new2012.12.22 今年を振り返って
今日で2012年の稽古納めをしました。
この一年の《稽古場日誌》を見ると、平常の稽古の他にできたものは下記のとおりです。
水曜クラス 花月 貴人清次花月2回 貴人清次濃茶付花月 結び帛紗花月2回 投げ込み花月 濃茶付花月2回 平花月4回
七事式 且座の式
茶事 七夕茶事
立礼 薄茶点前
茶会 お呼ばれ茶会に2回参加
土曜クラス 花月 貴人清次花月 貴人清次濃茶付花月 投げ込み花月 無言花月 茶箱付花月2回 平花月
茶事 名残り茶事
立礼 薄茶点前
茶会 お呼ばれ茶会に2回参加
水曜クラスは月3回の稽古、土曜クラスは月2回の稽古ですから、多少違いますが、結構しっかり稽古が出来たのではと思います。
そして、平常の稽古でも、行の行台子、大円草まで進まれた方が結構多く出ました。総括しますと、皆様の習熟度が上がってきたので花月・七事式などいろいろと楽しめるようになった事が、今年の最もよかったことです。
皆勤の方は今年はいらっしゃいませんでしたが、皆さま和やかに、熱心に、また楽しく稽古に励まれたと思います。
私も2月に母が亡くなった時は、稽古を一回休ませていただきましたが、あとは健康に恵まれて稽古でき、ホッとしています。主人も今年は体調を崩すことなく過ごしてくれたので感謝です。そしてとても協力的であったことも大感謝です。
茶道をお教えしてかれこれ20年以上たちましたが、いつも教授法は、これでよいのかしらと試行錯誤しながら行っています。生徒さんそれぞれ個性が違いますので、進度も幾分違います。帛紗捌き一つとっても、同じようにお教えしても形はそれぞれです。形がすごく悪い場合は別としてそれはそれでよいと思っています。
初歩から厳しくというより、稽古していくうちにだんだん形が整って来ればよいのではと・・・・やはり点前は何回も繰り返すうちに、順序も手つきも所作も備わってくることを実感します。そしてどなたも、ある時急に一段と上手になられる時があります。
12月9日の産経新聞に大宗匠が書かれた《一服どうぞ》の記事が載っています。→
大宗匠は「茶の道が何であるか 何のために存在しているのか」という大きな壁に何度もぶつかれたことがあったそうです。そしてある年齢に達された時、 やっとその疑問が解けてきたとおっしゃいます。大宗匠は中学時代、数学がお嫌いでしたが、3年生の時の先生であった高橋勘先生が嫌いな数学を好きにさせようときわめて自然に数学や幾何を指導してくださったそうです。
つまり、指導者が指導者ぶらずに自然に自分の持っている才をお人に分け与えていく、これが人をして感化させるのであると書かれていました。
この大宗匠の文を拝読し、立場はまったく違いますが、私も肩にあまり力を入れずに、私なりに模索しながらお教えしていくより他はないと思いました。
2012.12.08 オリーブ大福
今日の稽古で主菓子として「たねや」のオリーブ大福を用意しました。
何と大福(といっても小型です)に、添付されている小瓶のエキストラ・バージンオリーブオイルを掛けていただくというものです。
このエキストラ・バージンオイルはイタリア・ウンブリア州産で、風と輝く太陽のもとで育った薫り高いもので、色もエメラルトグリーンでとてもきれいです。
和と洋のコラボレーション。どんなお味かと興味を持ってお出ししました。皆さん「エー」と珍しいお菓子に驚きながらも興味津々頂きました。
感想は「オリーブの香りがしておいしい」「餡子との相性が良い」「おいしい」「不思議な感じ」「初めてあじわう味」など結構好評でした。
私はと云うと、エキストラ・バージンオイルは身体にも良いし美味しいのでサラダのドレッシングには使っていましたが、エキストラ・バージンオイルをそのまま何かに掛けていただくということがあまりなかったせいか、最初の一口は「なんだか青臭い」と感じました。「わざわざ掛けなくても大福そのものだけでも十分美味しいのに・・」と思ったものでした。油分が原則的に無いのが和菓子、不思議な組み合わせ・・斬新な和菓子?なのでしょう。
若い方はエキストラ・バージンオイルを日常的に使っていらっしゃるので違和感なく美味しくいただいたのでしょう。
そういえば、イタリア旅行した時にパンにも付ける事を初めて知りましたっけ。
オリーブ大福は家庭でのお客様のおもてなしには、めずらしく良いと思いますが、抹茶の茶席ではちょっと使いにくいお菓子と思いました。
和菓子屋さんもいろいろと創意工夫して珍しいものを作り、話題づくりで需要拡大を狙っているのですね。
2012.11.21 送別
生徒さんのおひとりが、ご主人の転勤で教室をお辞めになることになりました。
私にとっては大変残念なことです。茶道が大変お好きで、お点前の形も綺麗、特に柄杓を引く形がとても美しい方です。
今日の稽古日、「濃茶付花月」と「平花月」をしてお稽古を早めに切り上げ、送別会を近所のレストランでしました。
稽古の時はお互いにそんなに雑談をする時間がありませんが、昼食会ではおおいに話に花が咲き、賑やかな女子会になりました。
世の中、出会いがあれば別れもある・・・永久不変なんてことはありません。諸行無常ですね。だからこそ《今を大切に》ということでしょう。
その方の健康と、新しい場所での生活のお幸せを祈念して、名残りを惜しみつつ帰りました。
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2012.11.03 師を悼む
秋も深まった10月末、一枚の悲しい知らせが届きました。師事していたS先生がお亡くなりのなったという知らせです。夏に誤嚥性肺炎で入院されておられたとのことでした。ショックでした。
先生は90歳近くまで茶道を教えてくださっていました。去年ご長男様を山で亡くされて以来「どなたにも会いたくない」とおっしゃり、私もすっかりご無沙汰していました。寒中見舞いや暑中見舞い等は出していましたがお返事はありませんでした。
S先生はお若い時から業躰先生に付かれて、本格的に熱心に茶道を勉強され、大勢のお弟子さんをお育てになりました。
S先生とのご縁は、今から考えても不思議なことでした。10年ほど前に、前師を失って、私は心もとなく茶道をお教えしていました。そんな時、淡交会の研究会で、偶然隣り合わせに坐ったのがS先生でした。
私はいつもはお隣の方などに話しかけたりしないのですが、その時はちょっと疑問に思ったことがあったので、隣に座っていらっしゃるS先生にお尋ねしたのです。
そうすると、とても分かりやすく解説してくださいました。そこからお話が弾んで、師を亡くし心もとない状態であることなどお話ししました。するとS先生は「あなたくらいの年齢の方が沢山みえているので一度いらっしゃいませんか」といわれ、住所を書いてくださいました。
偶然同じ区で、近いところでしたので、帰宅してからすぐお手紙を書きました。するとすぐ《今度は八炉の稽古をする予定です》とのお返事がきました。私は八炉の稽古をしたことがなかったので早速伺い、S先生の社中に入れていただいたのです。
S先生のお宅での稽古は、和やかで本当に充実していました。素晴らしいお道具も毎回出して下さり道具の勉強になりましたし、花月や七事式などもお稽古させていただきました。それに何と言っても先生のポイントを押さえた教授法が素晴らしかったです。
茶道が大好きでいらした先生のご冥福を祈らずにはいられません。先生、安らかにお休みください。合掌
2012.10.27 名残り茶事
年に1回は茶事をしたいと思っています。水曜クラスは《七夕茶事》を、そして今回土曜クラスで《名残り茶事》を行いました。
侘びたこの時期の茶事は、中置の形で、道具も地味で落ち着いたもので取り合わせました。それでも一点、棗は菊模様の赤を入れました。軸は「一行物」よりも、わびた歌のほうが合っていると思い《見渡せば花も紅葉もなかりけり、うらの苫屋の秋の夕暮》の色紙を掛けました。「春は歌、秋は消息」がよいと聞きますが、あいにく適当な消息が見つかりませんでしたので…。
今回も亭主は私でご案内しましたが、後座からは生徒さんに役をお願いして勉強していただきました。あらかじめ風炉茶事の流れと、それぞれの役についての説明書を作ってプリントでお渡ししておきました。
今回のお客は6人・・ちょっと多目で、勝手を私一人でするので懐石ではてんてこ舞いでした。温かいかいものは温かくと思いましたので、汁、煮物碗、焼き物の加減が時間との闘いでした。運ぶのは手伝っていただきました。
懐石にあまり時間をとっては、風炉の下火が心配になります。案の定、初炭手前を始めた頃には火がほとんど絶えていました。しかし熱灰になっていたためか炭を継ぐとパチパチと嬉しい音がして、後座が始まるころには赤々と熾ってホッとしました。 美味しいお濃茶を頂いて続きお薄になりました。
皆様が予習をしっかりして下さっていたためか、それぞれの役を見事に果たして下さいました。また、全員が着物でいらして下さったことも、皆様が緊張感を持って臨んでくださっていると感じ、嬉しいことでした。
前礼のお手紙も、封書やはがきで頂き、若い方は最近あまりこういうちゃんとしたお手紙を書く機会がないようですので、よいお勉強になったのではと思います。亭主である私もこれらのお手紙を頂いて「皆様に楽しんでいただけるよう茶事をしっかりしよう!」と勇気づけられました。後礼のお手紙も楽しみです。
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2012.10.16 家元の箱書き・花押
図書館で借りてきた本に、当代家元の《取り敢えず今、こうしてみる》という文章が載っていました。以下がその概要です。
夏には「箱書きの見直し」について提言をした。 掛け釜をする際、いつの頃からか「箱書き」が揃っていなくてはならないというような暗黙のルールがはびこってきた。
だから、無くてもかまわないようなものまで「箱書き」を求めてくる人が増えてきた。
同じ茶碗が2つあって片や「箱書き」があり、片や無しとする。寸分違わぬものだ。
それなのにその「箱書き」の有無で優劣を判断する そんな現状に嫌気がさしてきた。
第一 作者に対して失礼じゃないか。 道具本来の価値観がなおざりにされている。
拝金主義、というと大仰かもしれないが、これは根本から正さなくてはならぬ。だから 家元である私から始めなくてはならない。
「箱書き」をした道具が私の代わりにその茶席に出席しているとの考え方で 今まで筆を取ってきた。
しかし、それによって「箱書き」の意義が薄れてきたのだろうか。ハードルを下げることで「 箱書き」があるのが当たり前のような空気が出てきた。
私が「箱書き」を書くことで社中に負担をかけるのなら それをやめるのが筋である。(中略)
箱をお持ちの方は今まで通り使わればよいし、お持ちでない方は無理される必要はない。
どちらでもよいのだ。正しいことをしたと思っている。
とはいえ、私の判断が本当に正しいかどうかは、後の世の茶人が決めればよい。駄目な枝葉なら勝手に枯れていくだろう。(後略)
確かに茶道の世界には、道具に「家元の箱書き」が有るか無いかでその道具の価値がグンと違うというおかしな?風潮があります。
また棗や、風炉先、菓子器などに「家元の花押」があると、同様に価値がグンと上がります。
もっとも、家元が花押を描かれたり、「箱書き」される時には、その道具の素晴らしさをちゃんと認識されていらっしゃると思います。
「箱書き」という言葉は、日常よく聞かれる「極め書き」とはちょっと違います。
「極め書き」とは、その道具の真贋を証明する鑑定書のようなもの。「箱書き」とは、その道具が素晴らしいとか、好みに合っているということで書かれるものです。
茶会でも、この「家元の箱書き」のある道具を使ったほうが格調の高いものになるようで、寄り付き等に箱がずらっと並んでいて、その中に「家元の箱書き」があることが多いようです。
また、会記にも「○○斎書付」とか「○○斎在判」などと書かれます。
このように、「家元の箱書き」や「家元の花押」のある道具が茶会で珍重されるのは、当代家元の文章のように、その道具に『家元も同席されている』という感覚を語らせているのです。
当代家元の書かれた軸や「箱書き」のある道具を所持していないことを僻んでいるのではなく、こういった風潮は私にとって馴染みにくいものでした。
しかし、当代家元の上記の文章を拝読して、当代家元は、今までよりも親しみやすく 敷居の高くない茶道にするべく、率先努力されていると感じました。
その時代背景によって茶道も変わっていきます。よく聞かれる言葉の「不易流行」です。
私は、茶道という趣味を持ったことをとても幸せに感じており、茶道が大好きです。ですから当代家元のお考えや改革精神に賛成です。
2012.9.30 震災復興支援茶会
台風17号が近づいている今日、友人のお宅での震災復興支援茶会に行ってきました。
震災から1年6か月経ちましたが、震災復興支援茶会は今回でもう6回目ということです。3か月に一回ほどの割でお茶会をされていたことになり、友人には本当に頭が下がります。
お茶券代の1割を寄付されるとのこと。それも日赤等の大きいところにでは何に使われるかはっきりしないので、震災で親を亡くされた子供のための基金に寄付されるとのことでした。
香煎席では温かい昆布茶と珍しいおいしい干菓子を頂きました。床には蓮月の短冊が掛けられ、虫かごの花入れには楚々とした秋草が入れられ、香合は笛です。笛の音と虫の音で澄み切った秋を感じました。
本席では軸は玄々斎の消息、それに今朝初めて咲いたという秋明菊が。我が家の秋明菊はまだかたい蕾ですが、友人は咲いてほしいと花にお願いしたとか…《念ずれば花開く》ですね。
お菓子には大変気を遣う友人で、菊家の「ほおずき」。露地のほおずきはこの時期赤くなるそうです。大変美味しいお濃茶をたっぷり頂きました。お茶入は小ぶりの赤膚焼で仕服は高木間道、茶杓は櫂先が兜巾の淡々斎、茶碗は陶兵衛の萩焼。
そしてここでなんと続きお薄となりました。お茶会で続きお薄は初めての経験です。棗は鈴虫が蓋上に、蓋裏には月に村雲、合口には細かい秋草がほどこされている大変凝った素敵な棗。お茶碗もいろいろな種類が出てきて楽しめました。
続きお薄という趣向も、席の移動がなく時間が短縮されてよいものでした。
台風の影響が出る前に終わり、私はもちろん、お連れした生徒さんもとても満足されたお茶会でした。
new2012.9.05 東山魁夷と茶道
毎週楽しみにしているNHK日曜美術館で《東山魁夷10選》を見ました。
穏やかで、静か、しかし雄大な東山魁夷の風景画はとても心が和みます。東山魁夷の真面目で品格のあるお人柄そのものが絵画に表出しているようです。
当日の番組ゲスト、松本 猛氏(前長野県信濃美術館 東山魁夷館 館長)が下記の東山魁夷の書かれたことに関連したことをおっしゃっていました。
東山魁夷は「自然と私」という文の中で次のように書いておられます。
”(前略) 私は常に作品のモチーフにしているものは清澄な自然と、素朴な人間性に触れての感動が主である。
戦後の時代の 激しいそして急速な進みの中で、私自身 時代離れのした道を歩んでいると思うことが多かった。
(中略) 現代は文明の急激な進展が自然と人間、人間と人間との間のバランスを崩し、地上の全存在の生存の意義と尊さを見失う危険性がますます高まってきたと感じる。平衡感覚を取り戻すことは必要であるのは言うまでもない。
清澄な自然と素朴な人間性を大切にすることは人間のデモーニッシュな(邪悪な)暴走を制御する力の一つではないだろうか。人はもっと謙虚に自然を、風景を見つめるべきである。(後略)”
それを聞いていて私は、茶道と何か共通するものがあるのではないかと思いました。
つまり現代は特に都市部では人々はあくせくと時間に追われる生活をしています。心のゆとりを失っていて、ゆっくり大自然に触れるなどという時間を持つことはなかなか難しく、人間関係はギスギスしがちになり、個人としても自己中心的になりがちなのではないかと思います。東山魁夷の言う平衡感覚が崩れている状態で、物質的には豊かな生活の中、精神的に貧しい・・心の渇きがあるのではと思います。
茶道はたとえ市中の茶道教室であっても、ひととき畳に坐って 軸を拝見し花を愛で、気持ちを集中させてお点前をしたり、お客となって一服の抹茶を頂いたりして、静かなゆとりの時間を持てるものです。生徒さん方も稽古場にくると畳に坐って何かホッとするとよく言われます。
東山魁夷の絵画のように、茶道は心の平衡感覚を取り戻し、心の渇きをいやしてくれる静かな精神文化だと実感しています。
new2012.8.20 こぶ茶
今年の暑さは大変です。熱中症にかかる方続出のようです。
わが教室でもお稽古の帰りに熱中症になり、大変な思いをして自宅まで辿りつかれた方がいらっしゃいました。頭痛がして、吐き気まであり、次の日まで症状が続いたそうでお気の毒でした。
また、体調を崩されて8月の稽古を休まれる方も何人かいらっしゃいました。こう亜熱帯の気候では稽古場への往復が大変で、来年は8月に稽古をするのは考えなくては?と思っています。
そこで皆様に冷たい昆布茶を用意することにしています。今迄は冷たい麦茶を用意していたのですが、塩分も必要ということで、昆布茶を思い出しました。ちょっとしょっぱく、梅風味の昆布茶・・・・とても好評です。
茶道の稽古は甘いお菓子に少量の抹茶…水分・塩分不足になります。
昆布茶を飲むと身体がシャキッとする気がします。
2012.7.21 「茶事」再考
今さら書くことでもないでしょうが、「茶事」でのおもてなしの中心は濃茶。
濃茶を美味しく頂いてもらうために初炭手前をして釜の湯相をととのえ、懐石でちょっと腹ごしらえをしていただき濃茶を召し上がっていただく。
そしてついでに薄茶もお出しして終了。約4時間の心からのおもてなし。亭主と客は言葉でのコミュニケーションは最低限にとどめ、動作や音などでコミュニケーションをはかります。これが「茶事」・・・The Tea Ceremonyなのですね。
先日《稽古茶事》をして、「茶事」は、はたして現代という時代にマッチしている《おもてなし》だろうか?と生徒さんといろいろ話合いました。
*4時間もかかるおもてなし・・ちょっと長すぎはしないでしょうか。
*しかも長時間畳に正座…客にとっては足が痛くなりちょっとつらいのでは。
*懐石をルールに従っていただく…かしこまりすぎて味を楽しむ余裕が・・。懐石でお酒までいただき、メインの濃茶をこれから頂くということがうすれてしまいそう・・。
*後座になってようやく今回のメインの濃茶となり、薄茶になり"お茶のお呼ばれ"であったことを実感することになります。
*茶事が終了しても、亭主にゆっくり感想やお礼を言葉でいうことなく無言であいさつして帰路に・・ちょっと物足りない気がします。
「茶事」に参加する客は茶事のルールを十分知って、亭主の趣向、気配りに敏感に応える必要があります。
亭主は客が理解し反応してくれるととても嬉しいものです。つまり亭主と客の間には阿吽の呼吸、相互理解が必要です。
茶道と縁のない方が「茶事」に招かれたとしたら ちょっと窮屈でつらい思いをされるかもしれません。亭主のせっかくの趣向、心からのおもてなしも通じないかもしれません。
つまり「茶事」は”茶道を知っている仲間内での 形式に重点を置いたおもてなしの文化”なのかしらとも思います。
ではどなたにも楽しんでいただけるようにするにはどうしたらよいでしょうか?
懐石はできるだけシンプルに一汁三菜だけにして お酒は無し、ご飯のお代わりや汁の替えも無しにして時間を短縮、炭手前も出来ればあらかじめ整えておく。
そして中立して後座に入ってメインの濃茶をゆっくり召し上がっていただく。そして席を立礼席に移し、続きお薄にして亭主と客が和やかに会話を楽しむ・・・・こんなふうに進む「茶事」だとしたらどなたにも楽しめるものになるのでは?と考えます。
伝統を守ることはなかなか大変なことを実感します。正式の茶事を学びながら”おもてなしの心””おもてなしを受ける心”を養い、日常の生活に応用する…これが現代茶道で「茶事」をする意義なのでしょう。
2012.7.05 七夕茶事
久しぶりに茶事をしました。稽古茶事であっても事前に 墨で認めた案内状を出しました。もちろん皆様からも丁寧なお返事を頂きました。
まず懐石の献立、七夕をテーマにしての道具組等を勘考、それと並行して庭掃除・七夕の飾りつけ(これは5歳の孫と共同作業)・懐石の食器・道具の準備など、茶事をするにはいろいろと仕事がありますが、それも楽しいことです。茶事は亭主の楽しみが多いと聞きますがそのとおりです。
お客様は4人。稽古茶事ですから懐石は私が亭主として行いますが、後はお客様である生徒さんに交代でお点前をしていただきました。
懐石は作るのも盛り付けるのも運ぶのも私一人です。前日までに出来うる下ごしらえはすべてしました。ご飯は炊飯器で時間を決めておけば炊きたてホヤホヤをお出しできますが、お汁、煮物碗、焼き物は温かく出すという事にけっこう大変でしたが達成感はあります。
そのような状態でしたので、残念ながらお料理の写真・懐石の時の写真を撮る余裕がありませんでした。またせっかくの機会でしたのに 懐石を頂く作法をいちいち丁寧にお教えすることができませんでした。
風炉の時期は懐石→初炭の順なので、下火を沢山入れておかないと、いざ初炭の時に情けないことになってしまいます。これも今回の反省点です。
後座では私も席に入りました。濃茶の後、つづきお薄に入りました。干菓子は生徒さんにお願いしたところ短冊をイメージしたカラフルなものを用意してくださいました。そして干菓子の余白に金箔の星を散らして天の川に見立てたよそおいで素敵でした。
七夕の時 梶の葉に字を書くと字が上手になるというので、皆様に願い事を書いていただいて後座の床に飾りました。
茶事はお客様に美味しい濃茶を召し上がっていただくのが主目的で、そのためのプロローグとして懐石があるのです。プロローグにあまりの時間と労力を使ってしまってはいけません。懐石が主になってしまい、濃茶が洋食フルコースの時のコーヒーのようになってしまっては本末転倒です。
今回の茶事で、はたしてお客様に”濃茶が主目的であった”と感じていただけたであろうか?と心配になりました。亭主の私自身も初座の懐石に多くの労力をかけてしまい、後座に入ると何かホッとしてしまいました。
反省点が沢山ありましたが、茶事の流れは分かっていただけたと思います。思い切って茶事をしてよかったと思います。
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