思いつくまま*2006.7‐12*
new2006.12.21 般若心経
前回、《茶筅供養》で「般若心経」を皆さまと唱和したことを書きました。私は今までにこのお経を何回か写経して薬師寺に納めさせていただいたこともあります。しかし「般若心経」とはどういうお経かまったく考えたことがありませんでした。
たまたま図書館で、「ひろさちやの般若心経88講」という本を見つけ読んでみました。ひろさちや氏がTVで講演をしたときの原稿を編集したものなので、話し言葉でとても読みやすいものでした。内容はお経ですから難しいところもありますが、何となく全体像がつかめましたのでメモしておこうと思います。
「般若心経」が有名なのは、一番短いお経で、宗派を問わず唱えられるお経だからだそうです。もともとはサンスクリット語で書かれたものを、三蔵法師の玄奘が音から漢字に当てて翻訳したものです。バンニャー(智恵)が般若、フリダヤ(心、核)が心というように・・・。般若心経の意味は”智恵を持って彼岸に渡れ”というとのこと。
”初めにエッセンスありき”のようで「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五・・・」のところで、観音さまは智恵を完成させたとき肉体も精神もすべて「空」だとわかって苦しみを克服されました。だからあなたも観音さまのように智恵を完成させて苦しみを克服しなさいというのがこのお経のエッセンスだそうです。
此岸(しがん)つまりこの世は欲望が渦巻いている煩悩の世界、そこで少欲知足であれ、差別するな、こだわるな、《空》であれ!そうして悟りの世界の彼岸(ひがん)に到達しなさい、というのです。ものの見方を少し変える・・ここでは物にたいするニンシキ波を変える事で、幸せになれると言うのです。《幽霊の正体見たり枯れ尾花》・・・こちらがびくびくとしたニンシキ波を出せば枯れた尾花も幽霊に見えてしまいます。また 茶道でよく《日々是好日》というのがありますが、ひどいと思う日も見方を変えれば好日になるというもの。プラス思考です。
何か茶道の禅の精神に通じることと思いました。
今回この本を読んだことで、なんとなく心が穏やかになったような気がしてきました。何もあくせくこだわらなくてよいのだ、足るを知って感謝する・・・。
あと 誰にでもできるお布施は「和顔愛語」というのも心に残りました。笑顔と思いやりのある言葉・・笑顔の布施と言葉の布施です。これなら誰でもできますね。例え寝たきりの病人でも可能です。赤ちゃんはいつもニコニコしているのはきっとホトケサマが、お前は布施する財産を持ってないが笑顔の布施はできるのだよと笑顔を与えられたのでしょうとのことです。
参考:ひろさちや著 「ひろさちや般若心経88講」 新潮文庫 ひろさちや氏は東大文学部印度哲学科大学院卒
2006.12.9 茶筅供養
今年も一年間お世話になった茶筅を供養をしました。
茶筅に赤い糸を巻いて茶筅荘りをして、皆さまと濃茶をいただいた後、後炭をして、点炭の代わりにその茶筅を入れて燃やすのです。燃えている間に般若心経を唱和してこの一年、茶道を続けられたことへの感謝、茶筅への感謝をしました。
茶筅は予めハサミで切れ込みをしておき、火吹き竹で 良く燃えるように息を吹きかけるのですが、煙が部屋いっぱいになるので、今回、実際に燃やしたのは穂先のほうを切ってそれをくべました。(それでも煙は結構出ます)
燃えたら、点炭を入れて後は普通の後炭手前になります。
先生宅で行った時は、巴半田でいったん残り火をあげてきれいにしてから火を戻して、後炭を入れましたが、家には巴半田がないので、普通に後炭手前をしました。
この1年、元気に稽古ができたこと本当に感謝です。
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2006.11.28 語呂合わせ
茶道の点前には、理論的なこともありますが、そうでもないこともあります。
例えばお茶碗を手前に引くタイミング、茶碗を茶巾で清める方法、茶杓の清め方、茶入を胴拭きする回数等は、昔からそう決まっているからそうするのであって、あまり理論的な説明は出来ないものです。
そこで語呂合わせで覚えることが間々あります。
@引き出し(濃茶のとき茶碗を引いて茶巾を出す)
A坐ったら癪にさわる(柄杓に触る)
B羽、かん、ばし(火箸)、香合、釜の蓋、かん、釜敷き、膝進め(*)
C碗、建、ピ(火箸)(長板総荘の時に動かす順)
D濃い濃い後すすぎ
E折り据優先(花月の時に茶碗と折据が同時に回ってきたとき)
F神の手(茶通箱の蓋を開けるときからの時は右手から)
G蜘蛛の子ちらし(仙遊のとき)
H4、1、0、ポン、3(大円草の茶杓の拭く回数)
Iこっつんサラサラのの字(きれいな茶碗)と、サラサラこっつんのの字(汚れた茶碗)
J真の中に草あり K夏下冬上(かかとうちょう) L置切、置切、置、切置 M左肩すれちがい 等々
この外にもいろいろと覚えやすい語呂合わせがあると思いますが、結構役に立っています。
追記:掲示板でおなじみのチャチャ様からも次の語呂合わせを教えていただきました。
* 拝見乞われたら杓にさわる
* 貴人の立ち水 (貴人清次濃茶付花月のとき)
* 唐物かざし
* 下端とったものは、はたかない
* 天地天碗建 (行台子)
追記:Bの(*)、「膝進め」はちぃちゃん様より教えていただきました。
2006.11.12 炭切り
最近は、初炭手前の炭を寸法通りちゃんと切ったものを何組か箱に入れて売っているようです。
私は前から灯油やさんから、15kg入りの炭を買って、自分でサイズに切っています。長さ30cm強の太さのまちまちな炭が入っているので、太いものは胴炭に、細いものは管炭に、中間のものはぎっちょ等に使います。
その時々によって、太いものばかり多かったり、細いものが多かったりで、そこは仕方がありません。板に胴炭、ぎっちょの長さのしるしを付けて、それに当てて長さに切ります。
軍手をはめて作業をしますが、やはり手は黒くなります。このことを年配の方に言うと、《昔は炭俵に入っていて、鼻の穴まで真っ黒になって切ったものよね》とおっしゃいます。そういえば、私の小学校時代には火鉢があって、母も炭を切っていました。いつも、薬缶がかかっていてお湯が沸いていて、家族みんなが火鉢に寄って手を温めたりしてそこから会話も弾んだよう記憶しています。またコタツも炭火で、母が、頭を突っ込んで火を足したりしていました。
いまや炭は茶道や、焼き鳥屋さんくらいでしか使われていませんが、昔は火鉢、七輪、こたつと大いに利用されていました。
ところで、最近ガスコンロから、IHヒーターを使うお台所がありますが、あれでは火を熾せませんね。
2006.10.28 11月は茶人の正月
11月から炉の季節。そしてちょうどこの頃に口切の行事が行われます。5月に摘み取った新茶が半年間密封された壷の中で熟成され、いよいよその口を切る行事です。今は一年中新鮮な抹茶が手に入るので、よほどの茶家でないと本格的にこうした行事はされないのではと思います。もっとも 稽古として真似事はされていますが。
この口切の茶事は抹茶が貴重な時代に、お茶壷道中という言葉が残っているほど大層な儀式で 裃(かもしも)をつけて行ったそうです。現在、今日庵では口切の茶事は亭主も客も茶人の第一公式礼装で臨み、その日のために垣根も樋も青竹で作り変え、畳も新しくし、障子も張り替えて、八寸・木地曲などのお道具も新しくするそうです。こうしたことが”11月は茶人の正月”といわれる所以です。
又この時期 『亥』『猪』のつく言葉を良く目にします。玄猪臼、亥の子餅、玄猪包み・・など。陰暦の10月(註)は北斗七星が亥の方角に向うので亥月といい、この月の亥の日、亥の刻にお餅を食すると万病を防ぐという習わしがあるそうです。朝廷では天皇が小さな臼杵を亥の方向に向けツクツクの式をされ、新穀でついた御餅を召し上がったそうで、宮中人は畳紙にそれを包んで持ち帰り頂くのだそうです。これが玄猪包みです。
現在は開炉に、ぜんざいと、柿、栗などを頂きますが、これは収穫の感謝と、小豆(赤豆)は中国では邪鬼をはらうという縁起に因んで、体の温まるお餅とともに頂くようになったのです。小豆は大納言と”位”までついたのも頷けます。沢庵和尚がこれを頂いて『善き哉(かな)』と仰せになったことから『善哉(ぜんざい)』というようになったとの事です。
開炉、口切、茶人の正月、猪の子餅、善哉・・・等、この時期に出てくる言葉を整理しようと、下記の本や、お道具やさんのカタログ、淡交誌を読み返して自分なりに整理をしました。
参考出典:「茶の湯歳時記」塩月弥生子著 (TBSブリタニカ)
「茶の湯 稽古場日記」黒田宗光 (淡交社)
註: 今年の陰暦10 月は、11月21日から12月19日
2006.10.10 良い先生とは?
裏千家の平成17年度・18年度家元指導方針の一つに”良い先生の育成とそれに伴う良い社中づくり”があります。副題として《より良い茶道人になることをめざそう》とあります。果たして、茶道において「良い先生とは?」を私なりに考えてみました。
良い先生の条件はまず、@お点前を正しく分かりやすく教えるA茶道全般の知識があるB灰作りや灰型の技量C自然を愛する心D料理好きというようなソフトな面と、E教室(茶室)の構造F道具の種類の多さと質の良さというようなハードの面も加わると思います。
お点前の教え方にも、たとえば基本を大切にと進度をゆっくりする教え方、スピーディにどんどんお点前を進ませて、茶道の全体像を知ってもらおうとする教え方、どちらが良いのか私は悩みます。基本は大切ですが、やはり全体像を早く知ることも興味が広がることと思い私はどんどんお点前を進ませるほうです。 又分かりやすく教えるには論理的にポイントをおさえることが必要です。これは私が何人もの先生から教わった経験から言うと結構個人差があることなのです。
茶道一般の知識、これは大変です。ここまで勉強すればよいというものでなく、日々勉強しかないと思います。それも広い範囲で。お茶会に行くといろいろなお道具に接し、いかに無知か思い知らされます。素晴らしい正客と席主の阿吽の会話に感心し、もっと勉強をしなければと打ちのめされることがあります。塗物、焼物、禅語、歴史、暦、お能、花、裂地等々について勉強することは底なし沼です。
灰型、料理等は努力次第である程度目標にたどり着けると思います。自然を愛する心も注意して心のアンテナを高くすれば養われると思います。
ハードな面はそれぞれの環境でできる範囲しかできません。2世代、3世代にもわたる茶家の先生は立派な環境と思いますが、わたしのように町の小さな茶道教室をしているものには所詮限界があります。
これらの他に、人間性という要素も良い先生の条件に加わるのでは。お稽古は人対人ですから、先生の人柄が大いに影響されると思います。尊敬できる、感じよい、包容力がある、温かみがある、安心感がある・・・・等。
このようにいろいろ書いていくうちに お家元の考える《良い先生》とは?を伺いたくなりました。
2006.9.14 茶事の考察
先日自宅で茶事をしたことは書きましたが、亭主としての感想と反省ならびに現代の茶事について考察しようと思います。
茶事を催すのは今回が多分私にとって7,8回目と思いますが、ご案内を手紙で書いたり、道具組をあれこれ考え、懐石の献立を練り、食器を考える(懐石道具一式があるわけではないので)事はとても楽しい時です。前礼のお手紙が来ると《頑張ろう!》という気になり大いに励まされます。
前日には掃除、灰型、道具類の最終点検、食器の最終点検(お箸等も)、菓子・花の用意をして、着物も紐足袋にいたるまで着るばかりにしておきます。そして大きな紙にマジックで茶事の流を書いて台所の壁に貼っています。料理は下ごしらえできるものは全部しておきます。例えば野菜も、お漬物も、茹でたり、切ったりして、魚も焼くばかりにしておきます。何事も初めの準備が大切。(今回は主人が海外に行って留守だったので準備が大変しやすかったです)
当日は炊飯器のタイマーをかけ、汁をつくったり、向付け、煮物にかけるあん等などつくり、寄り付きの香煎茶の用意、玄関の打ち水や手水の支度をして早めに着物を着て身繕いをしておきます。
そして問題なのが下火を用意する時間。特に風炉では始まる時間から逆算して火をつけます。今回、下火の数は5本入れたのですが、炭が細かったこと、火を熾しすぎたため中立ちのときに足さざるを得なく反省でした。
茶事は普段の稽古とは違ってやはり非日常性を出さないといけないと思います。知った仲間とはいえ、会話は和やかな中にもあまりくだけず、作法も厳しく、あらたまった緊張感を持ってきちんとしたいものです。今回はそれができたのでは・・。
今回は3時間半ですべて終わりましたので、半東も勝手の方もいないわりにはまあまあと思います。
さて、現代において、茶事ははたして究極のおもてなし得るかチョット考えてしまいました。今回は残暑の折でもあり、若い方も多かったので、無理に着物ということは止めました。これも亭主としての心からです。お客様はかれこれ4時間近くもてなされるわけですが、坐っている時間も多く、おみ足も痛くなられたと思います。事実、中立ちのときに立ち上がるのに苦労されている方がいらっしゃいました。若い方でこうですから年を召した方にはきっと辛いことです。これでは究極のおもてなしとはいえません。こういうおもてなしは茶道の世界だけで通用するものではないでしょうか。いろいろと楽しみが多い現代では、茶道を知らない方がこういうおもてなしを受けたら嬉しい反面ちょっと辛いひと時で、懲りてしまわれるかもしれません。
究極のおもてなしとは、「もてなす側」と「もてなしを受ける側」がぴったりと卒琢同時であった時に成り立つことだと思います。やはり茶事は茶道をしている集団の中だけでの特別な《おもてなし》なのですね。そして茶事をすることは”もてなす心と、もてなされる心を養う事”に尽きるのではないでしょうか。
よくお道具屋さんや、カルチャーセンターでのン万円もする茶事がありますが(私は行ったことはありませんが)、やはり自宅で知った仲間と、こじんまりとする茶事が最高と思います。
後礼も続々と届き亭主冥利に尽きます。これは私の宝、大切に保存しています。
ちなみに40年近く茶道をしていても私は今まで正式の茶事に呼ばれたことはわずか2,3回です。やはり茶事は非日常ですね。皆様はいかがでしょうか?
2006.9.09 秋の茶事
今日自宅で茶事をしました。亭主は私。お客様は4人。土曜クラスの方々ですが、初めて茶事に参加された方もいるので正客には友人をお願いし席中でいろいろご指導をお願いしました。
本格的に予め墨で認めた案内状を出し、皆様から前礼のお返事も頂きました。前礼を頂くと俄然張り切ってしまう私です。「重陽の節句」の日ということでもあり 秋をテーマに道具組みをしました。懐石料理は私一人が作ってお出しするのですから 十分献立を考えて前日に下ごしらえのできるものはすべてしておきました。
寄り付きは居間で昆布茶を用意し、つくばいも水瓶を庭に置いて そのつもりで清めていただきました。
風炉は懐石が最初で初炭が後なので、下火はたっぷり入れておきましたが、中立ちまでにほとんど燃え尽き反省です。
懐石では温かいものは温かいうちにと気が張ります。お酒のお燗をしたり、替えのお汁を温めたり、魚を焼くタイミング、煮物椀のしんじょにかけるあんを作るタイミングと 強肴を出すまでがてんてこ舞い!しかし席中には涼しげな顔をして運ぶのです。小吸い物からは多少余裕が出ました。お箸を落とす音で、懐石は終了。すぐ初炭です。情けない下火に祈る気持ちで炭を入れます。縁高をお出しして、初座は何とか終わりました。
中立ちの間に障子を開けて明るくし、花を用意、棚を据えて濃茶の支度です。火も2,3本赤いのを足しました。(本当はいけないのですが・・・)しかし、これが良かったようで、後入りのときはもう火が赤々と・・・。
後座でのお濃茶が茶事で一番大事な部分です。湯の煮えも良くなり、心をこめて練りました。そして、続きお薄に入ります。この辺りから何と私の身体のほうが爽やかに動けなくなり、でも頑張って座布団、干菓子器等を運び、最後の力を振り絞って皆さまにお薄を点てて何とか亭主を務め上げました。
気持ちは十分あるのに、身体が利かなくなる・・なんとも情けないことですが、半東も、勝手を手伝う方もなく私一人で全部やり遂げたという自己満足かもしれませんが達成感はありました。《一期一会》も4時間弱ともなると結構大変です。
しかし友人のお陰で素敵な一座建立ができたと思います。初めての方も茶事はこういうものという経験ができたのではと思います。茶事はお客様もずっと座っていることが多く時間もかかり、なにか申し訳ないようです。茶道の究極のおもてなしである茶事は、亭主・お客共にエネルギーが要りますね。
2006.8.30 季節を受け入れる
NHK教育TV ”趣味悠々 裏千家茶の湯 涼を見つける”5回シリーズが終わりました。
酷暑の中に涼を見つける工夫とお点前が紹介されました。朝茶事、名水点、葉蓋、洗い茶巾などで、如何に涼味を出すか、如何に暑い中いらして下さったお客様をもてなすかというお話でした。
瀧の画と水を打った茶花でいかにも深山にいるかのように、また、籠・ガラス器・御簾戸などのお道具や、建水に空ける水の音、お菓子の姿で涼感を演出する・・といった具合です。このような演出で涼感を味わえるには受け手の感性も要求されます。実際には暑いのだけれど、視覚・聴覚から涼しい気持ちになっていただくということですから・・・。
お家元は最終回のまとめで次のようにお話になりました
《夏の暑さを拒否するのでなく、受け入れて暑さと仲良く付き合う、そのためにいろいろと工夫をするのです。亭主のこうした工夫をありがたく感じて、「いいな」と素直に感じる事、これはいくら本で勉強してもできません。知らず知らずに身についていくものなのです。 茶道のお点前や作法を学んでいく中で、季節の移ろいを感じ 受け入れ、人と人との出会い・ご縁に感謝し、お互いに思いやる気持ちが身について感性が研ぎ澄まされていくのです。》と。
また、《茶道は堅苦しいものというイメージがありますが、ルールの世界でなく、マナーの世界です》と言われたのも印象的でした。
ちなみに、これもTV NHKBSの「Cool]という番組で、外人が日本の夏でCoolな(かっこいい)ものを探すというコーナーで、カキ氷・すだれ・よしず・うちわ・打ち水はCoolですが、吊りシノブ・風鈴・日傘はCoolでないと言っていました。風鈴の音で涼はまったく感じられない、ドアベルや卓上ベルに涼を感じないのと同じだと首をひねっていました。また花がない吊しのぶは面白くないとも。風鈴の音や 吊りシノブに涼やかさを感じるのは、江戸時代からの日本人独特の感性のようでとても興味深かったです。
2006.8.06 一期一会
今、東京博物館の平成館で[プライスコレクション:若冲と江戸絵画展」をやっています。
若冲、芦雪、蕭白等のあっと驚く個性豊な作品が展示されていて本当に《これが日本画?》と大変感動しました。今までの日本画の概念をくつがえすような奇抜で斬新な、それでいて本当に丁寧な作品です。このような絵師が日本にもいたのだとなにか誇らしく思ったほどです。とにかく驚きと興奮、感動の展覧会でした。
私は、この展覧会を2回観にいきました。 またあの素晴らしい絵に会えると期待して・・・。
ところが、2回目に行った時は、どこに何が展示されているかがもう分かってしまっているため変に冷静になってしまい、1回目の時と私の受け止め方が自分でも驚くほどまるで違うのです。もちろん2度目ですから丁寧に細かいところまで見る余裕はあります。着物の細かい柄や、屏風画の物語を追ったり、虎の毛の表現が画家によって違うこと、花鳥画の生き生きとした表現・繊細さ等、新たな発見や、小さな感動はありましたが、初めて見たときの「うわー」という感動はありません。
”慣れ”ということは、ある意味感動を失くすもののようです。
茶道では《一期一会》の精神が大切です。この言葉、最近では茶道ばかりでなく、いろいろな分野でも独り歩きをしています。その時その時が一生に一度であるから、何回同じような茶事をしても「いつもこれが我が生涯で1度きり」という気持ちで精一杯やらなければいけないということです。この言葉、"慣れ"を戒めた言葉でもあると思います。
今回同じ展覧会に2度行ったことから、ちょっと飛躍する考えかもしれませんが《一期一会》の精神を実行することはとても難しく思われ、大変な努力がいることつくづく思いました。何ごとも初めての時の感動は大きいですが、2度、3度となると"慣れ"が生じてしまい、余程心を鍛えないと《一期一会》は難しい事のように思われます。この言葉は軽々しく使ってはいけないと肝に銘じました。
2006.7.27 紫の帛紗
先日 先生のところで真の行台子の稽古をしました。
まず、真の炭点前を私がしました。錫蒔絵の立派な香合と、羽は台子に飾ってあります。土風炉なのでぶつけてしまったら大変なことになりますから、釜の上げ下げには特に注意を要します。羽もいつもと違ってやや大振りのふわふわ感の羽(多分 野雁)。 掃くときの柔らかさが羽によってこうも違うのかと驚きました。
拝見に出した香合を取りに出る前に、座掃きをしました。白鳥の羽でできた座掃きは、長さが畳の幅ほどもあり実際に手に取ると重く、大きく動かしてしっかりと座りながら下がって掃くのは結構大変でした。それもせいぜい5,6回で茶道口に掃き込まなければなりません。私は座掃きをしたことがなかったので、先生にお手本を示していただきながらやり、よい経験ができました。
そしてその日の稽古の真の行を、他の方がされました。その女性の方は気を張って、ま新しい紫の帛紗をされていました。先生もそれに気がつかれ「いい色の紫ね」とおっしゃいました。
私は《真の行は格調が高いお点前なので 紫の帛紗を使うものなのかしら》と女性が紫の帛紗を使っているのを初めてみたので少々戸惑いました。
お点前が終わりのほうに近づいた時に、先生は《女性が紫の帛紗を使うということは、「私はもう女性ではありません」ということのようよ》とおっしゃいました。 その方は「あらっ そうなのですか」と絶句。
昔、陰と陽のことで、男性は陽、だから陰の色である紫の帛紗を使い、女性は陰、なので陽の色である赤の帛紗を使うと聞いたことがありました。
女性はいくつになっても、また格調が高いお点前であっても「赤の帛紗」を使ったほうがよいようです。
2006.7.17 無言のコミニケーション
NHK「趣味悠々」で、裏千家茶道"涼をみつける”が始まりました。昨年はカジュアル茶道がテーマでしたが、今回は本来の茶道で”涼”がテーマになっています。それを見ていてふと思ったことは、茶道では言葉でいちいち表現せず、動作・しつらえ・音などで、亭主と客の間で無言のコミニケーションをはかることが多いという事です。
例えば、お抹茶をいただく時にお茶碗を押し戴いて《感謝》を表し、スッと音を立てて吸いきることで《美味しゅうございました》を無言で表現します。
打ち水がされていれば《もう準備は整っています》、にじり口が少し開いていれば《どうぞお入りください》、関守石がおいてあれば《そちらではありませんよ》、床に茶入、茶杓等が帛紗に載せて飾ってあれば《今日のお点前は荘り物です》、釣瓶の水指に注連縄がしてあれば《名水を用意いたしました》、帛紗を水指に荘り残すことで《水次は省略します》・・など言葉でガチャガチャ言うことなく知らせています。
また茶事の後入りの鳴物での合図、迎えつき礼、送り礼も無言の表現です。お道具の取り合わせで、亭主の気持ち、その茶会の目的、季節感等を語らせ、席中では、正客が代表で亭主と会話がなされ同席の他の客は会話を遠慮します。
主客が皆で和やかに会話をしながらのカジュアルの茶会も楽しいのですが、フォーマルな茶会では、無言の合図のなかに、客も五感をフルに働かせて亭主の意を汲み取り、爽やかさ、涼しさなどを想像し感じ、余計な会話をすることなく削ぎ落とされた素敵な会話のなかに究極の一期一会が行われるのでしょう。
2006.7.12 暑中のお点前
梅雨明けはまだですが、いよいよ暑くなってきました。
今日は特に湿度が高く、”涼”を感じるような趣向もあまり効き目がないような感じのお稽古でした。
名水点で、名水を味わっていただいてから濃茶。名水といっても都会では飲み水になる井戸もなく、谷川岳の大清水を入れて間に合わせです。このお点前も稽古のためのお点前で、ちょっと時代錯誤?です。
次の方は茶通箱を、そして次は釣瓶を使って洗い茶巾のお点前、初心者の方は平点前をというように稽古しました。
そんな不快指数の高い日でしたが、お一人、初心者の方ですが、浴衣でいらっしゃいました。きっちりと帯を蝶に結ばれとても素敵でした。 茶道の稽古ということで、暑い中頑張って着てきてくださったことに私はとても嬉しくなりました。
もちろんお点前もすっかり茶道の雰囲気になって、歩く姿も様になっています。
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2006.7.01 茶道を学んだフレッシュ看護師
以前この欄でも書きました(2004.6.12 看護学校茶道)が、私の還暦茶会の年に1年間茶道を習いに通ってくださった看護学校の生徒さんが、この春めでたく全員看護師さんになられました。
看護学校は3年間で沢山のことを勉強、実習されるので、とても学業が忙しくそんな大変な中、月に2回土曜日に通ってきてくださいました。割稽古から始まって 盆略から、千歳盆、薄茶平点前までをしっかりと学び、学園祭では立礼でお茶席を設けたほどです。(2004.9.23
看護学園祭のお茶会)私の還暦茶会の折には(2004.10.16 還暦茶会)皆さま初めての着物姿でお運び、受付など大変活躍していただきました。
このたび、卒業式のアルバムのコピーを頂きました。そこには懐かしい顔が・・・。皆さん笑顔で晴れ晴れとした良いお顔です。ナースキャップをかぶってもう立派な看護師さん!お茶の稽古に通っていた時とはまるで別人のようです。
たった1年でしたが、皆さん真面目で、頑張り屋さんで、バス停5つ6つくらい平気で歩いてしまうほどガッツがあり、頼もしい限り。茶道からも何かしら得たことがあると思いますがそれを生かしてこれから立派な看護師さんになられるよう心から応援しています。