農薬の毒性・健康被害にもどる
t09006#八王子市:日本バイエルアグロケムの系譜を追う#99-06
 投稿記事にあるように、東京都八王子市並木町にある日本バイエルアグロケム社(略称NBA)の農薬工場跡地で土壌の水銀汚染が発覚し、その除去作業が始まった98年春以後、周辺住民に健康被害がでています。この跡地は、JR中央線沿い、西八王子駅の西側約500mの住宅地域にあり、水銀除去用の熱処理施設は、線路に面した側に建てられています。

■サリン合成のバイエルと提携
 NBA社の前身は、日本特殊農薬社(以下日特農)で、1941年にドイツのバイエル社との資本・技術提携の下で設立されました。八王子工場では、42年8月から、満州などで栽培される綿の種子消毒用有機水銀剤の生産が行なわれていました。
 バイエル社は、あの悪名高いサリンを合成したシュレーダーら(sarinのSは彼の頭文字です)を擁し、一連の有機リン剤を開発したことでも有名な化学企業です。また、「てんとう虫情報」の創刊号からの愛読者なら、ノミ取り首輪による愛犬中毒死損害賠償裁判でバイエル社が訴えられていたことも覚えておられるでしょう。
 日特農は、戦後の食糧難時代のコメ増産政策にのっかり、他社に先駆けて、ニカメイチュウ対策の有機リン剤パラチオン(ホリドール)の製造をてがけるとともに、水稲イモチ病に対する有機水銀剤の効力が判明したのをてこに、酢酸フェニル水銀剤の増産に力を入れました。
 ホリドールは、その急性毒性の強さ故に、多くの農民の中毒死事件をひきおこし、「特定毒物」の指定をうけたのち、71年まで登録が続きました。日特農は、パラチオン剤の生産はやめたものの、バイエル社の開発したDEPやESP、MPP、PAP、エチルチオメトン、ほかの有機リン系殺虫剤に生産をシフトしていきました。
 一方、有機水銀剤は、56年にコメへの残留が明らかになり、有機水銀化合物が水俣病の原因物質であることが確定した後も、73年まで登録が続きました。日特農は、イモチ病用殺菌剤として、有機リン系のEDDP(商品名ヒノザン)をバイエルとともに開発し、水銀剤から手を引きましたが、その残骸が、25年以上を経た現在、工場跡地周辺の住民に健康被害を及ぼすことになりました。
 91年に、日特農は日本バイエルアグロケムと社名を変更し、バイエルの日本支社としての色合を一層濃くするとともに、50年間にわたり、農薬の製造を続けた八王子工場を閉鎖し、跡地を浄化して、地価を回復した上、売却する計画を建てたのです(なお、八王子市議会は、跡地の公園整備など公有地化する請願を採択している)。

■操業を一時停止し、徹底した環境及び住民健康調査を実施すべき
 98年から開始された跡地浄化工事は、前ペ−ジの表−略−のように、建家の解体や敷地土壌の堀削からはじまり、すでに、水銀汚染度の高い土壌54000m2を熱処理するためのプラントが稼働しています。
 農薬要覧を調べると八王子工場では、上述の有機水銀剤や有機リン剤のほか、カーバメート系、有機砒素系、硫黄系、銅系農薬などを生産していたようですし、有機塩素系のBHCやPCNBの製剤もつくっていた時期があるようです。
 熱処理プラントからの排出物の環境汚染が問題となるのはいうまでもなく、解体や堀起こし作業による粉塵、さらにはそれまで安定化していた有害物質が、一般環境中に放出されることも懸念されます。水銀汚染のみにとらわれず、砒素や有機リンなど農薬由来の化学物質すべてについても、行政当局は、きちんとした監視体制をとるべきです。それにしても、いままでの調査結果を公表しないというのはどういうことでしょうか。
 金属味、咳、下痢等を訴える住民の健康被害の声に耳をかし、工場での操業を一時停止するとともに、詳細な環境調査と住民の健康調査の実施、及びそれらの公表が望まれます。
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作成:1999-7-30