ダイオキシンにもどる
t09103#タイでベトナム枯れ葉作戦の悪夢よみがえる#99-07
 30年後に起爆するようセットされた化学兵器がタイで爆発したというニュースをご存じでしょうか。爆発したというのは言い過ぎですが、要するにベトナム戦争の枯れ葉剤作戦で使われたオレンジ剤が埋設され、それが掘り起こされてしまったのです。オレンジ剤はタイの首都バンコクから車で3時間ほどのところにあるホアヒンというビーチリゾート地の民間空港敷地内に埋められていました。
 滑走路拡張のために敷地を掘り起こす工事中に偶然見つかりました。今年3月のことです。最初このニュースを知ったとき、まず思ったのは、80年代に問題になった日本の国有林内での除草剤2,4,5-Tの埋設処分のこと、それから、まだプーケット島などのビーチリゾートが開発されていなかった当時、タイの文化や伝統など知ろうとしない米兵がベトナムからホアヒンに遊びにやってきて、持ち帰るのが面倒なので飛行機かヘリコプターに積んでいたオレンジ剤入りの容器をそこに埋めてしまったんじゃないかということでした。というのも、ホアヒンというところは、タイ王朝のラーマ7世が避暑地としてここに離宮をつくって以来の高級リゾート地だからです。日本の葉山みたいなところですね。そのことを知っていたなら、米兵は国民感情を傷つけてしまいそうなホアヒンのようなところに枯れ葉剤を埋めたりはしないはずです。
 だが事件はそんな偶発的なものではなく、タイ軍部も関係した作戦行動に起因したものだったことが分かってきました。つまり、このオレンジ剤はランチハンド(枯れ葉剤作戦のコード名)プロジェクトの一環として、本格的にベトナムで使用する前に、タイの森林でその効果を試すために使ったものの一部らしいのです。掘り起こされたのは15リットルのプラスチック缶5個と200リットルの容器1個で、なかの薬剤はすべて土中に溶け出し、周辺の土壌が赤く変色していました。それ以降、100人以上の作業員が身体の異常を訴えたり、周辺住民のなかにも具合のわるくなる人がでて、これはオレンジ剤ではないかと大騒ぎになりました。
 タイ政府も当初は枯れ葉剤に違いないと言っていたのですが、その後「これはペンキの剥離剤である」とか、「中身は無害な溶剤で、99.99%枯れ葉剤ではない」などと前言をひるがえしています。結局のところ、土壌サンプルを分析した結果、ダイオキシン、ジベンゾフラン類が検出されていますし、オレンジ剤の原料である2,4-Dや2,4,5-Tが検出され、ホアヒンに埋められていたのは枯れ葉剤であることがはっきりしたわけですが、国の各機関がいろいろな分析結果を発表しており、アメリカ環境保護庁(EPA)も土壌を持ち帰って分析しており、まだ情報が錯綜している段階です。汚染の規模もふくめて、そのあたりのことはまたの機会に報告したいと思います。
 枯れ葉剤の実験散布が行なわれたのは1964年から65年にかけてのことで、ホアヒンのボーファイ空港を基地に、そこから南へ10キロほどいったプランブリという地区の軍用地が実験台になりました。事件が明るみにでた直後は、この作戦の存在そのものが一般には知らされていませんでした。ホアヒンの空港はベトナム戦争時に米軍が使った基地リストに含まれていないし、ベトナムから遠いので(爆撃機は東北タイの基地から出撃した)、そこに枯れ葉剤が埋設されることはないだろうといった観測がタイの新聞で報道されています。
 タイのアメリカ大使館も、当初、「オレンジ剤であれば55ガロン入りの金属容器にオレンジ色のストライプがはいっているはずだから、ホアヒンで見つかったのは我々とは関係ない」と言っており、散布実験のことが明るみにでると、作戦の存在は認めても、「危険なものを埋設するはずがない」と口をぬぐっています。とすれば人体被害も広がっているかもしれません。現在57才になるソムチット・ポンパンガンというカセサート大学講師は、当時タイ軍の科学チームの一員として実験に参加し、7年後の1971年9月30日から10月1日にかけて、今度は国立科学アカデミーの「枯れ葉剤が人体・環境に与える影響に関する委員会」のタイ人メンバーとして実験地をおとずれました。そこで胸骨が変形した障害をもつ男の子を見つけました。この男の子の母親は実験当時、妊娠しており、軍に雇われて薬剤の紙フィルターを集める作業に従事していたといいます。 (竹本洋二)
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作成:1999-08-27