環境汚染にもどる
t15304#クミアイ化学横浜工場跡地の砒素汚染を追う#04-10
 前号速報でお知らせしたクミアイ化学(旧東亜農薬)横浜工場跡地の砒素汚染現場では、4月26日から、横浜市交通局が川和車両基地建設地内の汚染土壌の処理をはじめました。
 交通局はホームページで処理状況の広報を行っていますが、それによると、4400uの汚染地から13000立方米の土壌を不溶化処理し、基地内の別個所の遮蔽槽に約3ヵ月かけて埋設するとのことです。砒素で汚染された土が飛散しないよう、防護壁やネットで覆ったり、撒水が行われ、風速によっては、作業を中止することになっています。日本軍の化学兵器工場のあった広島県大久野島では、砒素汚染土壌を島外に搬出・処理していますが、横浜市のように砒素除去をしないで、不溶化するだけで、今後の汚染の心配はないといえるのでしょうか。
 わたしたちは、この農薬工場で製造していた他の農薬による汚染はないか。また、車両基地が建設されているのは、借地を含み約21000uあった農薬工場敷地の一角にすぎず(地図−省略−)、すでに、会社や住宅が建っている場所に汚染はないかを懸念して、横浜市や神奈川県、クミアイ化学、農水省に問い合わせを行うとともに、東亜農薬の社史「二十五年史」(1968年刊行)を調べてみました。いままでに、わかったことを以下にまとめました。

★横浜工場では1925年から砒酸鉛を製造していた
 表1に、東亜農薬横浜工場の沿革を示しました。社名は大東亜共栄圏への飛雄にちなんだもので、同社が設立されたのは、日米開戦後、1942年5月のことです。当時の農林省の農業薬剤企業整備方針に従い、全購連(全農の前身)と横浜植木など5メーカーが参加しました。

      表1 東亜農薬(現クミアイ化学)の沿革

  【参考資料】横浜植木のHPにある会社沿革

     クミアイ化学のHPにある会社沿革

 神奈川県内陸部、鶴見川沿いの田園地帯に東亜農薬の前身である横浜植木・横浜工場ができたのは、さらに17年前の1925年でした。この工場では、主に砒酸鉛と砒酸石灰の製造が行われてきました。酸化鉛と無水亜砒酸と硝酸を原料に砒酸鉛を、鉛化合物の代りに消石灰を反応させて砒酸石灰を合成し、製剤まで一貫製造がなされました。ほかに、大豆展着剤やソーダ合剤の製造も見うけられます。戦前の農薬は、無機系や天然系がほとんどで、戦後の東亜農薬も、これを受け継ぎ、砒素系農薬のトップメーカーとして、業界にその地位を築いて行きました。
 戦前から製造が続いた砒酸鉛は、1948年制定された農薬取締法による登録農薬の第1号となり、1971年には「作物残留性農薬」の指定を受けましたが、果樹や野菜の殺虫剤として利用され、1978年12月18日に失効しました。その後もみかんの減酸剤として、無登録のヤミ農薬として出回り、問題となったこともあります。

★横浜工場でどんな農薬が製造されたか
 横浜工場では、約半世紀にわたり、砒素系農薬の製造が行われ、閉鎖後30年以上を経た2年前に土壌汚染が見つかったわけですが、この工場では、ほかにどのような農薬が製造され、それらによる環境汚染はないのかが、気になるところです。
 東亜農薬は、横浜のほか小田原、兵庫県竜野、青森県藤崎に三工場を有しており、たとえば、1963年度には表2のような農薬を出荷していますが、工場別の農薬種類や生産量は不明です。

     表2 東亜農薬の農薬出荷量(1963年度)−省略

 このうち、横浜工場の主力であった砒酸鉛は、1965年の1185.7トンをピークに66年889.0、67年476.3トンと漸減していき、クミアイ化学となった1972年からは出荷がありません。
 小田原工場が操業開始する1953年までに登録した農薬が、横浜工場で製造されたとすれば、少なくとも硫酸ニコチン/硫黄/駆除油/展着剤/銅/水銀/除虫菊/ワルファリン/メチルパラチオン/パラチオン/デリス/ジネブ/クロールデン/TEPP/EPN/2.4−Dなどが取り扱われていたと推定されます。
 社史では、BHCとDDT(BHCについては、一時期、小規模な原体の製造も検討)が製造されていた記載がある以外、他剤の製造状況についてははっきりしません。
 農薬取締法では、製造場所の所在を届出る必要があるため、東亜農薬の登録農薬374剤について、農薬対策室にたずねましたが、1975年以前の資料は、コンピュータ管理でなくマイクロフィルムで保存しているため、抽出作業をするのが大変ということで、断わられました。

 工場跡地利用に際して、横浜市や神奈川県が実施した環境調査で、砒素以外の鉛や水銀銅などの重金属、有機リン化合物、有機塩素化合物、有機硫黄化合物、ダイオキシンやPCB等がどの程度検出されていたかを知りたいと思い、問い合わせ中です。

★砒素の毒性について−省略

★農薬工場跡地での環境汚染調査を
 私たちは、いままで、POPs系農薬(DDT、BHC、ドリン系3剤)やダイオキシン含有農薬(2,4,5−T、PCP、CNP、PCNB)については、使用禁止後に農水省の指示で土中埋設された個所だけでなく、その原体・製剤製造工場及び廃棄物処分場をも問題にせねばらないと指摘してきました。
 砒素や鉛、水銀系など重金属類を含む農薬工場についても同じで、すでに、日本バイエルアグロケムの八王子工場跡地(東亜農薬に遅れること3ヶ月の1942年8月に操業開始された旧日本特殊農薬の工場でしたが)でも、水銀の土壌汚染が発覚し、住民の反対にも拘わらず、現場での処理が完了しました(てんとう虫情報90、96、98、106号参照)。
 旧日本軍が製造した化学兵器である有機砒素化合物については、環境省が軍関係の施設やその周辺の環境調査を実施していますが、前述のような農薬については、埋設個所の一部が調査されているだけです。このまま、手付かずで放置しておくと、いつの日にか環境汚染、健康被害をもたらす可能性を秘めています。環境省を中心として、旧農薬工場やその廃棄物処分場の環境調査の早急な実施が望まれます。
 砒酸鉛についていえば、日本農薬、日産化学、トモノ農薬、キング除虫菊、三共、九州三共、北海三共、三明化成、日本鉱業などで製造されていました。これら工場やその産廃処分場はどうなっているかきちんと環境調査すべきです。少なくとも、旧横浜工場跡地には、民間会社や住宅が建っており、人々はそこで、今も生活しているのですから。
    【参考】横浜市交通局
        横浜環状鉄道川和車両基地内の汚染土の処理について
          建設現場

                横浜環状鉄道川和車両基地内の汚染土処理工事の本施工について
                    4/24お知らせ 6/04お知らせ

                6/15川和車両基地内の砒素汚染土処理工事に伴う泥水状の汚染土の飛散事故について

                 7/30川和車両基地内の砒素汚染土処理の進捗状況と処理に伴う周辺道路の切り廻しについて

        8/27横浜環状鉄道(中山〜日吉間))車両基地における汚染土処理の状況についてお知らせ

        9/13川和車両基地における汚染土処理についてのお知らせ

        9/27川和車両基地における汚染土処理の状況についてお知らせ

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作成:2004-10-25