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農薬にさらされない権利の確立を!


農薬に関する4つの知る権利(KNOWの権利)
 農薬はなにも農耕地だけで使われているわけではありません。一般住宅や団地、公共施設、公園、街路、交通機関、その他われわれの生活の場のいたるところで、農薬やその関連物質と同じ成分が使用されています。いつ・どこで・どんな薬剤が使われているか、また、その汚染状況はどの程度か、毒性はどうかなどを知らされないまま、われわれは、いつしか農薬を体内に取り込んでいます。
 そこで、4つの知る権利を提唱します。

@農薬を含有する製品を知る権利
 農薬の成分と同じ化学物質が、シロアリ駆除剤や家庭用殺虫剤、動物用薬剤、衣料用防虫剤だけでなく、塗料、衣料品、電気掃除機、家具、建築材料、その他日常生活で使用されるいろいろな製品の中に目に見えない形で含まれています。農薬及び農薬関連物質を使用したすべての製品に、薬剤成分名と含有量を表示することを求めます。

A農薬の散布時期・場所を知る権利
 嫌煙権が提起され、職場や公共の場での禁煙がようやく定着しつつあります。喫煙する場合でも、タバコを吸っていいですかと、まわりの人の了承を得るのがエチケットとなっています。ところが、農薬を散布する際に、散布していいですかと尋ねられることは、ほとんどありません。散布しますから、洗濯物にかからないよう注意してくださいと、一方的な指示があれば、まだいい方です。
 道を歩いていると、庭木に農薬を散布していたり、家屋にシロアリ駆除剤を散布しているのを目撃する時がよくあります。こんな時、息を止めて、足早に現場を通り過ぎるのが、農薬を吸わない最低の防御法です。交通機関やビルの中でも薬剤が漂っているはずですが、いつ散布されたか不明な場合が多いようです。
 薬剤を散布する場所には、あらかじめその時期と使用薬剤を示す標識を必ず立て、散布後も、立入りについて注意を促す呼びかけをするよう、散布者に義務付けるべきです。

B農薬の毒性・残留性を知る権利
 農薬の登録を申請する際には、毒性・残留性の試験データの提出が必要です。しかし、このデータはメーカーの財産だということで、公開されません。また、行政が行なう毒性データの審査過程も公表されません。行政やメーカー・販売業者には、これらの毒性・残留性に関する情報の公開を要求しましょう。さらに、薬剤の毒性・残留性を検討した既存の文献を調査させ、それを示すよう求めることも重要です。
 また、製品には動物実験などの毒性試験結果を具体的に表示することを求めます。

C農薬による環境・食品汚染の実態を知る権利
 各地の行政機関で、農作物をはじめとする食品の残留農薬調査や、農薬による環境汚染調査が行なわれています。
 多くの場合、農薬汚染値が公表されても、農作物の産地や測定場所が伏せられたままになっていますし、一般市民は、行政の有する残留農薬等のデータベースを利用することができません。
 薬剤の気中濃度については、散布者に分析を義務付ける必要があります。もちろん、検出されなくなるまで、該当個所が立入禁止になるのは止む終えないことです。
 また、隣りでまいた薬剤のために、へんな臭いがするし、体の調子がおかしい、ついては、薬剤の環境濃度を測定してほしいと思っても、頼みを聞いてくれる行政機関がないことも問題です。
 行政に対して、汚染の調査とデータの公開を求めることが肝要です。

  農薬にさらされない3つの権利(NOの権利)
 農薬やその関連物質は、本来的に生物を傷つけ殺すという役割りをもち、しかも環境中に放出されて、はじめてその効力を発するものです。そのため農薬使用による食品や生活環境の汚染は避けられず、ひいてはヒトの健康に影響を及ぼすことが懸念されます。
 このような農薬を例えば自動車にかけられて塗装に斑点ができたり、干していた布団や洗濯ものにかけられた場合、物損として散布者に損害賠償を請求するのは、比較的簡単です。
 しかし、現在の法体系では、ヒトにかけられた場合、かけられた側が農薬によって肉体的・精神的にどんな被害を受けたかなど因果関係を科学的に立証することが求められます。農薬をあびたり吸わされて、不快だからというのでは、多くの公害裁判の例に見られるように受忍限度論が展開され、農薬を使用した側の責任は問われません。使用する側が非科学的な理由、例えば、単に不快な虫だからということで、殺虫剤を撒き、伝染病がはやってもいないのに過度の危惧から、防疫薬剤を散布するのに対し、そのことで何の利益も受けないあびる側が農薬散布を拒否したり、健康被害を訴えるのに厳密な科学的証明が要求されるのは、法的にもバランスに欠きます。
 道に唾することだって、軽犯罪法の取締りの対象になります。まして、農薬のような有害物質をかけられたり、吸わされること自体、憲法で保障された基本的人権の侵害にほかなりません。
 タバコについては、嫌煙権が提起され、職場や公共の場での禁煙がようやく定着しつつあります。農薬についても、もっと積極的に、あびたり、吸ったり、食べるのはのはいやだと主張していいのでは、ありませんか。そして、近隣の住民の反対がある場合、薬剤散布ができないようにすることも考えねばなりません。
 そこで、 農薬にさらされない3つの権利を提唱します。

@農薬をあびない権利
 薬剤散布により、直接、人体にかかることに対する拒否権です。特に、何も知らない子供達が、散布直後の場所に立ち入ってしまい、農薬をあびてしまうのは許せません。

A農薬を吸わない権利
 散布により、蒸気や粉塵として、大気中に漂っている薬剤を吸わされない権利です。

B農薬を食べない権利
 農薬で汚染した食品や水を食べさせられたり、飲まされない権利です。

 3つのNOの権利は、いわば農薬による環境・食品・人体汚染をなくせということです。この原則が侵される場合、権利の侵害として、農薬を使用するなということを胸を張って主張しましょう。
 また、農薬の許容量や基準づくりに終始するのでなく、空気や水、食べ物の汚染をできる限り減らすことを目標に、人間の叡知をかたむけていかねばなりません。

7つの農薬ノーの権利の確立を
 ここに提唱した4つのKNOWと3つのNOの権利を合わせた7つの農薬ノーの権利は、まだ議論の途上にあります。今後、権利の内容をもっと煮詰め、法理論を確立せねばなりません。農薬およびその関連物質を取締まるいろいろな法律とその運用にこの権利を折り込むことも重要な課題です。また、現実に起こりつつあるさまざまな農薬による被害について、速やかに対応できる体制をつくりあげねばなりません。それには、分析科学者、医療関係者、弁護士などの専門家の協力も必要です。さらに、農薬にたよらない別の方法をみつけることも問われます。
 農薬ノーの権利が社会的に認められるよう、それぞれが身近なところから運動を展開していきましょう。

作成:1998-04-01