農薬の毒性・健康被害にもどる

t24005#農薬の脳・神経系への影響〜食品安全委員会のADHD(注意欠陥・多動障害)文献調査から#11-08

 記事t23701で、食品安全委員会による「ヒトの発達障害と農薬に関する情報収集調査」結果が公表されたことを紹介しましたが、今号ではその内容をもう少し詳しく解説します。
【参考サイト】食品安全委員会の食品安全確保総合調査 ヒトの発達障害と農薬に関する情報収集調査仕様書
       「ヒトの発達障害と農薬に関する情報収集調査」結果(請負業者:三菱化学テクノロジーで、全文379頁)

★なぜ、農薬とADHD関連が疑われるか
 農薬や殺虫剤の中には、神経細胞の作用に影響を与え、昆虫などを致死させる成分が多くみられます。有機リン剤やカーバメート剤、ネオニコチノイド剤、ピレスロイド剤などが該当し、これらの多くは、神経伝達物質(神経が刺激を受けた場合、その情報を他の神経や筋肉等に伝える役割を担う化学物質)のひとつアセチルコリンの正常な作用を妨げます。アセチルコリンは昆虫だけでなく、哺乳類にも共通の伝達物質で、人が農薬を取り込むと死ななくとも、頭痛や眼の異常をはじめとするさまざまな中毒症状を引き起こすことになります。
 また、アセチルコリンやその受容体(神経伝達物質と結合して、他の神経細胞や筋肉組織に情報を伝える役割を担う)は、神経伝達作用だけでなく、発達中の脳内では、神経回路網の形成・組織化においても、大きな役割をはたしています。そのため、脳神経系の発達途上に農薬等の影響を受けると、不可逆的な脳機能障害(ADHDや自閉症など)につながるのではないかとの仮説が提示され、そのための疫学調査が行われるようになりました。
 記事t16707で紹介した「危険な道」(社会的責任を果たすための医師団・大ボストン支部が作成した報告集(2000年刊行)。全訳は渡部和男さんのホームページ
http://www.maroon.dti.ne.jp/bandaikw/child/InHarm'sWay/InHarm'sWay.htm )には、アメリカで18才以下の子供の17%、1200万人にみられる学習・発達・行動障害の原因と対策をさぐるため、多くの研究論文を精査し、原因と考えられる物質が解説されています。
日本でも、食品中の残留農薬として有機リンなどが検出されているのに鑑み、食品安全委員会が、遅ればせながら、やっと、文献調査に手をつけたわけです。

★食品安全委員会の疫学文献は25報
 2000年以後の疫学研究論文が調査対象になっています。上述の4系統の農薬の種類名や農薬成分433に加え、ADHDや神経毒性関連用語と疫学調査関連の用語で、文献データベースが検索された結果、33の論文がヒットしました。このうちオリジナル論文が25報あり、農薬別内訳は、有機リン系論文17(カーバメート系、ピレスロイド系を併合したもの各1報を含む)と農薬名等の明示がない論文8で、ネオニコチノイド系は該当論文がありませんでした。

 疫学調査では、用量-反応の関係が問題となります。用量すなわち摂取量=農薬類をどれだけ取り込んでいるかに応じて、反応=どのような影響がでているかの関連を調べて、その農薬の危険性を評価します。しかし、暴露時期によって表れる影響の内容も変わってくるので、用量が大きければ、影響も大きいというわけではなく、何を反応とみるかが重要です。
 用量については、たとえば、臍帯血中の農薬そのものの濃度や尿中の農薬代謝物の濃度など具体的に農薬摂取量の尺度となる数値が得られている場合もありますし、農薬散布量が多い農村地帯と使用されていない対照地域とで比較する場合もあります。
反応については、出生児の身長・体重・脳囲、新生児の反射反応、乳幼児や児童の運動機能や注意力ほか種々の指標で評価されます。
 暴露時期が問題になるため、現在の摂取状況だけでなく、過去にさかのぼってどの程度被曝したかの情報も必要です。母体内での胎児期の被曝、乳児期、幼児期から10代半ばまでの脳神経系発達途上時期での被曝の程度により、影響の出方もさまざまです。また、疫学調査では、遺伝的要因や生活環境、農薬以外の他の化学物質についての考察も必要で、どんな農薬が、どのようなメカニズムで、どのような影響を脳神経系に与えているかを科学的に証明するのは、なかなか難しいといえます。

★アメリカでの疫学調査の事例
 食品安全委員会の報告に要約されている、昨年公表されたアメリカでの調査結果を一例として示しましょう。
 同国では、有機リンの神経毒性について早くから注目されており、その使用規制とともに、データの集積が進んでいます。電子版Pediatrics誌2010/05/17に掲載された疫学調査で、解析対象となったのは、8〜15才の1139人です(渡部さんのHPにある論文紹介)。このうち、ADHDの診断基準に該当する子供が119人いました。2000〜2004年の国民健康栄養調査で集積されていた有機リン化合物の尿中代謝物(ジアルキルリン酸塩)濃度が用量指標となりました。その結果、尿中ジアルキルリン酸塩濃度の高い子供はADHDと診断されることが多く尿中ジメチルリン酸塩濃度(DEP、DDVPほかの代謝物)が10倍増すと、ADHD児の診断は1.55倍(性別、年齢、人種/民族、貧困/収入ほかの他の要因を補正後)高まること、ジメチルチオリン酸塩濃度(ジメトエート、マラチオン、メチルパラチオン、DMTP、MPPほかの代謝物)が中央値を超えて検出された子供(366人)では、検出限界以下の子供(407 人)に比べ、ADHD と診断された割合が1.93倍であったとの報告がなされています。
 有機リン剤がADHDの発症にどのようなメカニズムで影響を与えているかは不明ですが、アメリカの子供が、日常的な残留農薬による食品汚染からの有機リン摂取で、ADHDを発症する可能性を示唆したこの論文に、同国の環境保護庁(EPA)も注視しています(渡部さんのHPの紹介記事)。
日本でも、有機リン系農薬代謝物の尿中濃度の季節変化が富山県衛生研究所から報告されていますが(記事t14006)、人への影響は調べられていません。

★有機リン以外がヒットしない状況では
 食品安全委員会の報告では、ラットなどの動物実験による文献も調査されていますが、ヒットした論文は13報で、すべて有機リン系でした。論文数が少なく、ネオニコチノイドやピレスロイド系の論文のヒットがないのは、検索語の選定に問題があったためとも考えられます。
食品安全委員会は今回、脳神経系に限った文献調査をしましたが、人の成長や生命維持に不可欠な免疫系などとの関連も含め、人の疫学調査や動物実験だけでなく、神経細胞を用いた研究をも対象とした幅広い文献調査を行い、この分野の知見を総括して、まとめるべきでしょう。

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作成:2011-10-31