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私はこれまで社内向けにe-hanashiと題してエッセイの
ようなものを書いてきました。たまたま、仕事に関係のない内容のものを外部の方に読んでもらったところ、差支え
ないものについては続けて読みたいというありがたいご希望をいただきました。これから時々、私の駄文をHP上に掲載させていただきます。お読みいただければ幸いです。

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e-hanashi pv20050115 渋沢栄一とパブリック
e-hanashi pv20041229 2004年、世の中にも私にも色々ありました
e-hanashi pv20041218

イタリア!

e-hanashi pv20041114 シンガポールで考えたこと
e-hanashi pv20041030
幽翁、伊庭貞剛

e-hanashi pv20041003

江戸時代はすごかった
e-hanashi pv20040828 夏の終わり - 雑感
e-hanashi pv20040816 瀕死のヒナとの出会い
e-hanashi pv20040803 おカネと幸福について
e-hanashi pv20040710 自分の年金は自分でつくる!
e-hanashi pv20040705 ホーミイ
e-hanashi pv20040625 投資教育の前に「お金の大切さ教育」を
e-hanashi pv20040529 懐かしのニューヨーク旅行
e-hanashi pv20040511 「若者よ、カネを貯めろ!」−年金問題のおさらい
e-hanashi pv20040425
人口問題を考える

e-hanashi pv20040415

四国八十八札所お遍路の旅
e-hanashi pv20040413 人生いろいろ

e-hanashi pv20040330

土地神話の呪縛
e-hanashi pv20040309 命の重さ
e-hanashi pv20040222 ホンネとタテマエ
e-hanashi pv20040211 ナンバー・ワンとオンリー・ワン
e-hanashi pv20040201 ふたたびリーダーシップとビジョン
e-hanashi pv20040121 瞑想
e-hanashi pv20040111 リーダーシップとビジョン
e-hanashi pv20040104 減量達成!
e-hanashi pv20031228 私さがし
e-hanashi pv20031224 開運の秘訣
e-hanashi pv20031221 インベストライフ
e-hanashi pv20031211 香港雑感
e-hanashi pv20031124 芸術の秋
e-hanashi pv20031118 メトロ沿線ウォーキングに参加
e-hanashi pv20031114 CFA授与式に出席して
e-hanashi pv20031025 情報→感情のメカニズム
e-hanashi pv20031016 フィランソロピーと投資

e-hanashi pv20030927

日本人の性格を形成するもの
e-hanashi pv20030918 ボサノヴァ
e-hanashi pv20030911    東海道完歩
e-hanashi pv20030819 ぶらりウォーキング旅
e-hanashi pv20030809 プレゼンテーションの技法
e-hanashi pv20030730    何でも3ポイント法
e-hanashi pv030721 北海道旅行から幕末・明治を考える
e-hanashi pv20030519 アップル大往生

e-hanashi pv20050115
渋沢栄一とパブリック

昨年12月の中旬にインベストライフの仲間と渋沢栄一についての座談会を行いました。座談会はインベストライフの1月号に掲載されています。座談会には栄一から数えて五代目に当たる渋沢健さんも参加していただけ、しかも、栄一が晩年、こよなく愛していた洋風茶室、晩香廬を使わせていただけました。まるで、渋沢栄一が座談会に参加してくれているような雰囲気でした。

渋沢栄一は、日本の近代資本主義の生みの親、また、産業・経済界の父とも呼べる人です。大蔵省、第一国立銀行の初代頭取などを務めた後、多数の企業、教育機関を設立し、また、幾多の慈善事業を着手しました。彼の信念は「論語とそろばん」、「経済道徳合本主義」「実業は国利民福」などの言葉に象徴されています。1840年、天保時代に生まれ、1931年、昭和6年までの91年の波乱万丈の人生はとても興味深く、また、学ぶことの多いものです。

表面的には、彼の人生は「節」が変わっているように見えます。例えば、若い頃は尊皇攘夷の志士でした。城の乗っ取り計画が挫折し、窮地に陥ったところを助けられ、徳川慶喜に仕えることになります。しかも、外国人は夷狄禽獣だと言っていた彼が、パリの万国博覧会への使節団に参加することになります。帰国後、今度は新政府の大蔵省に勤務し役人となりますが、それも退職して民間事業の拡大に注力することになります。一体、どうなっているのかとも思える人生です。現実主義者であったのかもしれません。私は多分、彼の心のなかでは、その時々、葛藤はあったと思いますが、一本、筋は通っていたのだと思います。それは「パブリック」という概念ではないかと思うのです。

面白いエピソードがあります。彼が17歳の時に藩の陣屋から彼の父親に呼び出しがあります。病気の父の代理として栄一が出向くのですが、その時、役人が「このたびお姫様がお輿入れされるので御用金の支払いを申し付ける。ありがたくお受けいたせ」と言われます。それに対して栄一は、「自分は父の代理なので即答はできない」と言いはります。役人は烈火のごとく怒ります。当時としては考えられないことだったのでしょう。それでも栄一は頑として聞かず、家に戻ります。結局は父の意向で支払うのですが、権力に対して抵抗感を持っていたことを感じさせる話です。「反権力」という視点で見ると彼の変節とも思える生き様は筋が通っていると言えそうです。本当の国の力は権力者ではなくて民が持っているのだということを彼は幼い頃から知っていたのでしょう。そしてパリで近代的な資本主義を目の当たりにして目が覚める思いをしたのでしょう。

ここで「民」というのは「パブリック」です。土井健郎先生の「甘えの構造」(弘文社)にパブリックに関する興味深い記載があります。パブリックというのは本来、個人や個々の集団を超越するものを意味しますが、この言葉が外国から到来して日本語に訳さなければならなくなったときに、それに対応する適切な言葉がなく、考えた末、「おおやけ」という語を当てはめた。それはなぜかというと「おおやけ」つまり「皇室」というものが日本の変わらぬ権威ある存在として、これまで種々の集団間の争いを止揚する機能を果たしてきていたからです。こうして「パブリック=おおやけ」となったわけです。ですから本当の意味は小さな集団に限定されないすべての人々のことを、すべての集団を超える存在である「おおやけ」という言葉に込めたのでしょう。

渋沢栄一が国の底力として感じたのも、すべての集団を超越したパブリックというものだったのだと思うのです。それが昭和の前半の軍国主義のときは「おおやけ」=「公」=「軍」となり、戦後は「おおやけ」=「公」=「官」となってしまった。つまり、パブリック=官僚になってしまったのです。官僚自身もそのように思い始めたし、同時に国民もそう思うようになった。例えば、「公的資金」といえば政府が持っている資金のように思いますが、本来は国民が払った税金です。だから、パブリックの資金なのですが、なぜか、公的資金というとそれは政府が自由にできる、国民とは別のポケットに入っている資金のような気がしてしまうのですね。

渋沢栄一は事業をたくさん起こしましたが財閥は作りませんでした。これが三井や三菱、住友などとの大きな違いです。「財なき財閥」などとも言われています。しかし、子孫には財産を残さなくても、それぞれの企業に資本として残っていて、それが活用されて世の中のためになっているのです。自分やファミリーという小さなお財布にはお金があまりないが、社会という大きなお財布に財産をたっぷり残した。このあたりにとてつもない気宇の大きさを感じます。その意味で、渋沢栄一は本当に「パブリック」のために蓄財し、「パブリック」の力を発揮できるような土台を作った人だったと言えるのではないかと思います。渋沢健さんが、「いまは投資家教育も必要だが、資本家教育も必要だ」とおっしゃっていました。その通りです。そして、同時に国民すべてが「パブリック=自分たち」であることに気がつくことが必要なのではないかと思います。

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e-hanashi pv20041229
2004年、世の中にも私にも色々ありました

今年もあと、二日。言い古された言葉だけど「早いですねぇ」と言うのが実感。一週間は結構、ゆっくり時が流れて、なかなか週末がこないのに、なぜか一年間は早い。しかし、よく考えてみれば、色々なことのあった一年でした。イラクの問題がずっと、重たくのしかかっていて、それに日本は北朝鮮との問題が加わっている。年末のスマトラ沖地震は言うまでもなく新潟の地震や浅間山の噴火。台風もたくさんあり、四季の移り変わりもずっと異常でした。やっぱり、地球が怒っているのでしょうかね。

そのなかでうれしかったのはオリンピックでの日本の活躍。特に柔道は一つひとつの試合の印象が残っています。「若い奴らもやるじゃないか」という感じ。しかし、年金問題を初めとして少子・高齢化・人口減少の影響がジワジワと現実化しつつあります。その上、日本の子供たちの学力低下が問題になっている。人口が減っているのだからせめて、ひとり一人の能力が向上してくれないと困るのに。これは子供たちの問題ではなく、制度と家庭環境という大人の問題でしょう。そう言えば、痛ましい殺人事件も多かった。特に親族間の人殺しが多かったのはなぜなのでしょう。

私、個人にとっても結構、色々なことのあった一年でした。まず、5月には家族でニューヨーク旅行へ。昔、住んでいたアパートを訪問したり、旧友たちとあったり、20年〜29年前にタイムスリップした感じの楽しい旅行でした。家族三人での旅行も随分、久しぶりでした。でも、ワールド・トレード・センターのないのがなんともさみしい。

それから11月には妻と憧れのイタリアに旅行をしました。何と言っても文化と伝統に圧倒されたというのが一番の印象です。イタリア人の経済成長は犠牲にしても文化と伝統は守ってゆくという強い意志が感じられました。これが本当の民族としての誇りなのではないかと思います。

仕事もありがたいことに順調でした。今年は契約資産10兆円を越えることができました。1兆円を越えたのが1996年です。しかも、環境は非常にきびしい時期だった。ありがたい事だと思っています。一段と優秀なスタッフも集めることができ、来年以降の第二次成長期に備えています。

私にとってはボランティア活動の雑誌、「インベストライフ」の活動も活発でした。非常に楽しくそしてアイディア一杯の仲間と、たくさんの座談会をして、とても勉強になりました。特に、伊庭貞剛や渋沢栄一についての座談会で多くのことを考えさせられました。また、たくさんの都市でセミナーの講師を共に務めました。地元の名産物を賞味できたという余得もありました。購読者数もいよいよ1000部までカウントダウン。来年以降の飛躍的増加を期待したいところです。それから編集委員の共著で「自分の年金は自分でつくる!」という本を実業之日本社から出版することもできました。

経済同友会の活動もとても勉強になりました。特に「人口減少社会を考える委員会」に参加したことで有識者の有益な話をたくさんお聞きすることができました。その他にも江戸東京博物館の竹内誠館長、尾道市立土堂小学校の蔭山英男校長の話などは興味の尽きない内容でした。

私が実践している超越瞑想のご縁で多くの方々と新たに知り合いになることができました。「怪獣の名はなぜガギグゲゴなのか」の著者の黒川伊保子さん、森永製菓の創立者の孫にあたり現在、同社の相談役を務める松崎昭雄さん、「できるビジネスマンは瞑想をする」の著者の藤井義彦さん、ニューエイジ系作曲家、編曲家、ピアニストのウォン・ウィンツァンさんなど、みなさんすばらしい方々です。瞑想という共通の基盤があるからでしょうか、最初から「話がわかる」という感じです。

それから10月には日本CFA協会の会長に就任しました。CFAというのはグローバルな証券アナリスト資格です。1962年からの伝統があり、資格がきびしく、倫理を重視するなどの特徴があります。日本には700人弱の会員がいます。日本は成熟経済に入り、人口減少などの深刻な問題を抱えています。同時に巨額の資金が存在することも事実。しかし、その資金は必ずしも経済合理性に沿った使い方がされていません。その資金を有効に活用することこそ、日本の将来を明るいものにするカギだと思います。そこに証券アナリストの果たすべき社会的な役割があるのだと思います。微力ながらこのビジョンに向かって努力して行きたいと思っています。

減量に成功しました。いまも歩数計をつけてウォーキングをしています。半年かけて3月に四国八十八札所を完歩しました。と、言っても、本当にではなく、毎日、歩いた歩数を健康ウォーキングというホームページに入力するバーチャルお遍路でした。その結果、体重は63キロへ。2003年の7月には77キロあったので、それなりの達成感でした。いまはちょっとリバウンドして64〜66キロの間で安定しています。

それからDVDの内蔵されたノートパソコンを買ったので、出張などのときに映画をDVDで見ることができるようになりました。家のDVDで映画をとっておき、それを持って飛行機や新幹線のなかで見るのです。これは結構楽しい。おかげでたくさん映画を見ることができました。かつて見たものも含め「ショーシャンクの空に」、「まあだだよ」、「グリーンマイル」、「JFK」、「ダンス・ウイズ・ウルブス」など、久しぶりに映画の面白さに目覚めた一年でもありました。

一年間、e-hanashiにお付き合いいただきありがとうございました。来年は、すべてのレベルで平和と調和が実現してゆく年になることを祈っています。良いお年をお迎えください。

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e-hanashi pv20041218
イタリア!

11月22日から30日まで七泊九日で妻とイタリア旅行しました。我々にとっては初めてのイタリアです。特に妻は「イタリア・ルネッサンス」が卒論だったのである意味、「遅すぎた訪問」だったと言っても良いでしょう。しかし、「百聞は一見にしかず」とは良く行ったもの。びっくりする事ばかりの旅行でした。まだまだ、「消化中」という感じです。また、考えたこと、体験したことのほんの少ししか紹介できませんが、今回はイタリア漫遊記といきましょう。

22日に成田を発。機内で急病人がでて、フランクフルトに緊急着陸しましたが、まずはミラノへ。翌日はミラノ見物。ここでのハイライトは「ミラノの至宝」と言われるレオナルド・ダ・ヴィンチの壁画、「最後の晩餐」(1495−97年製作)でした。漆喰の上に描かれたテンペラ画なのですが、私は恥ずかしながら、これが壁画であることを知らなかったのです。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会に付属した修道院の食堂の壁に描かれています。その広々した空間のなかでこの絵が生きています。絵の中心のキリストの後ろには窓が開いていてそれがこの部屋の窓のような印象を与えます。そこで十二人の使徒がキリストの「汝らの一人、我を売らん」と発言したのに対し、使徒たちが「うちの大将、あんなこと言ってるぜ、どういうことなんだ!」と驚きと困惑に陥っている様がドラマを見るように存在しています。そう、描かれているというより、その場面が存在している感じでした。非常に素朴な飾りッ気のない部屋だけにこの壁画が生きています。

翌日はヴェネチアへ。特定の場所というよりは町全体が芸術作品というべきでしょうか。ヴェニスの商人の登場人物たちがひょっこりでてきそうな町並み。ガイドさんは、いま見ている風景は中世の人たちが見ていた風景と同じなのですと言っていました。本当に自分たちの文化を町全体が誇りを持って守っているのが感じられ感激でした。どっかの国の古都ではでっかいタワーができてしまっているのに・・・。

翌日はフィレンツェへ。「花の都」と呼ばれているそうですが、その名の通り、ふんわかとした暖かい雰囲気の満ち溢れる町でした。あまり、とんがったビルなどもなく、茶色の屋根と白い壁のコンビネーションが落ち着きを与えてくれるようです。ここではウフィツィ美術館。メディチ家の収集した美術品が起源だそうです。ボッティチェリの「春」(1478年ごろ製作)、「ヴィーナスの誕生」(1486年ごろ製作)など直にご対面できて幸せでした。それにしてもものすごい富豪がでてくると、芸術が進化するのだなという印象を強くしました。銀行で成功し、政治の世界に進出して、トスカーナ大公国の君主にまでなったメディチ家。その財力で芸術作品が収集され、彼らの審美眼が磨かれ、そしてボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロなどたくさんの優秀な芸術家のパトロンとなり、庇護を施しました。その結果、ルネッサンス文化が花開いたのです。日本の江戸時代などにもそのような面があったのかも知れませんが、現在の日本には本当の金持ちがいません。それは平等ということでもあるのですが、一面では文化、芸術の強烈なサポーターがいないということでもあります。

最後の訪問地はローマ。ここには三泊しました。ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂ではミケランジェロの「天地創造」(1508年から四年かけ製作)と「最後の審判」(1535年から6年かけ製作)の天井画を見ました。それらはすばらしかったのですが、とにかく壁も部屋もすきまなく彫像や絵画が飾られ「これでもか、これでもか」という感じで我々、淡白な人間にはちょっと濃厚すぎる感じでした。一方、ローマの紀元前後ごろの遺跡には感動しました。いままで世界の色々な町で色々な古いものを見ましたが、大体、奈良あたりが一番、古い建造物が残っている町でした。例外は万里の長城ぐらいだったでしょうか。ところがこの町では2000年も前に作られた建造物がいまでもごく自然に残っている。一部、現在でも使われているものもあるとか。コロッセオ(72年建設)の中を歩いていると、当時の人々の興奮が渦巻いて歓声がまだ聞こえてくるようでした。パンテオン(118年)、カラカラ浴場(212〜217年)など、どこへ行っても時代を超えて昔の生活が蘇ってくる感じがするのも保存が良いからでしょうか。

色々なおいしいものも食べました。特にピザは何種類かを食べるチャンスがありました。どれもおいしい。そしてピザのドゥ、チーズ、トッピング、すべてにそれぞれの店のこだわりが感じられます。結論。「ピザはイタリアのラーメンなり」です。

旅行を通して痛感したのはイタリア人が自分たちの文化に誇りをもって、それを守ろうとしていること。そして、それが何千年も続いているということです。文化や伝統を守るためなら、経済成長は犠牲になっても良いのだという考えなのでしょう。明治維新以降の日本は「西欧に追いつくこと=経済成長」という思想があまりに強くなり、そのために文化や伝統の維持が軽視されてきているのだという印象を持ちました。文化や伝統は国民が自分の国に対して持つ誇りの基盤になるものです。イタリアを駆け足旅行してみて、日本の文化、国民の自分の国への誇りなどが危機に瀕していることを改めて感じました。

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e-hanashi pv20041114
シンガポールで考えたこと

ずい分、久しぶりにシンガポールを訪問しました。多分、10年ぶりぐらいでしょうか。以前のイメージはアジアの南の方にある比較的国際的な都市といった感じだったのですが、今回は明らかに世界の中心的な都市になっているという印象を持ちました。まず、深夜、到着してホテルでほっと一息つくと外からコーランの吟唱の声が聞こえるのです。ああ、そうだった、ここはイスラムの影響も強いんだったっけと思い出した次第です。町の中にもチャイナ・タウン、リトル・インディア、アラブ・ストリートなど多彩ですし、シティ・ホールのすぐそばには1819年にこの地に上陸したサー・トーマス・スタンフォード・ラッセルの像が腕を組んで立っています。街路を歩いていると道教の寺院があったかと思うとヒンズーのお寺、イスラムのモスクがあったりと言った具合。

シンガポールにはもともとの東南アジアの人種的、文化的な基盤があったわけですが、その上に中国の影響が歴史的にあり、さらにイギリス支配によって西洋的要素が取り入れられました。また、インドとイスラム圏とは海洋交通の便もあり非常に人々の行き来や交易が盛んでした。アラビア海からベンガル湾を通って南シナ海に通じる交通インフラがずっと存在している訳です。言って見れば、西洋、中国、イスラム、インドという今日の世界の主要な文化がこの小さな都市に集約されているようです。人種、文化のルツボとは言われ尽された表現ですが改めてそれを実感しました。

グローバル化された現代においては、人々を束ねていた国という存在が薄くなってきています。一方で、人々は文化、宗教、伝統などに自分のアイデンティティーを求めるようになってきています。シンガポールは確かにこれまでだってずっとルツボであるとは言われてきました。しかし、今回、違う印象を持ったのは、それらのアイデンティティーが、グローバル化のトレンドを受けていままでよりも生き生きと自己主張を始めていたからかも知れません。その潮流の中で、この国はもともと、現代的なニーズに合った国際都市としての強みを生かし始めているのかもしれません。

グローバル化は企業や人々の活動を自由にし、そのスケールを拡大する意味ではとても良いことです。しかし、同時にこれは二つの面で世界を不安定な状況にする可能性があると思います。まず、これまで国民を束ねていた国家権力とそれに対する文化、宗教、伝統などのソフトなネットワーク型集団の間のコンフリクトです。そして、もうひとつはそのネットワーク型集団の間のコンフリクトです。考えて見ると9.11とそれに続く、アフガンへの攻撃、現在のイランの問題はこの両方が根底にあるように思います。

シンガポールはその意味で、これから非常に大きな成長の可能性を持つと同時に、大きな不安定要因を抱えているとも言えるのではないかと思います。その点を現地の人に話してみたところ、だからこそ優秀な政府が必要なのだとの返事が返ってきました。それはそうだろうと思います。しかし、その「優秀である」という言葉の意味合いは、これまでの国を管理、運営する能力ではなくて、種々の文化、宗教、伝統などのアイデンティティーを認めつつ、調和をはかってゆくという能力になるのではないでしょうか。これらのアイデンティティーはみな異なった価値観を持っているので、全体をうまくまとめてゆくのはなかなか大変な仕事になりそうです。

本当に必要なことは世界の人々の意識がグローバルな社会に十分対応できるだけ進化してゆくということなのだろうと思います。それを言い換えれば、自分が愛情や愛着を感じる範囲を、単に自分の国や自分のアイデンティティーの拠り所となるものだけにとどめず、もっと広い範囲をその対象に収めてゆくように、意識を進化させてゆくことが必要なのだということだと思います。これを突き詰めれば普遍的な人類愛ということになるのでしょうね。

蛇足ながら、今度のシンガポール旅行ではラクサを絶対に食べようと心に誓っていました。ラクサというのはココナツ・ミルクをベースにした激辛スープにエビなどが入っているビーフンの麺です。今回は仕事の合間をぬって二回食べました。ひとつはカトン地区にあるマリーン・パレード・ラクサ、もうひとつは中心街にあるコピ・ティアム(コーヒー店の現地なまりの名前)のシグネチャー料理のラクサでした。前者はいかにも大衆的な店と味、後者はこぎれいな店で、味ももう少し洗練されたビジネスマン向けのものでした。両方とも大満足!しかし、いつも思うのはこのようなスープに入った麺が東アジア全域に広がっているのに、その他の地域ではほとんどないということです。それを思うといつも日本もアジアの一部でみんな同胞なのだなあと感じます。

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e-hanashi pv20041030
幽翁、伊庭貞剛

10月16日に幕末から大正末までを生きた伊庭貞剛についての座談会をする機会を得ました。号は幽翁。座談会の場所は隠棲の地、大津石山の活機園。しかも、伊庭貞剛の孫にあたる末永山彦氏の奥様がご主人と共に参加していただけ、住友史料館主席研究員で伊庭貞剛の研究をされている末岡照啓氏を交えての豪華キャストによるものでした。こちらは私のほか、FPの伊藤宏一さん、さわかみ投信の澤上篤人さん、渋沢栄一のひ孫に当たる渋沢健さんなどでした。

活機園はちょうど今年でできて100年目です。門を入ってうっそうとした木々の中を進み、ぐるりと方向を変えて歩き続けると目の前に広々とした芝生の庭が広がります。左側には玄関をはさんで木造の洋館と和館が隣り合わせになった瀟洒な建物があります。建物と土地の両方が重要文化財に指定されているそうです。とにかく自然そのままという感じで人為的なものは何も感じられない、すべてがピタッと治まるところに治まっている感じで、いかにも人柄を偲ばせる、落ち着きのある、そこにいるだけでリラックスできる空間でした。座談会はその洋館で行われました。

伊庭貞剛は、幕末1847年、近江の国に生まれました。最初は尊皇攘夷運動に身を投じ、明治政府ができてからは役人となりました。しかし、国の形がだんだん整うに従い、役人の仕事に満足できなくなり、叔父で初代の住友総理事を務めた広瀬宰平の勧めで住友に入社します。彼がその存在感を最も発揮したのは別子銅山の煙害事件の時だったでしょう。公害防止装置などがなかった当時のことです。国策として銅の生産は極めて重要だったのですが、その過程で大量の亜硫酸ガスが発生し付近の住民の健康を害し、農作物に甚大な被害をもたらしたのです。それに社内の紛争なども関係して、幹部、社員、さらには別子の抗夫に至るまでには二派に別れ大騒動が展開していました。

伊庭貞剛は単身、別子に乗り込みます。その時、住友家の家長、友純に「私に別子銅山を潰させて下さい」と言ったといいます。それに対して友純もさすがなもので「お好きなようにしていただいて結構です」と答えたといわれます。前述の末岡さんは、その時の貞剛の「小生は馬鹿な仕事が好きなり、・・・馬鹿な仕事も時にとりては用立事もあるべし」という言葉を紹介してくださいました。飄々とした表現ですが、「火中の栗を拾う」という言葉がピッタリの命がけの仕事だったのでしょう。

こうして貞剛は1984年、別子支配人としてたった一人で赴任をします。現地に着くと彼は何の処分をするでもなく、毎日、山に登り、出会う抗夫たちと何気ない日常の挨拶と会話を交わし続けたと言います。そのうちに抗夫たちも心を開き始め、すさんだ心が落ち着き、貞剛に対しては笑顔で接するようになります。まさに人格のなせる業だったのでしょう。

彼はこの問題の解決策の一環として膨大な植林事業を開始します。公害で禿げてしまった山を元に戻すためです。これは1895年から始まり、彼の死後も絶えることなく1950年まで続けられます。さらに煙害問題を解決する抜本的な策を講じます。瀬戸内海の四阪島全部を買い取り、精錬所全体をそこに移転したのです。この辺、本当に「すごいなあ」と思います。やることの気宇の大きさ、大胆さ、そして植林事業でも分かるような長期的な視野。決して小細工は弄さない。目線の高さと言おうか、志の大きさと言おうか、現代人は忘れてしまったようなスケールを感じます。ちなみにこの植林事業は住友林業という、公害防止のための排煙脱硫技術は住友化学という企業に見事に引き継がれます。

こうして彼は住友のトップの座である総理事になりますが、わずか四年、58歳の若さで引退します。彼は「自分の生きてきた足跡を残さないのが、人生最高の生き方である」としてほとんど、記録を残していないのです。しかし、その数少ない記録のひとつに「少壮と老成」という文章があります。そこに有名な以下の一文があるのです。「事業の進歩発展に最も害をするものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である。」(明治37年3月15日号、『実業の日本』)まさに言行一致でトップの座を退いたのです。

貞剛の孫にあたる永末さんの奥様は、本当に「おばあちゃま」という言葉がぴったりの上品な、そして快活な方でした。その「おばあちゃま」が貞剛はしばしば、「自然に返す」ということを言っていたとおっしゃいました。それは山の木が枯れたから植林をして、元に戻すということでもあるでしょうが、もともと我々は、自然からすべてを借りて生きているという意味だったのではないかと思います。さらに命だって自然からの借り物なのでしょう。

彼は1926年、世を去ります。最後まで、ユーモアがあったと「おばあちゃま」は語ってくださいました。死の間際にみんなが唇を綿で湿らせていたとき、ある人が二回目をしようとしたら「あなたはもうやったじゃないか」と言ったこと、大好きな桃がなくリンゴを代わりに出したら「りんご応変(臨機応変)だな」と言ったことなどです。そして「わしはこれからしっかり眠るから、みんな引き取ってくれ」と言って自然に帰っていったそうです。享年80歳。すごいなあ・・・。

貞剛のこのような生き様の根本には剣術で免許皆伝であったこと、禅の道を深く極めていたことなどがあげられるのではないかと思います。明治になり欧化政策が極端に走り、鹿鳴館に象徴されるような時代があったのですが、江戸時代に熟成された文化が消し去られようとしていたときに彼のような人物が現れたことは日本にも幸いだったと思います。

活機園は、洋館と和室が玄関を中心に左右にある建物ですが、それが石山の美しい自然と実によく調和していました。なぜ、活機園を作ったのかを聞かれて貞剛は「外人に日本の美しさを教えるため」と答えたとか。しかし、何よりも貞剛の生き方そのものが、日本人が本来、持っている美徳を象徴しているように思われました。

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e-hanashi pv20041003
江戸時代はすごかった

最近、私は江戸東京博物館の竹内誠館長の話を伺うチャンスに恵まれました。その内容を考えていると今後、人口減少などで経済成長が低下すると言われている日本にとって参考になるヒントがたくさんあるように思います。竹内館長の話と私の感じたことなどを紹介します。

江戸時代は230年続いた訳ですが当初の100年と後半の130年ではかなり内容が異なります。当初の人口は1500万人、米の生産量である石高も1500万石でした。それが幕末にはともに3000万人、3000万石へと倍増しています。しかし、前半と後半では大きく状況が異なります。最初の100年で2500万人、2500万石にまで急成長し、ちょうど18世紀に入ったころから、経済は低成長時代へと移行したのです。

当初、経済の基本方針は徳川家康、秀忠、家光の三代が作り上げた農本主義と鎖国政策にありました。低成長時代になって吉宗の享保の改革などが始まったのですが、18世紀も後半になって登場したのが田沼意次でした。田沼というとどうもあまり良いイメージがありませんが、話を聞いて見ると非常に創意工夫に富んだ人だったことが分かります。まあ、それなりにダーティーなこともあったのだと思いますが、彼はこの徳川家の二つの基本方針を積極的に見直し、低成長時代のなかで経済の活力を生み出す政策を実施しています。100年にわたって続いてきた原則を打ち壊すのは、それは大変なエネルギーがいっただろうと思います。いまの憲法改正論議よりももっと大変なことだったでしょう。

そのひとつが農本主義から流通中心の経済への転換でした。しかもかなりグローバルな視野を持っていました。例えば田沼は鎖国よりも貿易で儲けようと考えたのですね。海外で銅が高く売れると知ると、枯渇していた金山や銀山に代えて、銅山を開発、銅の輸出をしました。さらに輸出用の銅を増やすために銅貨である寛永通宝に代えて真鍮の四文銭を作らせています。また、中国から上等の生糸を持ってきていたオランダ船に、日本から中華料理の素材となる昆布やフカヒレなどの海産物を乗せて中国に輸出しようと考えました。そのために食材の宝庫である蝦夷地の開発に着手しています。貨幣政策もそうです。それまで両替商が天秤で量る秤量貨幣であった銀貨を、重さを表記して名目貨幣としました。それにより金が不足して金貨が高騰したときでも銀貨が代替できるようになりました。つまり、目的をはっきりと持ってそのために必要な手段を打っているのです。 

このような柔軟な発想の改革は政府に限らず民間でも見られます。例えば、三井は元禄時代に急成長をしました。どんなことをしたかというとお客の家に出向いて商売をする「屋敷売り」という方式を「店先売り」に変えたり、「掛け値売り」が一般的だったのを「現金掛け値なし」にしたり、着物の端布(はぎれ)を安く売る商売を導入したりしています。これらのイノベーションがたくさん起こったのです。

先ほど述べた四文銭は真ん中に穴が開いておりそれが鳥の目に似ているというので鳥目(ちょうもく)と呼ばれていました。また、裏に波の模様があるのが特徴でした。古川柳に「そこが江戸 水いっぱいを 波でのみ」というのがあります。これは普通は二文の名水が、それに砂糖を加えて四文で売っていたことを詠んだものです。さらに白玉を入れると十文で売れたといいます。これなどは立派な付加価値戦略ですね。

低成長時代になり販売促進のための宣伝活動も活発になりました。式亭三馬はいまでいうところのコピーライターですが、なかなか本業では食べてゆけない。そのため彼は薬屋も営んでいました。そこでヘチマ・コロンのような「江戸の水」という化粧水を売っています。それをギヤマンの容器と桐の箱に入れて高級感をだしました。しかも彼の作品、「浮世風呂」の登場人物にそれとなく江戸の水の話をさせたりしている。例えば「私どもの娘なども江戸の水がよいと申して化粧の度につけますのさ。なる程ネ。顔のでき物などもなほりまして、白粉のうつりが綺麗でようございます」と言った具合。また、浮世絵などにもそれとなく「江戸の水」という看板を描かせたりしたりしているのです。

技術水準も高度でした。例えば浮世絵の技術。普通、絵師のみが有名ですが、実際は絵師、彫師、刷り師の共同作業です。そして堀師は水に濡れた髪と寝乱れた髪を彫り分けることができたといいます。ばれんを使って色をぼかす高度な技術は刷り師の技です。つまり、ハイテクと芸術性が合体しているのですね。しかも、その浮世絵は単なる日用品で、外国に輸出する有田焼の壷を包む紙として使われていました。それをヨーロッパの画家が見てびっくり、印象派に大きな影響を与えることになるのです。

識字率が高かったことはよく知られています。いろは歌留多の普及で字を覚えたという話を聞いたことがあります。事実、一般庶民も黄表紙などの小説も普通に読んでいたようです。川柳だってそうです。18世紀の終わりにかけて川柳が興行としてはやりました。毎年、8月から12月の間、毎月三回ずつ題がだされ、それに付ける句を日本中の人が応募してきます。作品は幹事が集め、主催者へ届けられ、選者が優秀作品を選ぶ。優勝者は賞金をもらえる。ピークでは一回に2万5000を越える投句があったといいます。ただ字が読めるだけでなく、句を自らつくり、それを競い合っていたのです。明治になりアメリカから教育視察団が来日しましたが、その報告は「何もアドバイスすることはない」という結論だったそうです。

このような文化の発達には鎖国という環境のなかで国民全員の意識が内側に向かったということがあるのかもしれません。拡大指向よりは縮み指向で微細なものを高度化する性向が強まったのではないでしょうか。小さなもの、わずかなものに無限の価値を見出すような文化と言いましょうか。おそらく、時に追われず時を味わうゆとりがあったのでしょう。微妙な四季の移り変わりを味わって、心に栄養を与えていたのだろうと思います。

いま、日本は人口減少経済に入りつつあり経済の停滞が心配されています。しかし、この問題に対する対策のヒントが江戸時代にはあるように思います。もちろん、外部環境が異なるので江戸時代でうまくいったことがそのまま現代で通用するとは思えません。しかし、もっとも大切なことは今から200年ほど前、低成長時代のなかで我々の先祖は素晴らしい日本独自の文化を作り上げたということです。経済政策にもビジネスにも必死に工夫を凝らしてたくさんのイノベーションを起こしたということです。まず、この自信を持つことがもっとも大切ではないかと思います。事実、ジャパニーズ・クールなどと呼ばれる新しい日本文化が海外で評価されはじめているのも事実です。浮世絵のように「粋で風流なハイテク」などグローバルに通用する面白い発想がでてきて欲しいものです。

参考
経済同友会 会員セミナー通信『今日に生きる江戸の文化と経済』(江戸東京博物館 館長 竹内誠氏講演録)

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e-hanashi pv20040828
夏の終わり - 雑感

急に涼しくなってきましたね。数週間前のあの暑さが嘘のよう。しかし、たしかにすごい暑さの夏でした。梅雨が短くって、すぐ猛暑がきて、でも8月も半ばになると暑さも少し和らいできて・・・。台風も例年と全然コースが違うし。我々のわからないところで地球を含む宇宙の体系がちょっとだけ変化しているのかもしれません。

ところで私、結構、占星術というのは信じているのです。非科学的な!と思う人も多いと思います。でも考えてみてください。人類が現在、持っている科学では説明できないけれど、それは科学が十分に発達していないからだとも思うんですよね。たとえば、月の位置で地球の海の水が引っ張られて満ち潮、引き潮が起こります。これは誰も疑問はさしはさまないでしょう。人間の体にはたくさんの細胞があります。それはみんな水を含んでいます。この細胞のなかの水だって月の位置によって引っ張られているのを知っていますか?考えてみれば当たり前ですよね。結局、人間だって宇宙の一部だということです。だからこの世に生まれた瞬間の星座の位置によってその人のなかの体質とか気質のような何かがイニシャライズされて、それに影響を受け続けて行くことは十分ありえると思うんです。例えば生まれたときに非常に大きな影響を持った星がその位置に戻る時、その人はなぜか気分が落ち着くと言ったことは十分あるのではないでしょうか。

あれほどうるさく泣いていた蝉の声もすっかり静かです。朝、会社へ行く道に死んだ蝉が落ちています。体中を空っぽにするほど鳴いてぽとんと道端に落ちています。それにたくさんの蟻がたかってみんなで運んでいます。これで蟻たちはきびしい冬を生き延びることができるのでしょう。蝉の命が蟻の命に変わって命の流れが続いて行くのでしょう。

そう思ってまわりを見回すと夏の終わりはたくさんの死があふれています。春夏という生命が燃え上がるような時期を過ぎて、秋冬という次のサイクルに備える時期に移行しつつあるからかもしれません。植物も動物も世代が交代する時期のような気がする。いつもこの時期、少しだけ「死」のことを考えてしまいます。私も妻も死んだらお葬式はしないで散骨を希望しています。せめて死んだ後ぐらい、せっかく肉体という衣を脱いだのだから、広々したところでのんびり、ゆったりしたいですからね。

中国の荘子が臨終の時のことです。弟子たちが立派な棺桶を用意したのにそれを拒む師に「それでは、先生のお体が、鳥に食われてしまいます」と言います。それに対して荘子は「地上に放置すれば、鳥に食われもしよう。だが、地下深く埋葬したとて、いずれは虫の餌となるのだ。ことさら一方から取り上げておいて他方に与えるのは不公平というものではないか」(中国の思想 第12巻 「荘子」 岸洋子訳、徳間書店より)と言います。ここまで達観できるとすばらしい。

また、中国の易経に「天行は健なり」という言葉があります。人間や動物の個体としての都合とは関係なく宇宙(天行)は健やかに休むことなく何億年にもわたって進化している。我々みんなその過程に発生するあわのようなものです。人間の個体としての知識や都合でこの世の中を見るから色々なコンフリクトが起こり不可思議に見えることが起こってくる。でも大きな宇宙の働きから見ればすべて当たり前の出来事でしかない。異常気象も、星が人間に与える影響も、命のサイクルも、みんな同じことです。

夏が終わると急に時間のたつのが早くなります。地球の回転が速くなるのではないかと思うほどです。あっというまに年末、忘年会、クリスマス・・・、そしてお正月。12月は私の誕生月。あ〜ぁ、また、ひとつ歳とるのか。行く夏を惜しむ気持ち、そして若さを惜しむ気持ち、どちらも「天行は健なり」ということは分かっていても少しさみしさを覚えます。

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e-hanashi pv20040816
瀕死のヒナとの出会い

昨日の土曜日、相変わらず暑い日でした。ジムで一泳ぎしてサウナに入り家に帰ってくる途中、コンクリートの道端に小さな肌色のものが見えました。「あれ、何だろう」と思ってよく見ると鳥のヒナです。ウブゲも生えておらず目も薄い膜でまだ覆われているような4〜5センチぐらいの小さなヒナです。上の方を見るとそんなに高くない木があったので「きっとあの上の方に鳥の巣があってそこから落ちて死んでしまったのだろう」と思って行き過ぎました。10メートルぐらい歩いたのですが何となく気になってもう一度、その場に戻ってみました。

ほとんど動かないのですが見ていると少しくちばしが動いたような気がしました。さらにじっと見ていると驚いたことに、確かにくちばしをゆっくり開けたり閉じたりしているのです。瀕死の状態ながらいつか親鳥が来て水やえさをくれるかもしれないという期待を込めてくちばしを全力で開けているようなのです。そのヒナにとってはくちばしを開けることこそ生きるための最大の努力だったに違いありません。

さて、私もどうしたら良いのか困ってしまいました。うちに連れて帰ってもヒナが育つかどうかわかりません。それにくちばしを開いていると言っても体のほかの部分はぜんぜん動かないしもうほとんど死んでいるのも同然です。ちょっと思案したのですが結局、熱いコンクリートの上で命を落とすのも苦しいだろうし、死体が道路の道端に放置されるのもかわいそうなのでそっと拾い上げて、人目のつかない近くの日陰の土の上に移してやりました。そうしたらなぜかくちばしの開け閉めもしなくなって動かなくなってしまったのです。

どんな生き物だってこの世に生まれてくるのはその理由があるといいます。動物だって植物だってそうです。すべてこの宇宙の進化をサポートするために目的を与えられてこの世に生まれてきているのです。その命がたどる運命はその個体には苦しい結果となるものであってもより大きな目的のためには必要な犠牲なのでしょう。あのヒナは果たしてどんな目的を与えられてこの世の生まれてはかない命を生きたのだろう、そんなことを考えます。もしかしたら私とあのような形で出会って私にこんなことを考えさせるために生まれてきたのかなとも思います。

そんなことを考えるとあのヒナがとても尊いものに思えてきます。多分、大きな存在からのお使いだったのでしょう。神さまと呼ぼうが仏さまと呼ぼうが何か大きな存在からのメッセージを携えて私と出会うために生まれてきたのかも知れない。そう考えるとちょっとシンとした気持ちになります。これから、あのヒナを移してやった日陰の辺りを通る時は感謝を込めてお祈りでもしてあげたいと思います。

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e-hanashi pv20040803
おカネと幸福について


<誤解されたおカネの不幸>

どうもおカネには後ろめたさのようなネガティブなイメージがつきまとうようです。よく「そんなにカネ、カネってカネのことばっかり言うことないだろう」とか「おカネなんかで計れないもっと大切なものがあるよ」と言ったコメントを聞きます。何となくおカネって汚いもののイメージがあったり、財を成した人を見ると「きっと何か悪いことをしたに違いない」と思ってしまったりすることもあるようです。また「清貧」とか「武士は食わねど高楊枝」という言葉もあります。日本ばかりでなく海外でも結構、「おカネ=悪」というイメージを持っている人がいるようです。アメリカあたりの投資の本を読んでいるとまず、このネガティブな考えを払拭することが必要であると言うようなことがよく書いてあります。こうなってしまった原因はおカネの役割が誤って理解されてしまったからではないかと考えられます。

おカネには一般に三つの役割があると言われます。価値の尺度、交換・決済手段、価値貯蔵手段です。物々交換の時代にはりんご3個とみかん6個を取りかえるというようなことが行なわれていたのですが、これだと価値の基準に統一性がなくて不便です。人類はおカネを使うようになってすべての商品やサービスを値段という同一の価値の尺度で測れるようになりました。そして、おカネを介在させることで異なる価値の物と物を交換できるようになりました。これが交換手段、あるいは決済手段としてのおカネの役割です。これで交易が大いに拡大したのは言うまでもありません。また、物をおカネにしておくことで将来に向けて価値を蓄えることが可能になりました。りんごのまま持っていたら腐ってしまいます。しかし、おカネにしておけばその心配はいりません。これがおカネの価値貯蔵手段です。

こうしておカネによって人間の経済活動は格段に便利になりました。しかし、同時に副作用も生み出しました。例えば、価値の尺度としてのおカネはすべてを値段で表示します。しかし、満足感とか幸福感と言った主観的な要素を数値で表すのはなかなか難しい。そのことから「カネばかりがすべてじゃないよ」という考えがでてきたのでしょう。また、おカネを介在させて売買をするとき、それは売り手と買い手の間で価値が均等だと納得する価格での交換を意味します。それにもかかわらず誰かが金持ちになるということは「相手の犠牲のもとに自分が儲けている」、「きっと何か悪いことをして人をだましているのではないか」とあらぬ疑いをかけられてしまうことになるのです。このような誤解はおカネにとってとても不幸なことです。

<おカネは感謝のしるし>

ここでこれらのイメージを一度、全部、捨てて、根本に戻っておカネというものについて考えてみましょう。おカネというのは我々が眠いのに早起きをして仕事をしたり、大事にしているものを手放したり、汗をかいて労働をしたりしてその代わりに受け取るものです。なぜおカネがもらえるかというとそのようなサービスやモノを受け取った相手が喜んでいるからです。その人が我々に対して感謝をしているからです。感謝のしるしとして自分の持っているおカネを払ってくれる。もちろんその人が払ってくれるおカネも元を正せばその人が他の人から感謝をされて受け取ったものです。そう考えると人と人の間で感謝のやり取りが行われていてそのしるしとしておカネが流通しているのだと言うことがいえます。さらにおカネが貯まるということは人から受け取った感謝が蓄積しているのだと言うこともできるのです。たくさんの人に喜ばれることをするほどその感謝のしるしとしてのおカネも貯まってゆく。

これは何も個人に限ったことではありません。法人、つまり会社も同じことです。本来は会社だってお客さまのためになる良いことをしているからお客さまはその感謝のしるしとしておカネを払ってくださる。それが企業にとっての収入になっているのです。お客さまに付加価値を提供する。そうするとお客さまはその付加価値のなかから一部をお礼としてその企業に報酬を払ってくださる。それが企業の売上になりその売上からまた次のサービスを提供するために必要とされる費用が捻出され、また、従業員の収入になり株主にとっての投資リターンとなっているのです。

こう書くと、「自分は世の中のためになる良いことをしているのになかなか生活がちっとも楽にならないのはどうしてだ」という声が聞こえてくるようです。この場合はいくつかのケースが考えられるでしょう。まず、考えられるのは自分が世の中のためになると思っていても本当はそれ程、役にたっていないという場合です。例えば、自分の属する会社のために一生懸命、働くことはその会社の株主や同僚にとってはとても良いことです。でも会社にとって良いことがそのまま社会のためにならないことも考えられます。だから後で述べますがより大きな立場にたって良いことをすることが必要なのです。それから本当に良いことをしている場合でも、その見返りは長期的に報われるもので感謝のしるしがいますぐくるものとも限りません。大切なことは心の満足感の問題ですから必ずしもおカネがすぐに降ってくるわけではないのです。 

また、「そんなのはきれい事だよ。世の中には悪いことをして儲けている奴がたくさんいる」と思う方も多いかと思います。たしかにそのような人もいるかもしれない。そのような企業もあるかも知れない。しかし、そんなことをずっと続けることが可能なものでしょうか。短期的にはともかくやはり人を犠牲にするようなおカネの儲け方はいつか続けることができなくなる。そして普通、手痛いしっぺ返しが待っているものです。また、そのようなカネ儲けを続けている人々は心の奥底で良心が痛むことだろうと思います。満足感を求めておカネを稼いでいるのにそれでは何のための労働か分からない。

だからやっぱり感謝されてその証としておカネを稼ぐのが一番、正しい稼ぎ方だし、それが長期的に収入を得ることができる唯一の方法です。世のため、人のためになることを行なうことによってのみ持続的におカネを稼ぐことができる。人に喜ばれること、感謝をされることが固まっておカネになっている。それが貯まってゆくということはそれだけたくさんの良いことを行なったということだからむしろ誇るべきことなのです。いや、誇れるような稼ぎ方をしていないと長い期間にわたって収入を維持することは不可能です。

<幸せなおカネの使い方>

それでは正しいおカネの使い方というのはどのようなものでしょうか。おカネの使い方を考えるときに二つの座標軸が考えられます。つまり、自分を中心として家族、友人、会社、社会、国家、人類と対象とする範囲が広がって行く軸がひとつ、そしてもうひとつが現在から未来へ連なる時間軸です。一番、単純なのは現在という一時点において自分という一個人のみが喜ぶおカネの使い方があります。それを広げて家族のために使うおカネ、自分の属するコミュニティーのために使うおカネ、国のために使うおカネ、そして世界のために使うおカネとその範囲は広がって行きます。対象が広がるほど自分がより大きなもののために役立っていることになり幸福感も増加してゆきます。



さらに現在という時点のみでなく5年後、10年後、100年後、そしてもっとずっと先を見据えたおカネの使い方もあります。例えば自分のためにおカネを使うのでも今日、おいしいものを食べる、5年後の自分がより成長できるように今の自分に教育投資をする、老後の自分のために財産形成をするなど、みな違った意味合いを持っています。いまの自分を喜ばすためにおカネを使って得た幸福感はすぐ過去のものになってしまいます。その目的とする時点が先であるほどその喜びが継続する時間が長いものです。おカネの使い方が「現在」と「自分」という原点に近いほど得られるのは短期的な五感レベルの幸福感です。それがより広い範囲を対象としより長期になるほど心の奥底に深く染み入るような永続的な幸福感に変わってゆきます。所詮、おカネが大切なのは自分に幸福をもたらすからです。で、あるならできるだけ至福感を味わえるような使い方をした方が良いでしょう。

<おカネを求めるマネー投資から幸せを求める「超」マネー投資へ>

投資という言葉を聞いてまず思い浮かぶのは証券投資でしょう。証券投資は自分の貯えたおカネを他の人や企業に預けて世の中のためになることに活用してもらい、それによって生じる利益の一部を投資家が受け取るものです。だから投資するのもおカネなら受け取るのもおカネです。感謝が回りまわってまた、自分に戻ってくる。「戻ってくる」から投資収益を「リターン」というのです。有価証券に投資することで自分ひとりではとてもカバーできない広い範囲を対象として、より長い時間軸でのおカネの役立て方が可能となります。その結果、自分にもたらされる幸福感もまた大きくなります。だからある意味、証券投資は幸福感を増幅する手段であるともいえます。

おカネを幅広い企業に活用してもらうのは分散投資ですし、長期にわたって活用してもらうのは長期投資です。投資理論ではともにリスクを削減する上でもっとも有効とされる手法です。分散投資と長期投資をすることでリスクが削減でき、しかも幸福感も増大するように証券市場ができているところに限りない興味を覚えます。証券投資の特色はおカネを投資に回して自分のところに戻ってくるリターンもやはりおカネです。その意味ではこれはおカネのリターンを求めるマネー投資です。

しかし、投資というものは証券投資に限定されたものではありません。例えば個人の住宅の取得、自分自身や子どものための教育投資なども立派な投資です。経済学的にはともかく、心情的には自動車などの耐久消費財の購入も投資と似た面があります。最初におカネを払って取得したものから将来にわたって満足感を得てゆくからです。車や住宅、教育などにおカネを投資した場合、得られるリターンはおカネではありません。例えば、かっこ良い車に乗る満足感や居心地の良い住環境、あるいは新たな才能の開花による自己実現などがリターンです。つまりこの場合のリターンは金銭的リターンではなくメンタルな満足感なのです。ただ、その満足感は個人的なものにとどまっています。

リターンをおカネと限定しなければ寄付やフィランソロピー活動も投資といえます。私は父が亡くなったときにいただいたお香典でラオスに学校を建てました。また、いまもインドの教育機関に定期的に寄付をしています。そしてきっといつか私の寄付で育った子どもたちがそれぞれの国の発展と世界平和のために活躍してくれるだろうという夢を持っています。ある意味、私は寄付という投資を行なってこの夢というリターンを受け取っているのです。これは個人的な満足よりももっと大きな喜びを社会に提供していると言えます。しかもこれは永久に続きます。五感を刺激することはないけれど心の奥に沁み入るような幸福感です。これは投資したのはおカネですがリターンは幸福感。幸福をリターンとする「超」マネー投資です。

結局、世の中のためになることをして世の中に感謝され、それがまた自分の喜びになる。この好循環が円滑により幅広くできるようにするための手段がおカネであり、それを自分だけではできないほど幅広くできるようにするのが投資だということです。良い稼ぎ方をして貯まったおカネを良い使い方をすることで本人も周りの人もますます幸せになります。リターンとしての幸福感もマネー投資、超マネー投資と進化してゆくことでより深めて行くことが可能になります。このような視点からおカネの稼ぎ方、使い方、投資や寄付というおカネに係わるさまざまな側面を考えてみることは資本主義、市場経済の進化のためにも必要なことではないかと思います。


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e-hanashi pv20040710
自分の年金は自分でつくる!

今日、「自分の年金は自分でつくる!」(実業之日本社、1500円)という本が発売になりました。著者はフィナンシャル・プラナーで税理士の伊藤宏一さん、さわかみ投信の澤上篤人さん、エコノミストの真壁昭夫さん、投資顧問会社勤務の平山賢一さんと私です。この五人は以前にも紹介した月刊誌「インベストライフ」(e-hanashi pv20031221参照)の編集委員仲間です。我々、毎月、編集会議で議論を続けるうちに年金問題についてある結論に達するようになりました。

たとえば、
1.これからは政府や企業におまかせしておけば老後は面倒みてもらえると考えるのは幻想である
2.年金としてもらえる金額だけでは生活はできない、お小づかい程度と割り切るべき
3.若いうちから将来のために蓄えを作り始めるほど負担が少なく十分な資金を準備できる
4.そのためには毎月、お金が余ったら貯蓄や投資をするのではなく、最初から一定額を貯蓄や投資に回し残った資金で生活することが必要である
などの点です。

そこへちょうど出版社からこのテーマに沿った単行本をだしたいとの依頼があり、五人とも喜んで一気に書き上げたのがこの本なのです。その内容は以下のようなものです。

第一章 これからの老後資金は「攻め」と「守り」で考える(伊藤さん)
第二章 そもそも年金って何?これからどう用意していこうか(平山さん)
第三章 DIY年金運用の実際 − 手づくり年金運用はプラン、ドゥ、チェックのサイクルで(岡本)
第四章 個人投資家の利点を最大限に利用しよう(真壁さん)
第五章 長期運用を貫くための「投資の心理学」(真壁さん)
第六章 経済と長期運用と自分の年金づくりと(澤上さん)

それぞれの著者が各章を担当して書いています。執筆陣は「自分の年金は自分でつくる」という大きな考え方で一致しており、それぞれの専門的な角度からのアプローチによって、各章のテーマが浮き彫りになるようにしています。もちろん全員の意見が一致していない部分もあります。でも、このような意見の違いを自由闊達に議論しあうのが我々のいつもなのです。

私は第三章を担当しています。この章では、具体的な投資運用の方法論について説明しています。まず、地球から打ち上げられたロケットが、月に行くことを考えてほしいのです。アポロ13号のようなものです。ロケットは地球から、細心に計算された方向に向かって打ち上げられ、軌道に乗って月へと向かっていきます。そしてそのまま何事もなく月面に着ければ、めでたし、ということになるわけですが、実際にはいろいろ予期しないことが起こります。システムにトラブルが起きて、地球との交信が途絶える、機体の一部が故障する、乗組員が病気になる、その他、ありとあらゆることが起こりうるわけです。月への旅ではそれらに対処しながら、最終目的地である月に到着する確率が最大化できるように努力を続けていきます。アポロ・プロジェクトが成功した当時、「システム工学の勝利」と賞賛されたものです。

70年代になってこの「システム工学的」なアプローチがアメリカの年金運用の分野で活用されるようになりました。長期的な目的のために運用をして行くのですがその途中で色々な事件が起こります。予期しないできごとのなかでコントロールできることを最大限にコントロールしてゴールに到着できる確率を常に最大化して行く。私の章ではこのようなアプローチを使って個人投資家が自分の年金をつくるときにどのようにしたら良いのかをやさしく解き明かしています。

具体的には

1.プラン→ドゥ→チェックというサイクルを繰り返して行く時の留意点
2.年齢と共にリスクをどのように削減して行くか
3.株式や債券でポートフォリオを作る際にどんな方法があるのか
などについて触れています。

実際にプロの世界で行われている合理的な方法を個人でも使えるように説明することを心がけました。私はこれをDIY(Do-It-Yourself)年金運用と呼んでいます。私のいままでの著書はほとんど専門家向けのものばかりでした。今回が初めての一般投資家向けの本です。表現はやさしくしてありますが、内容的にはプロの知識を噛み砕いたもので、かなり高度なものであると自負しています。是非、書店で手にとって見てください。


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e-hanashi pv20040705
ホーミイ

大分、以前のことですがNHKでモンゴルの唱法、ホーミイについて取り上げていました。確かその時はホーメイという呼び方をしていたのではないかと思います。初めて聞いたホーミイは不思議と心に残る音楽でこの耳慣れない名前を早速メモしておきました。その後も時々、思い出してはいたのですがつい最近、そのホーミイのCDを発見し買い求めて何度か聞いて見ました。私が見つけたCDは以下のサイトにでています。

http://www.soundtransformations.btinternet.co.uk/mongolianCDhoomiiandurtybduujvclinarnotes.htm

不思議な音楽です。日本では「のどうた」とも言われているようです。なにしろ一人の歌手が二つの声を同時に発するのです。インターネットでホーミイについていくつかのサイトを調べてみるとどうも英語の「L」の発音の形でうなり声を出すと通常の声と別に裏声のような高調波が響き、それが低音の声との間に複雑なハーモニーを生みだすと言うのです。それも@喉をしめて口蓋の奥から音をだす、A喉をしめて喉の骨格から音をだす、B体の上体、鼻と喉を連動させて粗い低い複雑な音をだすなどという色々なテクニックがあるようです。ちょっと信じられないけれど本当なのです。

しかし、この音楽、どこかで聞いたことがあるなと思ったら日本の民謡でした。比較的単純なメロディーにコブシを使って歌うのはまさに民謡。もっと言えば日本の歌謡曲的なところもあります。それからもうひとつ似ているのはインドのヴェーダの吟唱。私は毎日、ヴェーダの吟唱を聞くのを日課としています。この吟唱は心の奥底に直接響くような音楽です。この時空ができてから宇宙の底流でずっと流れ続けている波動のようなものを感じさせる音楽です。ホーメイにもそれと似たものが感じられます。

私は専門的なことは何も知りませんので単なる素人の空想でしかありませんが、もしかしたらモンゴルを中心に活躍していた騎馬民族がインドでヴェーダに触れて民族の文化のなかに取り入れたことがあったかも知れません。また、日本に騎馬民族が渡来したときにその音楽も一緒に持ってきてそれが日本の民謡などにも多くの影響を与えたこともあったでしょう。

そう考えると時空を越えて中央アジアからを音楽が広がっていった様が想像できて楽しいですよね。とにかくこの音楽、ただ聞いているだけで広々とした荒野を吹き抜ける風のようなすばらしさを持っています。日々の小さな細かいことなど忘れて自然と一体になった幸せを感じられる。そして不思議な「なつかさ」がある。是非、一度、聞いてみてください。

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e-hanashi pv20040625
投資教育の前に「お金の大切さ教育」を

去る5月22日に金沢で雑誌、インベストライフの講演会がありました。そこで私も編集委員の一人として講師をしました。そのとき、非常に面白い質問があったのでまず、それを紹介したいと思います。それは若いご婦人の質問で「うちには子供が二人います。それぞれお小遣いの使い方がまったく違います。長男はしっかり貯めるタイプ、次男はもらうとすぐ使ってしまうタイプ。これらの子供たちにどのようなお金の使い方の教育をしたら良いのでしょうか」というものでした。その質問に対する私の答えは最後に書きましょう。

私の長年の友人に日興フィナンシャル・インテリジェンスの投資教育研究所長をしている平岡久夫さんがいます。少し前ですが米国における投資教育について彼の話を聞く機会を得ました。時々、テレビなどでもアメリカの高校生が株式市場ゲームをパソコンでやっている姿が投資教育として紹介されたりします。私の投資教育に関する知識もその程度のものだったのですが、彼の話を聞いて実はその背後には経済教育、金融・資産管理教育などが幅広くかつ全生涯を通じて行われているのを知り驚きました。

びっくりするデータを紹介しましょう。米国における高校生向け教科書では金融と財政に116ページが費やされています。一方、日本はどうでしょうか。たったの3ページです。そう、3ページ。経済全体ではアメリカが544ページ、日本が82ページだけです。アメリカの高校教科書では経済をベースに金融や証券、投資、貯蓄、フィナンシャル・プラニングなどの細かい説明がされます。「リスク・ピラミッド」が示され、株式、債券、投信、ジャンクボンド、不動産などをハイリスク、ミディアムリスク、ローリスクに分類し、利回り、リターン、リスク、流動性などの概念も解説されています。これらの教育をサポートするのは主としてNPOだそうで、生徒の教育のみならず先生にも幅広い教育が施されています。

もっと驚いたのは幼稚園から小学校低学年の生徒向けの教育でした。この学年で、子供たちは「希少性と選択」、「機会費用とトレードオフ」、「生産性」、「経済システム」、「経済機関とインセンティブ」、「交換・貨幣および相互依存」、「市場および価格」、「競争と市場構造」、「政府の役割」などを学ぶことになっています。といっても堅苦しい授業ではなく楽しく学べるような工夫がされています。

幼稚園から小学校低学年向けのプログラムを紹介しましょう。

「ある王国では今まで魔法使いが魔法でモノが不足しないようにしてきました。しかし、あるとき休暇を取ってしまったため、王様のパーティーでチキンやバター、ポテト、アップル・ソースが不足して全員に行きわたらなくなってしまいました。騎士たちは『戦って勝った人がもらえばよい』と主張しますが王様は困ってしまいます」。と、いうことで生徒たちが解決策を提案します。「王様が分ければよい」、「くじ引きで決める」、「必要な人を優先する」、「一番高いお金を出す人がとる」などです。それを先生がまとめてゆき「資源は有限であり、何かを得ることは何かをあきらめることを意味する」ということを学ばせてゆきます。

もう一つ。

子供たちが「テディーベアのピクニック」と呼ばれるパーティーを開催し親を招待します。手作りの食べ物コーナーやゲームのコーナーを設け、食べものやゲームなどの利用料を決めます。同時にテディーベアの絵のお札を作り一人20枚ずつ持ちます。こうして子供たちは小さな模擬社会の中で経済活動をシミュレーションするのです。ここで学ぶことは@人は財やサービスを生産するときに貨幣を得る、A財やサービスを購入するときには貨幣を使う、B収入と支出は循環するということを学んで行きます。

こうしてアメリカではリスクテークとかトレードオフということが子供の頃からカルチャーとしてしっかりと植え付けられていきます。以前、タレントのダニエル・カールさんが日経の「こどもと育つ」というコラムで次のように書いていました。「こどもには『お金』はもらうものではなく、稼ぐものだということをしっかり身につけて欲しい。うちは小遣いはやらない。その代わり、家事手伝いの報酬としてお金を払う。時給は800円。しかもその半分は必ず貯金するというルールも決めてある。この貯金は名づけて『カレッジ・ファンド』。息子が大学へ行くときの資金にしている」。一般的な日本の家庭との違いを感じます。

投資教育はピラミッドの頂点のようなもの。それを支えるのが経済や金融に関する教育です。それがないと投資教育と言っても「いま、株は買いか売りか」とか「どの銘柄がもうかりそうか」などという表面的な現象を追うことになってしまいます。しかし、アメリカでの教育を垣間見るとピラミッドの底辺に更に広い教育があるのが分かります。つまり「お金というものは稼がないともらえないものだ。そして稼ぐということは自分が何らかの付加価値を他の人のために提供しないと成り立たないのだ。時に自分のしたいことを我慢して働かないとお金は手に入らないのだ」という「トレードオフ」の関係を徹底的に叩き込む教育がされているのです。これによって子供たちはお金の「大切さ」や「ありがたさ」を学んでゆきます。稼いだお金をどう使うかという投資教育や消費者教育の前に「お金の大切さ教育」があるのです。そしてこれが小学校入学前から行なわれているところがミソです。

さて、金沢の講演会での私の答えを書いておきます。

「それぞれのお子さんがどのようなお金の使い方をするかということはそれほど、重要なことではないと思います。性格も違う以上、お金の使い方は違って当然ですし、それが個性というものです。あまり『こうあるべき』という型にはめない方が良いのではないでしょうか。子供たちは実体験のなかで成功したり失敗したりしつつ自分に合ったお金の使い方を学んでゆけばよいのだと思います。

それより大切なのはまず、『お小遣いは自然にもらえるものではない』ということを叩き込むことではないでしょうか。お金は労働の対価です。遊びたいのを犠牲にして家事の手伝いなどをして初めてもらえるものです。この点をきちんと徹底すればお金の大切さが分かってきて自然に使い方も正しい方向に向いてゆくはずです。」

日本の子供たちは概してお小遣いをもらえるのは当然だと思っています。ハイティーンになればアルバイトもある程度するでしょうがでも、親の脛かじりが一般的です。成人して就職します。最近でこそ少し変化しつつありますが終身雇用制度と年功序列制度の下でひとつの会社でおとなしくしていれば典型的ライフスタイルに合わせて給料も上がってゆきます。そして60歳になって定年を迎えればその後は結構、手厚い年金がもらえたのです。このエスカレーターのような人生ではお金は自然にやってくるものです。ですから人生を通して『稼ぐ』ことの意味を考える機会が十分に与えられていないのではないでしょうか。日本でも投資教育の必要性が叫ばれています。それは事実ですがもっと重要なのは幼児時代からの「お金の大切さ教育」ではないかと思います。


参考資料
米国における投資教育の現状 2001年3月 証券団体協議会議
米国、英国の経済・金融・投資教育 - 日本が学ぶべきもの - (2003年3月14日、日興フィナンシャル・インテリジェンス(株)副理事長、平岡久夫 経済同友会産業懇談会例会用資料より)


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 e-hanashi pv20040529
懐かしのニューヨーク旅行

私は学生時代に二年間、証券会社にいたとき転勤で九年間ニューヨークに住みました。仕事でいたときは妻も一緒で娘もそこで生まれ七歳まで育ちました。今年は日本に帰ってきてちょうど20周年。しかも、ニューヨークから一緒につれてきた猫のアップルが昨年5月に19歳8ヶ月で亡くなって一年がたったこともあり5月13日から17日まで家族そろってニューヨークへ行きました。

私は海外出張が多いのですが最近は勤務先の本社があるサンフランシスコが中心でニューヨークは4年ぶりでした。JFK空港からタクシーに乗ってマンハッタンに到着、ホテルにチェックインしてから街にでてまず驚いたことは人が多いこと。しかも、その人々があたふたと動き回っている。みな何か目的があるかのようにエネルギッシュに足早に動き回っている。自分の仕事の目的か、あるいはちょっとうさん臭い目的かは分からないけれどとにかくみんな忙しく動き回っている。ぶらぶら歩いている人は少なく、当然、雑音もすごい。よく見れば人種の多様性も一段と増したかのようで世界中から一攫千金を求めて、何かうまいことを求めてみんなが集まっている感じでした。これは東京ともサンフランシスコとも違い、またかってのニューヨークとも違って、一番、強い印象を受けたことでした。

滞在中の一日は家族で昔、住んでいたリバデールを探訪しました。よく行ったスーパーマーケットや子供の行っていた小学校(いまは廃校となり個人邸宅となっていました)、赤い扉の教会に付属した幼稚園などを見て、かって住んでいたアパートへ。昔そのままのたたずまいに感激。しかも、ドアマンなど昔と同じ人です。20年ぶりにあったのにちゃんと覚えていてくれて「あの102号室にいた家族だろう」と言ってくれました。ちょっと感動。廊下を隔ててお向いに住んでいた歯医者さんのご夫妻にも面会。とてもとても喜んでくれて近くのWave Hillという公園に連れていってくれサンドイッチのお昼をご馳走になりました。決して贅沢ではないけど落ち着いた幸せな生活を感じました。この日の夜は同じアパートで親しくしていた方とお嬢さんとこれも昔懐かしいお寿司屋さんで夕食。みんなアッと言う間に20年間をタイムスリップした感じで楽しいひと時でした。残念ながらブラジル出張中で参加できなかったご主人からは食事中に携帯に電話をいただき話も少しですができました。懐かしいことの一杯の一日でした。

別の一日、マンハッタンでは昔から大好きだったグーゲンハイム美術館やメトロポリタン美術館を見学。近代美術館が閉館中だったのは残念。でもすばらしい絵画をほんとに間近で見ることができ感動でした。また、日本の芸術のコレクションの立派なことにも驚きました。週末の良い天気の日、みんなが思い思いに明るい太陽を楽しんでいるセントラル・パークを散歩して72丁目のダコタ・ハウスの辺りに。そして地下鉄でかって学んでいたコロンビア大学のキャンパスへ。昔住んでいた寮なども見て、また、地下鉄でグリニッジ・ビレッジにでてフラフラ。

あと一日はローワー・マンハッタンへ行きました。まず、グラウンド・ゼロへ。かってワールド・トレード・センター(WTC)のあったところです。1965年、私が学生として初めてニューヨークに行った時はWTCはまだありませんでした。1975年にブラジルのサンパウロからニューヨークに転勤になったときはすでに建っていて毎日、WTCを見ながら通勤をしました。ニューヨークへくるたびにトライボロ・ブリッジからWTCを見ると「あぁ、ニューヨークへ来たんだ」と思ったものです。それがごっそりと大きな穴になってしまっている。まだ、たくさんの死者の魂がこの地にしがみついているような、テロへの怨念が渦巻いているような、何とも言えない感じのところです。なんでもここにまた高いビルを建てるとか。私はやっぱりここは静かな公園か何かにするべきではないかと思います。すべてを飲み込んだ深い穴を隔てる金網の金属部分に祈りの言葉が落書きされているのが印象的でした。一方ですでに地下鉄の駅もできており力強い復活のエネルギーも感じられます。そこから昔、私の会社のあった赤いサイコロのある140 Broadwayのビルを通り、ニューヨーク証券取引所経由でバッテリーパークへ。さらにチャイナ・タウンで飲茶をたっぷり食べました。昔も週末の午前中など家族でよく飲茶に行ったものです。



それからミュージカルのLion Kingを観賞。歌と踊りのミュージカルに新しい要素がたくさん加わった作品なのでしょう。座席も一番前から4列目のど真ん中。さすがロングランするだけあり見ごたえがありました。特に動物の動きが踊りと溶け合い本物の動物を見ているような錯覚にとらわれます。「文楽の人形を見ているような心地」と娘が言っていましたがうまい表現だと思いました。やっぱり本場だけあり底力を感じさせるミュージカルでした。

おいしいものもたくさん食べました。BSEなどどこ吹く風でステーキ屋さんは大繁盛。我々もこの際、思い切ってでっかいステーキやたっぷりロブスターの身が入ったリゾットなどを食べました。ともかくさすがニューヨークという街は世界の中心。その渦巻くようなエネルギーはすごい。そして芸術も食もショッピングもすべてが奥が深い。一枚めくれば地が現れるというのではない奥深さがあります。比較的短期間でしたが中身の濃い旅行でした。想い出にもたっぷり浸ることができたし新しいエネルギーを注入されたような気がしました。

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e-hanashi pv20040511
「若者よ、カネを貯めろ!」 − 年金問題のおさらい

いまほど年金問題が世間の注目を浴びたことはなかったと言ってよいでしょう。前回、人口問題について書きましたがそれとも深い係わり合いがあり、年金運用は私の会社の仕事でもあるので今回は年金問題についておさらいをしたいと思います。なぜ、年金がこれほど問題なのか。理由は三つあります。ひとつは制度の問題、二番目が制度の運営上の問題、そして最後が市場の問題です。

まず、制度の問題。一口に言えば現在の年金制度ができたときに想定していた正常な人口ピラミッドと経済の高度成長という前提が変わりつつあるということです。経済は成熟化し、しかもこれから人口ピラミッドがひっくり返る。前提が変わっているのだから制度もひずみがでてきて若い人ほど払う額に対してもらう額が少ないという世代間の格差や世帯形態によってもらえる額が違うという世代内での格差が表面化しつつあります。これに対して現在、国会で審議されている「改革案」は基本的には@年金保険料を増やす、A受給額を減らす、B受給時期を遅らせるという三つの要素の組み合わせで解決しようとしている。ここに一番の問題があります。そして今回も制度の抜本的な見直しは先送りになりそうです。少子化、高齢化が進む中、そんな悠長なこと言っている場合じゃないのに・・・。このような不信感が国民年金の未加入とか未納などの問題を起こしているのでしょう。

公的年金は賦課方式です。言い換えれば世代間の助け合い。若い人がお金をだして退職した人たちをサポートする。一方、企業年金は積立方式です。働いている間、お金を積み立ててそのお金を退職後、年金として受け取るという方法です。公的年金は賦課方式だと言いながら、これまでずっと収入が支出を上回っているのでそれを積み立ててきました。その積立金が150兆円になっています。この150兆円という金額は毎年の支出額(年金の支払い額)の6年半分という巨額のものです。しかし、仮に公的年金が積立方式だったとするとこの資金を全部使ってもすでに支払いを約束してしまっている債務を充たすには430兆円もの資金が不足すると言われています。つまり、賦課方式としては大きすぎるし、積立方式には小さすぎる規模なのです。いま、政府はこれを「修正積立方式」と呼び150兆円の資金を運用しその収益を支出の一部に充当するというやり方をとっています。この巨額資金の存在が次に述べる二番目の問題を引き起こしています。

それが制度の運営の問題です。この積立金という膨大な資金を扱う事業が政治的影響力のもと官僚の手で営まれていたし、また、その利権に群がる民間業者もたくさんいたのです。公的年金の資金は2000年度まで大蔵省の資金運用部に全額預託され、そのほとんどが公共投資として住宅金融公庫や日本道路公団や地方自治体に貸し付けられていました。こうしてできた道路や橋や飛行場などは隠れ損失をはらんでいると言われています。つまり、積立金は公団などへの融資に使われたのですが、できたハコモノは期待した利益を生んでいないのです。このような投融資は2001年から証券市場での運用に切り替えられつつあり2007年までに全額が年金資金運用基金に移される予定です。しかし、この年金資金運用基金も、これまでの累積損やグリーンピアの事業などが問題を抱えているのはご存知の通りです。

最後の問題は市場環境の変化です。日本の株式市場はTOPIXでみて1989年12月18日の2884から暴落を続け2003年4月14日には770まで下げ73%の下落をしました。金利水準も超低金利となり年金運用は非常に苦しい状態に陥りました。80年代までの運用環境はきわめて安易なものだったためにほとんどのポートフォリオがリスクに非常に弱い体質になっていたのです。たとえ株式が値下がりしてもしばらく我慢していればまたいつか回復した。株価が上がったらすぐに利喰って次の銘柄に移るのが投資だと考えられていたのです。リスクもコストもコントロールされていなかった。このなかで株式暴落と超低金利が起こったことで年金資産が大きく傷ついたことは否めません。これが上記の二つの問題をより深刻なものにしているのです。しかし、この点については最近、ずいぶん改善されてきています。特に企業年金は積立方式ですから積立不足が生じると母体企業がお金を出して埋め合わせなければならない。母体だって業績は苦しい。しかも、年金基金の規模は母体企業と比べても非常に大きなものになっている。不足分を拠出すると母体の業績はさらに悪化します。株価も下がる。資金コストも上がる。それだけに真剣な対応がされています。

バブルが崩壊するまでは経済成長と右肩上がりの証券市場に支えられて企業にとって年金運用などそれほど気にする必要もない分野だったのです。財閥、系列、株式持合いといった閉鎖的な環境のなかでグループ内の信託銀行か生保にまとまった金額を渡して「よろしく頼むよ」、「任せておいてください」といったお任せ運用が一般的でした。90年代に入り投資顧問が年金運用に参入を許可され、さらに資産配分などがんじがらめの規制が撤廃されずいぶん改善されました。企業年金が将来の債務を前提に自ら資産配分を決定し、それぞれの目的に合わせて最適な運用機関を系列を超えて採用するようになったのです。この点は年金運用が色々、問題視されるなかで明らかな改善であることを強調しておきたいと思います。

体制は整備されてきているものの企業年金も大きな問題を抱えています。2003年度こそ株価の回復でプラスになりましたが2000年から2002年までは三年連続のマイナス・パフォーマンスでした。その結果、積立不足の問題が発生しています。2003年3月時点で企業の退職給付(年金と退職金)債務総額は72.6兆円です。これに対して積立不足額が23.8兆円。厚生年金基金(資産額45.5兆円)のみを見ても95%の基金が積立不足でその額は10.84兆円です。このような苦しい状況を反映して「代行返上」に踏み切る基金が増えています。企業年金の中心である厚生年金基金は国に代わって公的年金の一部を企業年金に加えて運用をしていました。運用環境が良かったときはたくさん資金を持っていればより多くの収益があがったので企業にもメリットがあったのです。しかし、環境が悪くなってからは国に代わって資金を運用することが負担になりはじめ、この資金をお国に返したいという声が高まりました。代行資産は返上が認められる前には20兆円あり資産の4割を占めるほどでした。返上が解禁になって二年ですが予定を含め771件、ほぼ基金の半数がすでに実行したか、これからする予定です。代行返上をすると基金の規模は大幅に縮小するので大きな運用体制の見直しや制度の変更が求められます。それでも基金が存続できるのは良い方で解散に追い込まれる基金も多いのです。2003年度だけでも92基金が解散し、厚生年金基金は1357基金へと減少しました。ピークだった1996年に比べると7割の水準です。

そんななかで確定拠出型年金という新しい制度ができています。従来の確定給付型年金は将来、もらえる金額を会社が約束している制度ですが、この新型年金では会社は拠出する金額を約束してそれをどのように運用するかは加入者が決めるのです。ただ、現在の税制では非課税枠があまりに小さいのであまり大きな効果はでていません。また、果たして加入者が長期的視野で自分の年金を運用してゆけるのだろうかという点も大きな問題です。ただ、個人ごとにいくら支払い、現在の残高がどうなっているのかが明瞭にわかる点はいま、多くの人が最も求めていることです。目先はともかく将来的にはこちらが年金制度の主流になるかもしれません。

公的年金制度の改革につき現在、色々な案が出されています。私としては経済同友会が提唱している案が分かりやすくて良いと思っています。この案では老後の生活基礎の安定を目的とする新基礎年金を作りこの財源は消費税とします。これは国が面倒を見る部分です。その上に安心と充実を確保するための企業と個人の掛金からなる新拠出立年金を作ります。この部分は、民が運営し、個人ごとの口座で管理され、運用も自分で判断することになります。さらに企業が任意でプラス・アルファをつけることも可能とします。もちろん会社員、公務員による制度の違いも一元化します。重要なことは現在の年金問題はこのぐらいの大きな制度の改革をしなければ解決しない問題であるということです。

大切なことを最後にひと言。お国に任せておけば老後の面倒はフルに見てもらえるとは決して思わないことです。まずベースとして若いときから投資をして貯めた自分の資産があるべきです。その次ぎに企業年金があって最後に公的年金がある。つまり、公的年金としてもらえるのはお小遣い程度であると最初から割り切ること。これからの若い人は20代、30代のうちから自分の老後を考えた資産運用を考えていかねばなりません。給料が余ったら貯蓄するのではなく、まず、貯蓄をして残った部分で生活する。そして若いうちから正しい投資の知識を身につける。将来の自分をいまの自分が支えるためのDo-It-Yourself (DIY)年金の発想が20代から必要なのです。だから海外旅行をしてブランド品を買いあさっている場合じゃない。「若者よ、カネを貯めろ!」と声を大にして言いたいと思います。

参考
「安心で充実した老後生活を支える新しい年金体系の構築 −民が運営する“新拠出建年金制度”の導入−」 2004年2月、社団法人経済同友会
「年金大改革 −『先送り』はもう許されない」 2003年3月、西沢和彦、日本経済新聞社
「厚生年金基金における資産運用の状況 2002年年次報告書」 厚生年金基金連合会 運用調査部
「厚生年金基金の財政状況(2002年度決算結果)」 2004年04月08日 Web年金情報

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e-hanashi pv20040425
人口問題を考える


2000年時点で世界には60億人の人間がいました。現在は63億人です。国連の「世界人口予測(2002年改訂版)」によるとこれが2025年には78億人となり、2050年には89億人となります。その後、2100年ごろに世界人口は110億人に達してそこで安定するだろうと見られています。この人口増加でもっとも重要なポイントは二極化ということです。つまり、同予測の中位推定を見ても先進国の人口が2000年の11億8800万人から2050年には11億5500万人と減少するのに比べて、発展途上国の人口は2000年の48億6700万人が77億5400万人へと増加するのです。先進国のうち少なくとも33カ国の人口は減少すると言われていますし、これらの国は急速な高齢化が進行します。

そのなかで日本の少子・高齢化・人口減少は世界のなかでも際立っています。国立社会保障・人口問題研究所によると日本の人口は2006年に1億2770万人でピークをつけ、2025年には1億2110万人、2050年には1億50万人、そして2100年には6410万人とピークから半減します。これは中位推定でその前提はかなり楽観的だと言われています。そこでもう少し現実的な低位推計を見るとピークは今年から来年にかけて1億2750万人、2025年が1億1770万人、2050年が9200万人、そして2100年が4640万人となりピーク比で三分の一近くなってしまいます。このまま行くと日本人がいなくなってしまう!大変なことです。

日本の人口問題には二つの側面があります。ひとつはベビーブーマー・団塊の世代が歳をとってゆくなか医療の発達で長寿になってきていること、それからもうひとつは一人の女性が産む子供の数が大幅に減ってきているからです。この二つが人口問題のカナメです。これらの二つのトレンドがあってそのなかで人口が減少してゆくのです。

前者は高齢化の問題です。65歳以上の人口に占める比率を見ると明らかです。1970年に初めてこの比率が7%を超えましたが1994年にはそれが14%になりました。現在は17%ですが21世紀も中ごろになると日本の人口の三人に一人は65歳以上ということになります。

後者の少子化の問題も深刻です。一人の女性が一生の間に生む子供の数の平均を示す合計特殊出生率は1960年代の末に人口を維持してゆくために必要な人口置換比率の2.1を割って以来、低下を続け、現在は1.32です。先ほど触れた中位推計ではこれが1.31まで下がりますが2010年ごろから上昇に転じて21世紀中ごろには1.39まで回復するとしています。ちなみに低位推計では低下を続け1.10程度で安定するとしている訳です。

出生率の低下はジェンダー革命とも呼ぶべき女性意識の変化によるものだろうと思います。女性の意識が変化して、まず、プロフェショナルを目指す女性が増えました。そのため高等教育を受け、プロとしての資格をとり、労働市場に参入し、キャリアアップのために仕事をがんばり…、結局、子供を持つことのプライオリティーが後回しになってきたというわけです。言い換えれば女性にとって子供を持つコスト(機会コスト)が高くなったともいえます。

人口が減少し、高齢化する国は経済的な問題を抱えることになります。つまり、生産活動に従事する人が減るので経済成長率が低下します。同時に消費者も減少するので需要が減退します。税収入も減る反面、社会保障費が増加して政府の財政が悪化します。高齢者は一般に過去に蓄積した貯蓄を取り崩して生活するので貯蓄率が低下し、その結果、投資も減ってしまいます。経済規模が縮小してゆくなかで不動産や株式などの資産デフレが進みます。

たしかに人口が減少することで道路の渋滞が減るとか、通勤が楽になる、大きな家に住める、学校教育も目が行き届いた丁寧なものにすることができる、つまり、生活の質的な向上が図れるという議論もあります。そのような側面はたしかにあるのですが、乗客が減れば電鉄会社は電車の本数を減少せざるを得なくなるでしょうし、住宅に対するニーズが減れば地価が低迷して資産デフレが続くことになります。やはり、経済は拡大していた方が良いし、その拡大の前提となるのが人口の増加なのです。

一般的に若い人の方が最新の技術を習得しているので生産性が高いといえます。さらに若い人が多く人口が増加している国の方が経済のパイが大きくなっているので前向きの投資が起こり経済活動も活発になります。また、若い人の多い国ほどより過去のしがらみにとらわれない制度が作り易く、先進的な政策をとることが可能です。どうしても高齢者の多い国では選挙で旧体質の政治家が当選することが多いでしょうし、また保守的な政策が好まれることになります。したがって、これから数十年の単位で見ると世界経済のリーダーシップは現在の先進国から人口増加の大きい発展途上国へとシフトしてゆくことになるだろうと思います。

ただ、発展途上国といってもかなり幅があり、やはり最貧国が世界経済のエンジンになるのは無理な話です。ある程度、工業化がすでに進み始めていてこれからの何十年かで飛躍する国が主役になるだろうと思います。最近、アメリカの証券会社、ゴールドマン・サックス社が調査レポートでブラジル、ロシア、インド、中国がこれからの世界経済の牽引車になると述べています。この四カ国は頭文字をとって「BRICs」と呼ばれています。このレポートによるとBRICsのドル建てGDP合計は、現在、G6諸国の15%に過ぎませんが、2025年には半分以上に、そして2040年にはG6諸国合計を追い抜くとしています。これは人口構成、資本蓄積、生産性向上などの前提をおいて試算したものですが、2040年時点の世界の経済規模上位六カ国はBRICsとアメリカ、日本になると予測しています。現在の先進諸国が高齢化と人口減少で活力を失ってゆく一方、これを相殺する形でBRICsが新しい需要と消費を生み出し世界経済のエンジン役を担ってゆくと予測しています。

それではどうすればよいのか?先進国には発展途上国にない貴重な資源があります。おカネです。先進国の多くで退職に備えての貯蓄や年金の積立金、その他の金融資産が巨額に膨れ上がっています。先進国経済が相対的に停滞してゆくとこれらの巨額の資金を投資する魅力的な対象が自国内には見つからなくなります。そこで労働人口が増加しているのに生産性が低い国へ投資する意味がでてきます。これらの国は資金の流入を得て生産性を向上して世界経済の停滞を食い止めることができるのです。その成果は投資のリターンとして先進国の投資家のもとに戻ってきます。つまり、これから伸び悩む先進国とこれから成長する発展途上国の間には補完関係があるのです。これらの国の企業が数十年単位で見て高成長して行くことで結局、それが投資のリターンとして日本に戻ってくることになります。

特に日本には膨大な個人金融資産がありますし、公的および企業年金は巨額の資産を抱えています。これらの資金は現在、その大半が財投資金として国内の公共投資に向けられています。その公共投資の使い方が問題になっているのはご存知のとおりです。東京や大阪などの大都市に人口が過度に集積している一方で地方は低い集積になっており二極化している。その人口の少ないところに巨額の公共投資がばらまかれている。これをもっと経済合理性のある、本当に付加価値を生むような投資に変えて行くことが必要です。

発展途上国に加えて国内への投資では日本の富を最大限に活用して日本の少子化を食い止めるためのあらゆる手段を講じることが急務です。つまり、女性にとっての出産と子育ての負担=コストが最小化できるような設備と制度を整備することが必要です。この分野こそ最大の公共投資であるべきです。

それから世界のトップ・ブレインが喜んで日本にきて大成功を収めることができるような国としての対策にカネを使うことも必要だと思います。日本がこのように成長過程にある国々のブレインを取り込む形で成長を可能にしてゆけば日本がアジアのシリコン・バレーになることもできるわけです。これによって日本の人口減少や高齢化も食い止めることができます。いずれにしても現在、日本の富は政治的な要因で投資が決定されています。これを経済合理性に基づいた投資に変えてゆくことがもっとも大切なことではないかと思います。

参考
World Population Prospects, The 2002 Revision Highlights, 26 February 2003, United Nations Population Division http://www.un.org/popin/data.html
「日本の将来推計人口(平成14年1月推計)」国立社会保障・人口問題研究所 http://www.jpss.go.jp/Japanese/newest02/newest02.html
「人口減少社会の到来」http://gioss.or.jp/policy/d03-11-1.htm
「人口減少社会とどう向き合うか」額賀信
http://www.crinet.co.jp/contents/president/thesis/20030901.html
「人口減少の衝撃と日本経済」石水喜夫 http://www.rengo-soken.or.jp/dio/no164/houkoku1.htm
Seven Revolutions, CSIS  http://www.7revs.org/Population/pop3.htm
World in the Balance, Paul Hewitt http://www.pbs.org/wgbh/nova/worldbalance/voices.html
Dreaming With BRICs: The Path to 2050, Dominic Wilson & Roopa Purushothaman, 1st October 2003
http://www.gs.com/insight/research/reports/99.pdf

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e-hanashi pv20040415
四国八十八札所お遍路の旅

e-hanashi pv20030911で「東海道完歩」という文章を書きました。そのなかで四国八十八札所お遍路の旅、1300KMにチャレンジすることを述べました。むろんバーチャルでの話です。毎日、歩いた歩数を「健康ウォーキング(http://gnl.cplaza.ne.jp/walking/index.html)」というホームページに入力するとどこまで歩いたかが分かるのです。スタートは2003年9月9日。それからほぼ半年、2004年3月6日、ついに無事に完歩することができました。

阿波の国 2003年10月1日完歩 199KM
土佐の国 2003年12月8日完歩 477KM
伊予の国 2004年 2月5日完歩 411KM
讃岐の国 2004年 3月6日完歩 193KM

平均するとほぼ一日当たり1万歩から1万2000歩ぐらい歩いたでしょうか。距離にして7〜8KMぐらいです。一緒に歩いた会社の仲間もほぼ同時に到着。先日、お互いの健闘を讃えて飲み会をしました。そのとき完歩した三名に下の写真のような優勝カップを贈呈。もちろんひとつは自分の分です。私はこれまでひとつも優勝カップというものを持っていなかったのでうれしかった!この間、私の体重も随分、減少しました。スタート当時の体重は70キロぐらいでした。それが現在は63キロ。おかげで背広のズボンのウエストを7CMずつ縮めることができました。

現在は中山道に挑戦しています。いつかバーチャルで良いのでアメリカ大陸横断とかシルクロード全行程なんていうのをやってみたいなあと思っています。