めは木で作られていた指物を使っていて、後に陶器を使いようになってもそのまま水指と書くようです。中国の唐銅のものはどう言っていたかと「南方録」を見ましたら、《水サシ》とカタカナで書かれていました。

建水 《水をくつがえすから建水》との事。「建」という字には漢和辞典によると確かに”くつがえす”という意味もあるのです。

炭斗 《斗の字は、計るという意味ですから必要な数量だけ炭を組み込みますので斗の字が当てられていると思います》と書かれています。ちなみに水屋でつかう炭の入った箱は炭取です。

五徳 《かまどなど火のあるところを「くどこ」と言い、鍋など使うため上部が輪で三本足のある金輪を使っていました。これを茶道で使う時に安定感があるよう足に爪をつけてひっくり返して使ったので、「くどこ」→「こどく」→ごとく→よい字をあてて「五徳」になった》とのこと。このことはまったく知りませんでしたのでびっくりしました。

東・半東 《中国では西からのお客は喜んで迎えられました。シルクロードしかり、文化の動きは西から東で、客は西に迎えられたのが慣わしでした。茶室では東に客が、西に亭主が位置を占めていますが、中国の茶礼に倣って西に坐しても亭主を東と呼び、東の助手を半東と呼ぶようになったのでしょう》とのこと。

以下は私が調べたことで、推測かもしれません。

荘り物 日常ではかざるは飾るの字を使います。「荘」の字には厳かとか、いかめしいといった意味があるので、茶道では茶碗など立派な道具に敬意を表してこの字をあてたと思います。

帛紗 この「帛」の字はPCで書く時 いちいち手書きをしないと出てこないやっかいな字なのです。「帛」の字を字源で調べると、礼物に用いる絹とありました。「紗」は薄い織物という意味です。「袱紗」は風呂敷の上等なものと書いてありました。「服紗」と書くのも見かけますが、これも茶道にはちょっと軽い感じがします。

仕覆  仕はつかえる、覆はおおうということで、大事な道具を大事に包み覆うということだと思います。よく仕服と書かれますが 道具に仕えている服ということでこれでもよいかなと思います。

 

このように茶道では、普段馴染みのない用語、漢字が使われますが、それも理由がちゃんとあるのですね。

参考:黒田宗光氏著「茶の湯稽古場日誌」淡交社 読者もお稽古場にいるような感じになります。ぜひお薦めします。

 

2006.3.15 歓送茶会

 この春からカナダに留学される生徒さんが今日最後の稽古にいらっしゃいました。一年足らずのご縁でしたが、大変熱心に通ってくださり、濃茶平点前までしっかりお稽古されました。

この方は初めは足がしびれて、最後に建水を持って立つ時はしばらくしないと立てない状態でしたが、それも徐々になれて薄茶点前ならしびれずに最後まで出来るようになりました。予習をしてきてくださり、前の稽古で注意された事はちゃんと直してこられるほどまじめな方です。期待しておりましただけにちょっと残念です。

 歓送茶会をして門出をお祝いしました。門出というテーマで道具組みをしましたが、手持ちの道具でするのでちょっと無理な、こじつけの組み合わせもあります。旅枕の花入れ、”時々はお便りを”という事で結び文香合、無病息災を祈願して六瓢の干菓子を、茶杓の銘は「希望」、後は季節のもの、おめでたい模様の道具を取り合わせました。

 カナダでお茶を披露することもあるかもしれないとのことで、居間で、その練習もしました。茶碗、棗など簡単な一式はお持ちになるようです。 お盆がない場合を想定して、下には和布を敷きました。和紙のランチョンマットを敷いてもよいのではと言う意見も出て、ナルホドと皆さんで納得。

 稽古の後、皆さんで軽い食事をしましたが、それぞれがいろいろと持って来て下さったので大変豪華になりました。

我が家の稽古場では、去年はご結婚で中国にご夫婦で留学された方、11月にはイギリスに留学された方、今年1月にはフランスに留学された方と、若い方々の留学ブームです。今は気軽に外国に行って勉強ができる時代になりましたが、やはり大変な勇気がいる事です。お元気で、実り多い留学になるよう心から祈っています。

2006.3.1 ひとり点前

 自宅での稽古が思いがけず早く終わることがあります。

お釜の煮えはまだまだよい時、お薄を自服します。お稽古で沢山しゃべった後だけにのども渇き、またお教えするという緊張感から解放された時だけにこの自服が格別に美味しいのです。

簡単にお薄を点てて頂くこともありますが、自分の稽古として本格的に点前をすることもあります。 お客はいないのですが、茶道口で礼をするところから始めます。ところがこのひとり点前が案外難しいのです。

姿勢、歩き方、帛紗捌き、器物の清め等細心の注意を払ってやっている積りなのですが、途中でお薄を自服するあたりから緊張感が・・・。それでも最後の拝見物を出すところまでします。拝見物を取り込んで茶道口で礼をして点前が終了。しかし、《今日のひとり点前はよかった》と満足する事がありません。

お客様のいるところでの点前は、いやがおうでも人から見られているという事で、緊張します。そして、お点前に集中しやすいと思います。情けない事にひとり点前では、その日の稽古の出来事、早く片付けなくては等いろいろ雑念が沸いてきてしまうのです。

ひとり点前で、最後まで緊張感を持続して きれいな満足のいくお点前が出来るようになるまでには、まだまだ修行が足りません。もしかして茶道の究極の目標は、無の境地でひとり点前ができる事なのではと思います。

2006.2.15 私(次女)のお雛様

 梅便りも聞かれる頃になりました。陽射しはもう明るい春の光です。 お雛祭が近いので、今日出しました。私のお雛様

 土鈴のお雛様娘が誕生した時に、実家の母が八段飾りのお雛様を買ってくれ、娘が結婚するまで毎年飾っていました。しかし、娘に女の子が生まれたのでそれをそっくりお祝いにあげました。ですから今家にあるのは土鈴のお雛様(←)と、私のお雛様(→)です。

 私は二人姉妹の妹でした。姉が生まれた時のお雛様(内裏雛だけ)は、姉に女の子が生まれた時もって行きました。次女の私が生まれた時は写真のお人形を祖母がお雛様の祝いに送ってくれたのです。小さい時はお雛様を飾るたびに、このお人形も一緒に飾りました。豪華な内裏雛と比較しつつも、「これは私のもの」と大事に飾っていました。そして、結婚の時も持ってきました。

 私と同い年のこの人形は木目込みで、よく見るとふくよかな良いお顔をしています。《翁》と桐の箱に書いてあります。お扇子を手にはめ込むのですが、お扇子についていた差込棒が折れてしまっていて今はのせているだけです。着物の柄は今年初めて気がついたのですが、宝尽しで、本絹なので古くても落ち着いた渋い色合いです。この年になって、なんだかこの人形がとてもいとおしくなりました。

 そういえば、娘のところの2番目の女の子のお雛様の祝いに私はお雛様の絵の描かれた小さな”飾り皿”を送りましたが、この次女が大きくなったら 次女であった私と同じ事を感じるのかしらとふと思ってしまいました。

 

2006.2.09 ある日の稽古

 稽古日の前日にする事は、まず掃除、そして軸と花の用意、灰篩い・炭洗いと炭組み・練り香、お菓子の用意、道具の用意、着物の準備ぐらいでしょうか。 15年以上お教えしている私ですが、恥ずかしながらお点前を予習することもあります。たとえ小習でも予習しておくと自信を持ってお教えでき、途中で「アレッ、どうだったかしら」と迷うこともありません。茶道にまつわる話題を考えておく事もあります。

 稽古当日は、花を入れ、抹茶を篩い、お道具を机に並べ、早めに着物に着替えて、棗に抹茶を入れたり、お釜、お茶碗(楽)に水を含ませたりします。炭点前をする時は頃合を見て下火を、しない時は早めに火を入れてしまい釜の煮えを整えておきます。

 こうしてお稽古が始まり、終わると時間があるときは皆さんとゆっくり居間で紅茶など飲みながらおしゃべりをします。お稽古中は茶道の話以外私語はしませんから、終わってからのおしゃべりも大切なコミュニケーションだと思います。  ちなみに茶室でしてはいけない話題は@我が仏 A隣の宝 B婿舅 C天下の戦 D人の善悪 であると、牡丹花肖柏(ぼたんか しょうはく)の道歌にあるようです。つまり、宗教、金銭の事、私的な家族関係の事、政治、人のうわさ、批評は避けなくてはいけないのです。これらは茶道に限らず普通のパーティでも言える事と思います。

 後片付けで一番にする事はお釜と火の始末。後は使ったお道具類の片付けです。茶道をしていてよかった事は「反対の動作」を同時にできるよう訓練された事です。つまり、丁寧にさっさと、ゆるゆると早々と・・といったことです。茶事の亭主になると本当に「反対の動作」が必要となります。 

灰を整える
水屋
道具を並べる
稽古場日誌

 

2006.1.24 厳しい茶道と楽しい茶道

 正月に 表千家の茶事の様子をTVで見ました。お家元が亭主でお客は男性二人。きちんと整理されたお蔵からお家元がお道具を選ぶところから始まり、当日の様子を映しています。内弟子の方が掃除をし、灰を整え、庭師の方が外回りはすべて引き受け、水を打った飛び石を雑巾で拭いたり、椿の葉を一枚一枚を拭いたりしていました。台所では、専門の料理人が懐石料理を用意しています。そし、茶事が始まりました。懐石膳を水屋まで運ぶのは内弟子。それを受け取り亭主がお出ししています。席中では高尚な会話がされています。厳かで緊張感の伝わってくるお茶事でした。灰つくりの様子も出ましたが、風炉の灰を乳鉢で擂っているのには感心しました。

 「茶道の究極のおもてなしはこういう風に行われるのだわ」と、裏千家も同じ様であろうと溜息をつきつつ、今私が家でしている茶道とは別世界のように見ていました。

 「道」と付くからには茶道は厳しく、修行といったことが要求される(た)のでしょうが、そういう厳しい茶道をしている方が現在どれほどいらっしゃるでしょうか。内弟子に入られた方、業躰先生を目指す方、代々茶道の先生をされている家の方くらいではないでしょうか。修行というより趣味のひとつとして、楽しく和気藹々にお稽古に励まれている方が大部分かと思います。今日 茶道人口がほとんど女性で占められているのも、楽しい茶道になってしまった原因かもしれません。何か二極分化しているようで茶道とは一体何だろうと考えてしまいます。昔は茶道のことをThe Tea Ceremonyと訳していたのを最近はThe Way of Teaとなりました。茶道も時代と共に変質してきたのではと思います。

 一応教えている身になりますと、果たしてどこまで厳しく出来るか考えてしまいます。「厳しく」ということは、「本格的に」ということ。それには私にはいろいろな面で限界があります。お茶室も普通家屋の8帖間、水屋も階段下の空間、露地は、門から玄関までの短い通路、つくばいは間に合わせの陶器、お道具もいろいろ素晴らしいものがあるわけではなく また数も持てず、お茶事をするといっても食器はばらばらで料理も私一人がてんてこ舞いで作る家庭料理。後座を知らせる銅鑼も、口銅鑼。こんな具合で茶道といって良いのかしらとちょっとジレンマに落ちています。お稽古茶事ではルールにのっとって進行はするものの、本格的な茶事からみると”お茶事ごっこ”の感をぬぐえません。

 本格的に茶道をとなると、茶道を生活の中心に持ってこなくてはなりません。茶道以外にもいろいろと時間を取りたいし、取られている今の私は、私なりのThe Way of Teaで行くしかないようです。

 

2006.1.14 初釜

 

淡々斎「靄春」

今日、初釜をしました。久し振りのまとまった雨のあいにくの天候です。

 

寄り付き(居間)で香煎を召し上がって頂いた後、初入り。茶事形式ですので、床は淡々斎の若松画のお軸のみです。おひとりおひとりと新年の挨拶を交わした後、炭手前に入りました。香合はなんと12年前に、私が師事していた亡きT先生から頂いた「戌」の字が書かれた思い出深いものです。

松花堂風の懐石

 

そして、懐石に進みました。お詰めの方にも手伝っていただいて懐石を運びます。今年は松花堂風にいろいろまとめて盛り付けて、お汁と共にお出ししました。お酒も持ち出して、私も一緒に揃っていただきました。料理は前日に大方作っておき、午前中に盛り付けもしておいたのですが、粕漬けの魚が焼ざましになって少々堅くなってしまったのが失敗でした。お汁を温めたり、ご飯を扇面型に盛り付けたり、短時間でするのがちょっと大変でした。

 

お菓子は「梅暦」

小吸物の後、八寸です。あわびと しし唐を銘々にお付けし、お酒を勧めます。「あわびはお酒によく合うわ」と褒められつつも、後のお濃茶があるのでそうそうお酒は勧められません。そして懐石は終わり、主菓子をお出ししました。鶴屋八幡の「梅暦」です。私も一緒にお相伴して頂きました。そして退席。

白玉と雲龍 軸を巻き上げて、花を飾ります。釜はしゅんしゅんと大変よい煮え音をたてています。後入りして濃茶は重ね茶碗にしました。そして一碗目、二碗目をお二人で点てていただき、全員が今年初めてのお濃茶を美味しく頂きました。お薄は花月にして初心者の方もここで初点てが出来、全員お点前が出来ました。 濃茶
濃茶

 

 

会記

 

 

薄茶
上の句のくじ

余興に、ささやかなお年玉を用意し、百人一首の上の句を引いていただき、その下の句のお年玉をとっていただくことにしました。これは夕べ思いついた方法で、あみだくじより良かったと思います。

外はかなり雨が強くなってきて、着物でいらした方の帰り道を案じながらも 今年も皆様と初釜ができて本当に良かったと嬉しいことでした。

ささやかなお年玉

 

2006.1.1 新しい年を迎えて

 ”去年(こぞ)今年、貫く棒の如きもの” 虚子

 昨日の続きが今日ですが、大晦日から元旦となる時は特別です。年が変わり、月も再び初めの1月に戻るのですからすべてリセットされ、去年は去年、今年は今年でスタートです。

 気持ちも新たに、「今年こそ」といろいろ心に決めます。皆様はどんなことを決められたでしょうか。

 2006年、佳い年でありますように! 今年もよろしくお願いします。           

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