思いつくまま *2011.1-6*
2011.06.16 宇治の抹茶
主人が京都に仕事で出かけた折、宇治の平等院まで足を延ばし、念願の鳳凰堂を見学してきました。宇治は京都駅からわずか15分で行ける近さとのこと。
宇治といえばお茶、そこで抹茶をお土産に買ってきてくれました。お茶のかんばやしの《匠の昔》。
主人は抹茶のお茶屋さんの名前は全く分からないところ、たまたま お茶のかんばやしに立ち寄ったのです。
買う前に携帯で私に電話をかけてきました。「お茶のかんばやしというお茶屋さんに来ているけれど、いろいろあってどの抹茶を買ってよいかわからないけれど」と。「抹茶の名前を言って」と私。最高品はなんと30g6000円とか・・・○○の昔、XXの昔、△△の昔・・・・稽古用の抹茶なのでほどほどの所で《匠の昔》をお願いすることにしました。
上林春秋本店といえば超有名なお詰め。坐忘斎お好みの《玄中の昔》、《祖母昔》など・・東京ではなかなかデパートでも扱っているところが少ないです。
帰ってきていざその抹茶を見て「お茶のかんばやし」とひらがなで書かれているので「あらっ、あの上林と違うのかしら?」と思いました。
主人は「気の利いたお土産だったでしょ」と得意そう。
付いていたパンフレットを読むと、初代は上林春秋と書いてありました。宇治のあたりでは上林一族が茶師として将軍様に献上していたとのこと。漢字の《上林》もひらがなの《お茶のかんばやし》も元は同じだったのです。
そういえば小山園も、山政小山園と丸久小山園がありますね。
どんな味わいのお濃茶か、頂くのが楽しみです。それにもまして買い物が不得意な主人が、平等院の参道のお茶屋さんで 店員のおばさんと相談しながらあれこれ見ている光景が想像され、それもごちそうに?美味しくいただきます。
追記:《匠の昔》を今日7月13日に稽古で使いました。一口飲まれた方いわく「あまい!抹茶でこうも味が違うとは思わなかった」と。皆さんも「ホント、違う」と。私も後で味わいましたが、口に優しくまろやかで苦みがなくとてもおいしい味でした。
2011.05.18 由緒ある和巾
10年ほど前、友人宅に英国人の茶道の先生をお招きしての”英語で学ぶ茶道教室”に数年通ったことがあります。
ショーン・マックケイヴ先生とおっしゃり、「CHADO The way of tea」という本を出版された方です。これは明治時代に書かれた佐々木三味著の茶道歳時記の本を英訳された750ページもの辞書のような本です。
マックケイヴ先生は裏千家で修業され、茶名(宗昇)も頂いていらっしゃり、本業は大学の先生をされています。
初めは外国の方に日本の伝統文化の茶道を習うということに違和感を持ちましたが、マックケイヴ先生は茶道のみならず日本の文化について大変造詣の深い先生です。
稽古のある日 マックケイヴ先生が皆さんに「和巾にちょうど良い裂地ですよ」と素敵な色の絹地の端切れをくださいました。その裂地、たいそうな由緒のあるものです。下記の説明の通りです。
"C1968 a remnant of a length of cloth used to make a dress for Queen Elizabeth U. The dress was worn at a daytime reception in Paris together with Charles de Gaulle."
あまりにも素晴らしい由緒ある布なので、和巾にするには私のお裁縫の力ではちょっと無理?と ずっと大切に箱に入れっぱなしになっていました。
それを先日 生徒さんのおひとりが「作ってみましょうか」と言ってくださったのです。早速 裏に使う生地を探しました。ちょうど青の絹のスーツ(これは私が結婚した時に作ってもらったもので、ミニスカートなのでもう着られないながらも捨てられなかった物です)がありましたのでそれを使うことにしました。
次の稽古日に「できました」と持って来てくださったのを見て私は大感激!
今日その方に和巾の稽古をしていただき、初使いしました。
ブルーと茶色の花模様のしっかりした生地の和巾…私の宝物の一つになりました。
2011.05.14 初風炉
土曜クラスの初風炉は「三友の式」をしました。
春にいろいろ咲いていた花が一段落してしまい、花に苦心しました。アジサイ(つぼみ)と、二人静、シマアシ、それにコデマリ、黄えびね、けまん草はもう終わりの時期ですが何とか無理して使い、鉢で咲いた白の胡蝶蘭も切りました。それでもさびしいので、カキツバタを花やさんで調達。
花積りしてから一度に花入れに入れること、正客は中心の花入れから入れ、次客・三客はその左右の花入れを順に使う・・・という花入れの約束等を勉強しました。
胡蝶蘭が、茶花として落ちついていたのにはちょと意外でした。花は五つ六つもついていますが 色が白だからかもしれませんし、花入れが唐銅だったので花映りが良かったのかもしれません。蘭は何と言っても品格のある高貴な花、存在感があります。
香は、初めてという次客が当たりました。しかし私の説明でお上手に燻べられました。香の聞き方、息の抜き方等勉強しました。香は伽羅ですが、これは香りがしっかりしていてよいのですが 銀葉に”やに”がついてしまうのが難点。やにはなかなか落ちません。
香の後は薄茶4服を花月で点てます。平花月と違ってお菓子がつきますので、折据をまわすタイミングが早くなります。
「花月100回朧月」と言われるように、花月はいろいろなケースが起こり、その時その時で違います。何回も稽古をして体験値を増やして覚えていくのでしょう。
今迄に平花月を何回か稽古していたので、皆様の動きも徐々に良くなってきています。
このあと、濃茶付花月も稽古でき、皆さん少々疲れたようですが良い初風炉ができました。
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2011.04.28 八炉の稽古
炉の最後の稽古日に、八炉の稽古をしました。八炉と言ってもすべてしたわけではなく、4畳半逆勝手と向切本勝手です。
逆勝手の茶室で茶会をすることもないと思いますが、稽古の一環として炉の時期によく稽古をします。釜の向きを変え風炉先屏風で結界をつくり、それらしい茶室に変えます。
昔 広間で風炉をわざわざ逆勝手のしつらえに置いてお茶会をされた方がいらっしゃいました。この亭主のサプライズ趣向、お客である私たちはとても楽しみましたし、印象に残りました。
向切本勝手の茶室は結構あります。
本勝手はお客が亭主の右に座る茶室、逆勝手はお客が亭主の左に座る茶室です。そこで、入る足の運びが違いますし、帛紗をつける位置も違います。その他道具の位置や、柄杓の扱いにも違いがあり、ちょっとした頭の体操、頭と手・足がうまく連動すればよいのですが・・・。本勝手の点前が上手な方ほど戸惑われますが、仕舞い付けのころになると流石 もう逆に慣れて上手にされました。
向切は本勝手でしました。隅炉や台目出炉などいろいろな茶室があることを図で示して勉強しました。
2011.04.27 許状の申請
裏千家茶道には、「許状」制度があります。
これは新しいお点前を稽古する前に ”そのお点前を稽古することを許します"という「許状」を頂かなければならないのです。この「許状」制度、茶道が家元制度で成り立っているものである以上そういうしくみもになるのです。
今迄は 裏千家だけに通用していた許状の種類に、最近では初級・中級・上級・講師・専任講師・助教授というように、社会通念からもわかる資格制度を当てはめるようになり、おおやけに履歴書等に書けるものになりました。
新しく生徒さんが入られると、割り稽古から始め、薄茶点前が出来るようになる頃に入門・小習を申請します。小習は16ヶ条と項目が多く一番の基礎ですから、また炉と風炉との違いもあって2年から3年はかかります。
3年目くらいから四ケ伝・和巾の許状を申請、4年目くらいに行之行台子を申請。ここで淡交会正会員に入会でき、研究会に参加できるようになります。私は生徒さんにここまでは取って研究会でひろく勉強していただきたいと常日頃言っています。後はまだまだ段階がありますが、最終的には《茶名》をいただく、そして茶道の先生になろうと思われる方はさらにその上の準教授を・・・ということになります。
今回、そろそろ行之行台子の上のお点前ができるのではと思われる方がいらっしゃいましたので、予め「どうかしら?」と、今日庵の《挨拶料規定》の表をお見せしながらおたずねすると、その方は「主人と相談します」と答えられました。それを聞いたほかの方が「えっ、そんなにかかるの?」と。確かに「許状」は上に行くほど、挨拶料は上がります。茶名や、準教授の額を見て、「ホント、ここまでくると主人と相談しなければいけないわね」と。
《私は人様にお教えすることもないと思うので、これ以上の「許状」は要りません》と、はっきりおっしゃる方もいらっしゃいました。どこまで、またどういう風に茶道を極めるか、続けるかはその方その方で違ってよいと私は思います。この方は今も楽しみながら稽古をされています。
何年でこの「許状」を申請、という決まりはありません。それぞれの先生が生徒さんの稽古具合を見て判断します。
「5年で茶名までいただいた」という話も聞きます。そのようなことが出来るのかしら?とちょっと驚きますが、「許状」は習熟度に先行するものなので茶名を早くに頂いてしまってから あとはゆっくりと稽古に励む…これも”有り”かもしれません。しかし私は《茶名》というのはそれなりの重みがあるものだと思うので、一つづつゆっくりとという主義です。《茶名》を頂くことはある意味《憧れ》です。それを励みに長く稽古が続けられるということもあります。
大胆な水墨画として有名な白隠についてのTV番組(NHK)がありました。白隠は1685年生まれの臨済宗の真風をあげた禅僧です。
その白隠、自ら禅画・禅書を沢山描き、絵と、書で禅宗をわかりやすく説き、禅の普及につとめた方です。ぎょろっと睨んだ力強い《達磨の絵》が多く、もともと絵師ではありませんので 上手というよりシンプルな力強い筆致で、尋常でない迫力があり、見る人の心の中まで覗かれているような感じです。添えられている書ももちろん禅の精神を表していますが、難解なものや、読みにくい字があります。穏やかなユーモアを交えた禅画もたくさんあります。
白隠の展覧会がなんとニューヨークで開催され大勢の方が見えたようです。その展覧会のタイトルが[The sound of one hand]。両手をたたくと音はします。しかし片手の音とはどういう音でしょうか?いかにも禅問答のようです。これは「隻手の声(せきしゅの声)」といって、白隠の公案だったようです。
番組は白隠の絵を見ながら学者・美術評論家・僧侶の3人が討論をしていました。そのお話を聞きながら、禅の受容性についての話は《あーそうだったのか》と思うことがありました。つまり、禅宗は長く坐することによって心を磨く、人の生をあるがままに受け、何の理由もなくそれを楽しむ…それが禅の受容だそうです。
「隻手の声」の公案を解こうと、あるおばあさんが必死に坐禅をしたそうです。しかしいくら坐禅をしてもわからなく、《こんなことをしていてもしようがない。家に帰って仕事をしましょ》というと白隠は《それが隻手の声だよ》といったとか・・・。つまり自分で自分の心の声を聞くということなのでしょうか???
《茶禅一味》という言葉があります。茶道と禅宗は形体は違っても、人間形成の理念・美に対するの理念・生活の目標が同じであるという意味。茶の湯は単なる遊びや芸術である事にとどまってはならない、人間形成の道でなければならないという意味で、これは歴史的には村田珠光が一休宗純に参禅したことから茶の湯が禅宗と深く結びつき「茶道」となったわけです。
《茶禅一味》という言葉は知っていても、現在茶道をしている私たちは、ふだん禅宗、禅の精神を考えることはあまりありません。いまや禅宗のお寺に参禅することもなく宗名がいただけてしまいます。
今回TVで白隠についての番組を見たことで、《茶禅一味》を頭にいれて、人間形成の場としての茶道をしっかり自覚して ゴールのない道を進んでいかなくてはと思いました。
2011.02.28 蘭亭序と雛祭り
3月3日はひな祭り。今年は蘭亭序の軸をかけます。「蘭亭序って何?」「蘭亭序とひな祭りの関係は?…」と思われるかもしれません。
私は知らなかったのですが、蘭亭序に書かれている曲水の宴は353年(永和9年)3月3日に行われたのです。
美術鑑賞をどんどん深めている主人から聞いて知ったのですが、現在国立東京博物館で蘭亭序をテーマにした絵や、屏風がいくつか展示されているとのことです。
蘭亭で行われたこの曲水の宴は、41人の名士が招かれました。蘭亭には曲がりくねった小川があって、そこに盃を流してその盃が来るまでに詩を詠むという宴です。それぞれの人が詠んだ詩をまとめた詩集の序文を書聖・王義之(おうぎし)が書き、それがこの蘭亭序です。
この序文、書の手本として有名です。本物は太宗皇帝が自分の墓に埋葬するよう言ったため、現存していませんが、弟子が臨模した拓本がいくつかあります。
324文字もあるこの序文、私は書の稽古で、毎回6文字ずつ半紙に大きく練習し、2年以上かけて全文字を練習、その翌年、書初めとして書のお仲間と 一気に全文字を小さく書いて軸にしたものです。今から13年も前に書いたものですが、今こうして掛けて見ると、上手下手はともかく自分ながら《よく書いたなー》と思います。
茶道と蘭亭序はちょっとつながりはありませんが、3月3日つながりでひな祭りの趣向としてこういうものもよいのでは…と思います。
追記:この蘭亭序、今は亡き義母も一緒の書道教室にかよっていたので、義母の軸もあります。思いつくまま2008.5.26《義母と茶道》のところに義母の書の写真を載せています。
2011.01.24 伝統技術・文化を継いでいく事
先日 朝日新聞に武者小路千家若宗匠、千 宗屋氏のお話が載っていました。
生活様式が西洋化し、茶人口も少しずつ減ってきている現代、「この時代にふさわしい茶とは何か?」を模索するなかで、立礼卓は欠かせないと言われます。
床の軸には墨蹟の代わりに現代作家の写真を、茶道具も外国製のものや、現代作家のものを見立てるのも今風と考えておられます。
昔 利休もその時代において斬新な道具を見立てて、人と違うことを試みたアバンギャルドでした。もちろん見立てにはセンス、審美眼が無くてないけませんが、《その時代時代にかなう茶は何か?》を模索していかなければ、伝統も守れないのではと言われます。いわゆる《不易流行》の実践です。
茶の湯は作法を覚えることではなく、ましてや花嫁修業ではない。道具を組んで茶を点て、客をもてなし、主客の心が通い合うコミュニケーションを豊かにするもの。そういう根っこのところは守って、道具等を現代風に組み替えていくことで どんな化学反応が出るかを試されています。
また、昨日 薩摩焼の《沈壽官展》を観にいきました。(詳しくは拙HP和の美術を参照)
薩摩焼は 秀吉に慶長の朝鮮出兵の折、連れてこられた陶工が薩摩の地で島津家に保護されて伝わった焼き物です。
当代は十五代とのことですが、ここまで連綿と繋げてこられたのには大変な苦労があったそうです。
明治維新で藩が崩壊してからは島津の後ろ盾が無くなり、十二代沈壽官氏は特にご苦労をされたそうです。そこでいろいろ新しい技術を開拓、作品の幅を広げ現在につながったそうです。
当代十五代の方も、「こういう伝統を継いでいくには技の伝承をしつつ、新しいものを加えていく・・《不変のものをベースに 自由な発想をしていく》ことで伝統を守り継いでいく」と言われます。このように伝統を何代も受け継いでいくにはどの分野でも大変なことなのですね。
たまたま期を同じくして 日本の伝統文化を受け継いでおられる上記当代の方々のお話を伺い、現在のIT社会、何でもシンプルになりつつある生活、面倒なことを嫌う風潮、時間に追われ、心のゆとりをもてない社会のなかで、手間暇のかかる(ここに価値が)日本の伝統技術、文化が衰退の危機に面している状況、とてももったいないことでもあり、心配なことです。
伝統技術・文化にとっては第1の危機が、明治維新時に、第2の危機が平成の今かもしれません。明治維新時の危機を乗り越えられたのでありますから、平成のこの厳しい状況も何とか乗り越えていってほしいです。
2011.01.12 初釜 2011
”何となく 今年はよいことあるごとし 元日の朝 晴れて風なし”啄木
ちょうど100年前の1911年に啄木が詠んだ歌です。東京はそんな冬晴れにめぐまれたお正月でした。日本海側は記録的な大雪で大変なお正月だったようで、何か申し訳ないような気がします。太平洋側では雪が無いだけ有難いのですから、「寒い寒い」なんて文句は言えませんね。
昨年は事情で初釜ができなかったので、2年ぶりの初釜です。
皆様着物姿で華やかです。着付けを習ったので着物を着る機会を作るために茶道を始められた方、茶道を稽古していて必然的に着物を自分で着ることに努力された方・・など様々ですが、30代で自分で着付けができるなんて素晴らしいことです。
軸には「鉢の木」を掛けました。謡曲「鉢の木」の題材は茶道でも茶碗や棗等に使われます。茶道では「一行物」の墨蹟や、「かな」など字が多いのですが、今回は主人の勧めもあって思い切って絵を。花はロウバイと水仙、千両と正月らしく。香合はウサギ。しつらえは《長板一つ置き》です。
濃茶は私が練り、お薄は雪月花でいたしました。皆様が干菓子とお薄を頂いたところまで点前を続けて、全員が初点てをされ、初釜は終了です。
その後は 簡単な食事で水曜クラスと土曜クラスが顔を合わせての歓談。楽しいひと時をすごしました。
新しい年を迎えて、気を引き締めて稽古に励まねばと、私は思ったものです。
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