2002.09.18
観月茶事を終えて
中秋の名月より3日早い今日 昼間にだが、観月の趣向で稽古茶事をした。脇床の棚に、秋草と 15個のお団子と 季節の果物や野菜をお供えして雰囲気を出した。
懐石、中立後は、かるく茶箱の「月点前」でお薄を召し上がっていただくという略式の茶事だ。お客は5人。懐石は調理も、盛り付けも、運びもすべて私一人でやったので結構大変であった。
懐石料理の中で一番力を入れたのがやはり煮物椀。豆腐と大和芋と卵白を混ぜた種に、栗と鶏肉、木耳を包み込み、ガーゼで茶巾に絞り蒸し、吉野葛の蟹、菊花入りあんをかけてお出しした。温かいのをお出しできたら最高だったが何せ一人ではそうもいかず、冷たくしてお出しした。後座では、若い方にお点前をして頂いた。
干菓子は観月にはぴったりの 富山(主人の郷里) 月世界本舗製の「月世界」。このお菓子は、白くさくさくとした軽いもので、東京ではどこで売っているか分からなかったので、インターネットで求めた。注文して2,3日で届くのだから便利な世の中になったものだ。
お薄だけだったので茶事は意外に早く終わった。折角5人揃ったので 後は、卯の花点前で花月をする。盛り沢山のメニューで皆さんお疲れだったと思うが私は充実した1日だったと満足している。稽古茶事なので、生徒の皆さんに今回は前礼と後礼の葉書を出すよう言っており、前礼は既に届いている。どんな後礼のお手紙がくるか楽しみだ。
2002.09.05 そったく(啐啄)同時
「そったく(啐啄)同時」というお軸をよく見かける。もともと雛が孵るとき雛が殻の内側からコンコンと突付き、その時同時に親が外側からコンコンと突付いてやると無事に雛が生まれることから、師弟、親子の間の教育もこのように呼吸がぴったり合うことが教育の秘訣というのだ。
茶事の時の、亭主と客の気持ちもこのようにぴったりと合うとよいということでこの「そったく(啐啄)同時」の言葉が使われるのだ。いくら亭主がいろいろな趣向で気を遣って気配りをしても、客がそれを理解せず有り難いと思わなければ、それは亭主としてはがっかりすることであろう。また、客も勿論悪気はないにしても 充分茶事を楽しんだことにはならないかもしれない。この場合亭主の趣向が分かりにくいものだったかもしれないし、気配りも相手にはうっとうしいことだったかもしれない。客のほうも招いてくれた亭主への思いやりが足りなかったか、その表現方法が下手だったのかもしれない。
師弟、親子間のみならず、日常生活では友達同士や夫婦間でも、「そったく(啐啄)同時」の気持ちは大切で お互いの気持ちが一致しないと 相手にとっては有り難迷惑であったり、無神経と思われたり、余計なお世話となったり、うっとうしくなったりする。
仲秋の観月稽古茶事を近々するので、この「そったく(啐啄)同時」の言葉を胸に秘めておこうと思う。
2002.08.11 真夏の稽古
最近の夏の暑さはひどく、35度をらくに超える。そこで8月は稽古を休んでいた。ただ昨年はお茶会を控えていたため、8月も稽古をした。今年は、7月に娘のところに孫が生まれ手伝いのため稽古をお休みしてしまったので、8月に稽古をすることになった。こう暑いと稽古にきてくださる方も大変だと思う。
そこで、暑い中来てくださった方を如何に迎えるかこちらも考える。打ち水はたっぷりと(といってもせいぜい午前中だけ)、玄関棚には観葉植物や、ガラスや染付けの置物を藍染のクロスに並べる。熱いおしぼりと、氷の入った麦茶でちょっと休んでいただく。もちろん、エアコンはつけてあるが、うちわや扇風機も用意しておく。この時期は 火はあまり使いたくないので 風炉でなく 瓶掛で茶箱の稽古。卯の花点前から雪月花,色紙点。茶箱はコンパクトに道具が納められていて、「ままごと」のようで女性には好まれている。簡単のようでもあるが、けっこうややこしく、好き嫌いが分かれる点前だ。
2002.07.30 夏は冷茶
雑誌「和なごみ」に、南蛮島物で取り合わせた南国気分の夏茶会の記事があり、友人がその茶会に行ってきたと聞いて読んでみた。戸外でジャワ更紗の敷物を敷いて、茶筅と茶巾以外はすべて東南アジアからのいろいろな器物を茶道具に見立てた「盆略点前」となっている。お菓子は、椰子の実で作った器にバナナチップであり、茶は氷をたっぷり浮かべた水指から、ひさごの杓子で汲んだ冷水で点てるのだ。東南アジア各国からの器物が見事に調和していて、席主である黒田宗光氏の確かな目利きに感心した。冷茶がとても美味しかったとのことで、私も家で早速点ててみたが、泡は立ちにくいものの 暑い戸外で頂けば、きっとさっぱり、すっきりと汗がひく味わいだろうと思った。 |
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2002.07.13 お弟子さんの結婚
私のところの生徒さんは若い方が多い。先々月も一人結婚された。成城教会でのお式には、私と教室の方も何人か列席してお祝いをした。楽しく優しそうな旦那様に寄り添う花嫁はまばゆいばかりの美しさだった。
学生だった方が、就職、結婚、出産と 若い女性はめまぐるしく環境が変化し、住む場所も変わるとなると、茶道を習っていても一生同じ先生のところでお稽古をするということは不可能だ。私自身もやむなく、5回ほど先生を変えるということを経験した。振り返ってみると、先生もいろいろであった。高齢でニコニコといつも穏やかで、坐っていらっしゃるだけでほのぼのする先生、茶花を庭で数多く育てていらっしゃり、和菓子も時々お手製の先生、また若いときから業体先生に本格的に習われ、教え方がとてもお上手で、稽古のときのお道具もお茶会にも使えそうな素晴らしいものを惜しげもなく出してくださる先生等 みなそれぞれで、いろいろな先生に出会えて、とてもよかったと思う。
2002.06.19 新時代の予感
月に一回送られてくる「淡交タイムス」は、会員である私たちが、家元・裏千家を身近に感じることが出来る印刷物である。最近オールカラーになり、表紙には坐忘斎若宗匠の題字と写真がつき、レイアウトも今風となり、伊住宗晃若宗匠の短歌、エッセイが載り、内容もかなり変わった。いよいよ若宗匠方の時代を予感させることだ。6月号の 伊住宗晃宗匠と林屋晴三氏の対談は興味深かった。若宗匠の 新しい茶道の場を模索する真剣な意気込みが伝わってきた。伝統の中から新しいものを提示すること、例えば道具の取り合わせや茶室そのものに現代に合ったものを見出すこと等・・・。社会の変化のスピードに伝統文化の茶道がどう対応して生き残っていかれるか 若宗匠方の真剣な取り組みを私はおおいに期待している。
2002.05.27 繍
知り合いの方から素敵な帛紗入れを頂きました。柿茶色で、その方がデザインされた図案を自由が丘にある「繍」というお店で日本刺繍してもらったものです。しかも私の名前の一文字も奥ゆかしく目立たなく刺繍されており感激、まさに世界で唯一つの“my帛紗入れ”。いろいろ珍しく洒落たものを見つけるのが大変お上手な方です。大切に使おうと思います。
2002.05.18
天目茶碗
主人が北京に行き、おみやげに茶碗と、棗、香合を買ってきてくれました。茶碗は天目形で、禾目(のぎめ)です。兎毫盞(とごうさん)とも言いこまかい兎の毛を思わせる黒釉が一面にあるものです。じつは、だいぶ前に台湾のかたから同じ感じのお茶碗を頂いた事があり、それはズッシリと重く下部は厚手で、外側の釉薬が厚く垂れていていかにも骨董という感じのもので実際に使うことなどできないようなものです。今回のものは、やや小ぶりですが手に受けた感じがとてもしっくりとして、重さもあり、光沢があって大変気に入りました。実際に「唐物」として大切に使おうと思います。
棗、香合は、黒地に螺鈿で細かい草花や幾何学模様が描かれています。漆も照りがあって華やかなものです。先日ここで、韓国の螺鈿のことを書きましたが、韓国のものも照りがあって模様はもっとびっしりと多く、使ってある貝もピンク・グリーン系のもので、青・紫系の貝が使われている中国の螺鈿と少し趣がちがいます。 私が茶道をしているので、私が喜びそうな茶道具を苦労して(?)買ってきてくれた主人の気持ちをありがたく思いました。
5月から 風炉の季節です。いつも連休の時期に道具の入れ替えをしますが、これがなかなか大変です。
まず、炉の道具を片付けます。灰は振るってきれいに平らにして、火箸で水の卦の筋を入れておきます。
灰は全部上げておくのが良いようですが、私はそのままにしています。 次に押入れの奥の風炉を出すために、道具を殆ど全部出します。 積み木のように狭いスペースに効率よく入れているので 畳に置いていくとこれがけっこうな量! 風炉用の道具を出し、炉用のものを片付け、いよいよ風炉の灰形を作ります。
灰形を作る時私は心穏やかになるモーツアルトの音楽をかけます。今日は「ピアノ協奏曲第21番」。大体3楽章まで聞く間にほぼ“遠山”の形が完成。やはり入れ替えに午前中いっぱいかかりました。
風炉、炉と季節をきちんと分けるお茶の世界、毎年2度 入れ替えの大仕事を強いられます。
道具も釜、柄杓、蓋置き、香合等から火箸、炭の寸法にいたるまで変わり、坐る向きも 点前も違ってくるこの複雑さ・・・そこがお茶を飽きないで続けられる所以なのでしょうか。 お茶をしていると不精は出来ません。不精でなくなるというのもお茶の一つの効用と思います。 すっかり変わった茶室に坐ると、気分も夏モード。
韓国の済州島Chejuに行ってきました。
リゾート地でのんびりした とても良いところでした。日本がオリジナルと思っていた盆栽芸術館があったり、貝をはめこんだいわゆる螺鈿の漆の製品があったりで日本の文化はやはり中国、韓国からきたことを実感しました。青磁の天目形のお茶碗も売っていましたが、いかにも薄いので扱いが難しそうでした。
また、ホテルで用意されていたお茶にもいろいろな種類があり、それぞれに味わい深いものがありました。お茶という文化は広くアジアに広がっていることを感じました。
昨日、京都大原の三千院に行ってきた方から、お土産に「金色不動茶」を頂きました。
三千院の中の休憩所でのお茶がとても美味しかったとのことでお土産にしていただいたのですが、今日早速頂きました。梅昆布茶ですが、桃色のお茶に金粉を散らしたいかにも京都らしいはんなりとしたお味でした。
京都の町も今年は例年になく桜が早かったそうですが、山里の大原は枝垂桜が満開で、石楠花も見事だったそうです。
昨日、またお茶会に行ってきました。場所は六本木の茶寮あらいです。
お茶券も、点心付きの券(7000円)と、お茶だけの券(3500円)が選べ、若い方にも気軽に行けるようにとの気配りがされていました。また、時間が指定なので、待つこともなくよかったです。いろいろと新しい発想と感心しました。
薄茶席二席で、一つのお席は茶杓荘りでした。席主の方が、当代家元の茶杓をお知り合いから頂いたので、感激して荘り物になさったとのこと。その感激が私たちにも伝わってくるようでした。 床の花がまたとても珍しい「雪持ち草」、初めて拝見しました。もう一つの席は最後、杉棚に総荘りされ、また面白い趣向でした。
「二つの席のうち一つは正客に」と席主の方から私に言われていたのですが、年配の方が正客を二席とも率先してやってくださって助かりました。しかし時間制だったため、同じグループの客が二席続けて入るのに、二席とも同じ正客というのも変化がなくて如何なものかとという意見もありました。
昨日は茶道会館に、静和会のお茶会に行ってきました。
濃茶席一席、薄茶席三席です。濃茶席のお軸は『瑞猿春風舞』当代家元の若い時に書かれたものでした真っ白い牡丹が見事でした。薄茶席では、八千代棚をはじめて拝見しました。旅箪笥よりひとまわり小さく塗りの棚です。蓋の裏に、古今和歌集の中から「我君は千代に八千代にさざれ石の・・・」の歌が書かれています。あと、御幸棚、七宝棚の席もあり、菓子器もユニークなものもあり、いろいろなお道具を拝見出来ました。 相変わらず、正客が決まるのに手間取ったお席もあり、ある程度薦められたら快くお引き受けになったらよろしいのにと思ったものでした。お茶会の楽しみは何といってもいろいろなお道具を見せていただくことと、ご亭主と正客のやりとりを聞かせていただくことだと思います。